複数の呼び名0

複数の呼び名が存在した1920年代のアメリカ

 文明の発達した1920年代、アメリカには複数の呼び名が存在していた。

・狂騒(狂乱)の20年代
・黄金の20年代
・ジャズ・エイジ

 意味を考えずに字面だけで見る先入観では、「狂騒」と「黄金」では対極のイメージがあって矛盾しているし、「ジャズ・エイジ」に関しては、やはり芸術的なイメージを想像してしまう。
果たして、これらの呼称には何があったのか。なぜそう呼ばれるようになったのか。気になったのでざっと調べてみた。


狂騒(狂乱)の20年代

 この「狂騒(狂乱)の20年代」は、まさにアメリカの1920年代を体現する言葉であり耳馴染みもあると思う。
この時代があったからこそ、先ほど述べた「黄金の20年代」、「ジャズ・エイジ」が存在すると言っても過言ではない。
 社会、芸術、文化の力強さを強調するもので、ジャズ・ミュージックの開花(ジャズ・エイジの始まり)、フラッパー(当時、流行したファッション、生活スタイルを好んだ「新しい」若い女性)が当時の女性を再定義し、アール・デコ(装飾の一傾向)が頂点を迎えこの時代を象徴するデザインや建築の様式となった。
加えて、この時代は後に今日でも使われている重要性を持つ複数の発明や発見、かつて無いほどの製造業の成長と消費者需要と願望の加速(黄金の20年代の所以)、そして生活様式の大きな変化特徴的と言える
 自動車産業の発展で高速道路が建設されたり、電力や上下水道が一般家庭にも普及し、インフラが整い始めたのもこの時代だ。

(Source:daily news agency)


そして、この時代には高貴な実験と揶揄された禁酒法もある。
禁酒法時代と呼ばれることもあり、これもまた複数の呼び名の一つと言えるだろう。
禁酒法については以前、「スピークイージー、 禁酒法が生み出した文化。」という記事を書いたのでそちらを読んで頂ければと思う。
 また、ニューヨークにはクライスラービルやエンパイアステートビルが建ち都市化が進む最盛期でもあった。

(Source:daily news agency)


 しかし、最後には1929年のウォール街での暴落がこの時代の終わりを告げて世界恐慌の時代に入った。


黄金の20年代


 現代では当たり前である、自動車や映画、ラジオは当時の新技術として大衆に広まりその他にも家電の普及で生活は豊かになっていった。
大量生産・大量消費の生活様式が確立、新しいライフスタイルが始まった時代と言える。
マンハッタンにそびえ立つ高層ビル、街中で聞こえてくるジャズミュージック、そんな街を意気揚々と歩くフラッパー。それらはまさに黄金の20年代を象徴していた。
 記憶に新しいF・スコット・フィッツジェラルド原作の映画華麗なるギャッツビーはニューヨーク、ロングアイランドを舞台にまさに黄金の20年代の富裕層を体現した内容のものだった。


 贅の限りを尽くし夜な夜なパーティーを開いたり、娯楽にラジオを聞いたり映画を見たり、最新の車で移動する姿は自動車産業の発展を現している。
しかし、1929年の暗黒の木曜日と呼ばれるウォール街の株価大暴落がおこり経済力は著しくダウンし、世界恐慌の始まりで黄金の20年代が長く続くことなく終焉を迎えた。


ジャズ・エイジ


 まだ大衆の心に残っていた第一次世界大戦の恐怖への反動からジャズミュージックは娯楽として、流行の音楽となった。
ジャズ・エイジとという言葉は前述にも登場した作家のF・スコット・フィッツジェラルドの短編集の「ジャズ・エイジの物語」から由来している。

(Source:amazon)

 ジャズという言葉を聞けば、ピアノやトランペットを使用した音楽を思い浮かべると思うが、当時使用されていたジャズという言葉には違った意味が含まれていた。
と言うのも、ジャズという言葉は元々黒人が使用するスラングだった。
最初はセックスや女性器を意味し、次いでダンス、その後音楽を意味するようになったという経緯から、それら全ての含む意味でF・スコット・フィッツジェラルドはジャズという言葉を使っていた。
このことから一つの民族全体が享楽的になり、快楽を追求した時代をジャズ・エイジと呼ぶようになったようだ。
こうして調べていくうちに、なぜジャズミュージックが?という疑問は無くなり、別角度からジャズ・エイジについて考える事ができるようになった。
また、この頃から女性の洋装はコルセットからスカート丈の短いドレスに変わり、フラッパーが音楽に合わせてダンスするようになった。
これもまた、華麗なるギャッツビーを見てもらうとイメージしやすいだろう。

 さて、今日使われているジャズという言葉(ジャズミュージック)についても触れておきたい。
「ジャズ=スラング」から『ジャズ=ミュージック』に変えた立役者と言えば、ジョージ・ガーシュウィンという作曲家の活躍によるものだ。

(Source:Wikipedia)


 ジョージ・ガーシュウィン作曲のスワニーのヒットを経て彼はポピュラーな存在となり、ラプソディ・イン・ブルーを作曲した。
ラプソディ・イン・ブルーは、今でもクラシックの舞台で演奏されている。
普段、クラシックを聞かない自分でも知っているのできっと耳にしたことがある人も多いと思う。
ラプソディ・イン・ブルーを解体すると、ラプソディ= 狂詩曲、ブルー=ブルーノート(ブルース・ジャズに特徴的な音)となることからジャズとクラシックを見事に融合させた曲と言える。


 こうして、大衆的となる音楽を発表したジョージ・ガーシュウィンの功績により、スラング的要素のジャズという言葉から『ジャズ=ミュージック』という認識に変貌していったのだろう。
 また、1920年〜1933年に制定された禁酒法時代にスピークイージー(潜りの酒場)でジャズ演奏が行われ、酒と音楽は切っても切り離せない必要な存在となっていた。


 ここまで、狂騒(狂乱)の20年代、黄金の20年代、ジャズ・エイジについて簡単にではあるがまとめてみた。
個人的には、黄金の20年代という言葉が華々しく豪華なイメージで好きだったりするわけだが、どの呼び名であっても1920年代に起きた事柄でありそれぞれに意味を持っている。
 文明が発達し、ライフスタイルの転換期となった20年代。
文明、インフラ、ファッション、女性の在り方、その他にも今日に受け継がれているカルチャーが生まれた年代だ。
だからこそ一つの枠に収まらず、複数の呼び名が存在したのだろう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?