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眼鏡と髭。-----2006|美容師→2012|不動産営業→2013|ホテル運営・ショ…

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眼鏡と髭。-----2006|美容師→2012|不動産営業→2013|ホテル運営・ショップ運営→2018|一瞬コンサルタント→2018|銀座に位置する某広告会社でデザイン業務と新規事業に参画中

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  • 銀座とキャバレーと1920sの考察

    • 20本

    銀座、キャバレー、1920年代について独自の視点で捉えた感想や考えを書き記します。

最近の記事

個人的に1920年代のドイツの男性ファッションが好みだと気づいた話

 1920年代のファッションといえばイメージするのはやはりフランスのカルチャーになるだろう。 オートクチュールが世界を席巻し、欧米の上流階級の女性は最新のファッションを見るために年に二回はパリを訪れたと世界服飾史にもあるほどフランスを中心とされていた。 また、アール・デコの影響を受けたファッションをリードしたのもフランスと言える。 しかし、上記に挙げた内容はどちらかと言うと、女性向けのファッションが取り上げられることが多いように思える。  先日、古書店でこんな本を見つけた。

    • 複数の呼び名が存在した1920年代のアメリカ

       文明の発達した1920年代、アメリカには複数の呼び名が存在していた。 ・狂騒(狂乱)の20年代 ・黄金の20年代 ・ジャズ・エイジ  意味を考えずに字面だけで見る先入観では、「狂騒」と「黄金」では対極のイメージがあって矛盾しているし、「ジャズ・エイジ」に関しては、やはり芸術的なイメージを想像してしまう。 果たして、これらの呼称には何があったのか。なぜそう呼ばれるようになったのか。気になったのでざっと調べてみた。 狂騒(狂乱)の20年代 この「狂騒(狂乱)の20年代」は

      • 銀座に集まるアンテナショップ

         銀座周辺には、20店舗以上のアンテナショップが集まっている。 都内にいながら全国の美味しいモノや物産品が購入できるのはとても嬉しいことだ。 中にはイートインスペースを設けているアンテナショップもあるので、その県の郷土料理やB級料理を楽しむこともできる。 しかし、なぜ銀座にアンテナショップが集中しているのか疑問に思った方もいるのではないだろうか。 銀座だけでなく東京都で見ると、実はアンテナショップは約65件ある。 その中でも地価の高い銀座に集中する訳は、各自治体のPRやその

        • 銀座を守る銀座のルール

           お気づきだろうか? 銀座には超高層ビルが見当たらないことに。 東京タワーやスカイツリー等、高い所から銀座を見ようとすると超高層ビルが無いので実は少し凹んで見える。 そして、様々な表情の建物が建ち並ぶのに統一感があることに。 この統一感には、景観を守るためにビルの高さに制限があることに影響している。  話しはちょうど100年前まで遡る。 1919年、都市計画法と市街地建築物法(旧建築基準法)が日本で初めて公布され、 銀座の建物は最高の高さが31メートルに制限されたのだ。 1

        個人的に1920年代のドイツの男性ファッションが好みだと気づいた話

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        • 銀座とキャバレーと1920sの考察
          20本

        記事

          G2020 ご存じですか?

           G2020という言葉、ご存じの方はどれほどいるだろうか? G2020とは全銀座会(銀座の全体自治組織)が発足した将来に向けての銀座エリア活性化のプロジェクトを意味する。 「G」は言うまでもなく銀座(GINZA)を指し、「2020は」オリンピックの開催を視野に入れていることが見て取れる。 (Source:GINZA OFFICIAL) 概要としては、 夏季オリンピック、FIFAサッカーワールドカップ、ラグビーワールドカップと、世界3大スポーツ祭典と呼ばれるうちの2つの

          G2020 ご存じですか?

          銀座に鎮座してきたソニービルの過去と今と未来と

           2019年春、今現在ソニービルの跡地にはソニーの新しいブランドコミュニケーションの場をつくるとして体験型のGinza Sony Parkがある。 また、このGinza Sony Parkは2018年8月から2020年秋までと期間が限定されたスペースとなっている。  ソニービルの跡地(現Ginza Sony Park)の所在地は、東京都中央区銀座5-3-1で数寄屋橋交差点の目の前、そしてHERMESの隣りと言えばイメージしやすいだろうか。  その歴史は、1966年(昭和4

          銀座に鎮座してきたソニービルの過去と今と未来と

          サラッと触れる、アール・デコ

           直線的で幾何学的なモチーフ(パターン)を見ると、アール・デコと捉えてしまう。 すっきりとしていて合理的な装飾様式だ。  1925年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会(正式名称は「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)、省略してアール・デコ博といい、この略称にちなんで一般に「アール・デコ」と呼ばれるようになった。 またアール・デコは「192

          サラッと触れる、アール・デコ

          【妄想】もし、パーティーのドレスコードが1920年代の装いだったら・・・

           ここ最近、1920年代のことを調べる機会が多々あり、文献や本を読んでみたり(活字は眠くなるので流し見る程度)、映像(当時の時代背景がコンセプトの映画やドラマ)を見てみたり、音楽を聴いてみたりしている。  調べ物をする中で、百聞は一見にしかずではないがビジュアルで情報を得ようとする癖があるので、Googleの履歴はPinterestで1日分埋め尽くされていることもある。 そんなある日、Pinterestで当時の男性の洋装を見ていると思考が脱線してしまった。 もしも、もしも

