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秩序としての清潔 #1

◆不審者を警戒するまなざし

◆ホームレスのままではいられない美しい街

うえむら 第5章です。P167の「不審な行動を取るもの・秩序からはみ出しているように見える者に疑いのまなざしを持つよう、たえず訓練されている」については、この章を通したテーマですが、保護者向けお知らせメールで、ナンセンスなことが書かれているというのはよく記事になりますよね。「50代男性が歩いているところを発見」とか、「いや、歩いているだけやん!?」という。

 しろくま P172で隅田川の話をしていましたが、数年前に浅草に住んでいた頃にホームレスは割と見かけました。隅田川にいるところを見たことはないですが、浅草のお店のシャッター前などにホームレスがいたし、自販