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          狂騒のパリと芸術家

           狂騒の20年代。それは何もアメリカだけに当てはまる言葉ではない。 フランス・パリでも狂騒の時代を経て今がある。 フランスでは、狂騒の時代をLes Années Folles(レ・ザネ・フォル)と言い、第一次世界大戦直後の開放感と好景気で浮かれていた。 しかし、一方では戦後の混乱(トラウマ)を抱え無秩序が混在した時代だったのだろう。 そんな時代でも芸術という文化は廃れることなく、寧ろ芸術が開花した時代だったのではないだろうか。  1920年代のパリで活動していた芸術家達を総

          狂騒のパリと芸術家

          1920年代を生きた女性達【日本編】

           先日投稿した1920年代を生きた女性達【海外編】に引き続き、今回は日本での1920年代の女性にフォーカスしてみたいと思う。  当時の日本の女性と言えば、モダンガール(モガ)がまず思い浮かぶ。 モダンガールを簡単に説明すると、海外のカルチャーの影響を受けた女性達が当時の最先端な風俗や流行を体現していた開放的な存在と言える新しい女性像を言う。 以前記事にしたモダンガールに必要なものとはを見てもらうと、モダンガールとしての女性達の生き方を多少イメージしやすいかと思う。  モダ

          1920年代を生きた女性達【日本編】

          1920年代を生きた女性達【海外編】

           様々なものが躍進的に広まった時代と言える1920年代。 自動車や家電等の現代技術やジャズミュージック、アール・デコ等、今日に繋がる様々な(今風に言うと)コンテンツが隆盛したのが1920年代だ。 そんな1920年代の女性達の生き方やファッションにフォーカスしてみたいと思う。  まず1920年代の女性で1番に思いつくのはフラッパーという言葉(存在)で、そのライフスタイルやファッションを指す。 フラッパー以外にも当時、前衛的な生き方をする女性をギャルソンや日本ではモダンガール(

          1920年代を生きた女性達【海外編】

          モダンガールに必要なものとは

           先日、モボ・モガについて調べていてモダンガールの資格十箇条というものを見つけた。 読んでいて、当時の女性達がモダンガールとしてモダンライフを送るために必要な身構え、心構えがあったのだろうと考え込んでしまった。 こういった十箇条という思想はジェンダーレスな権利(男女の権利の差別を撤廃)を訴える女性達の叫びだったのかもしれないと考えると、フェミニズムを体現した女性達がモガだったのかもしれないという解釈もできる。 因みにモダンガールの資格十箇条は、調べていくとどうやら大正 15

          モダンガールに必要なものとは

          銀座に訪れる喫煙者へ、 憩いの喫煙スポットをレコメンド

           今日では、タバコというカルチャーは肩身の狭いものとなっている。 喫煙者はもちろん、非喫煙者に及ぼす副流煙も健康にいいものではないのはわかっている。 私自身、愛煙家であり喫煙できるお店の減少に戸惑いを隠せない。 禁煙と入り口に書かれているお店には入店する際に躊躇してしまうし、事前にネットで喫煙できるお店を探してしまうまでに至っている。 因みに、私が愛煙しているのはhi-lite MENTHOLだ。 以前はラムの香りが好きで吸っていたのだが5〜6年前から製造方法が変わってしまっ

          銀座に訪れる喫煙者へ、 憩いの喫煙スポットをレコメンド

          伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』を見て

           先日、国立新美術館に21st DOMANI・明日展を見に訪れた際にふと気になって手にした1枚のフライヤー。 詳細を見てみると、1920年頃のヌード写真の展示で場所は銀座。 これは見に行かなくてはと思い、早速行ってきた。  場所は、銀座4丁目に位置するArt Gallery M84。 歌舞伎座のすぐ近くで近隣にある喫茶店に後ろ髪引かれながらも我慢してギャラリーを目指す。  中に入ると1920年代前後に撮影されたビンテージの銀塩写真、50点弱が展示されていた。 日本では初め

          伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』を見て

          クローシェ帽ってご存じですか?

           クローシェ帽とは1920年代、30年代に流行した帽子で釣り鐘型で頭にフィットされるようにデザインされている。 少し前になるが、アンジェリーナ・ジョリー主演のチェンジリングという映画でかぶっっていたので目にしたことのある方もいるのではないだろうか。  クローシェの名前は、フランス語の『鐘』(clocheと書く)から由来されている。 流行当時、この帽子に似合うヘアスタイルとしてイートンクロップ(油性整髪料などで頭にぴったりさせサイドに流した髪型)やショートカットも同時に流行し

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          銀座の歴史に柳あり

           かつて、『柳』は銀座のシンボルであった。 今も銀座の街を歩けば街路樹として柳の木を見る事が出来る。 だが、過去には衰退や復活、紆余曲折様々な歴史を経てようやく中央区の木としてまた新たにシンボルへと返り咲くのだった。  1869年(明治2)、新両替町から「銀座」の名称となった5年後、銀座通りに日本初の街路樹が植えられた。 始めから柳が植えられたのではなく、最初に植えられたのは松・カエデ・桜だった。 だが、数年の内に銀座の土地では地下水位が高かったことが影響してほとんどの街路

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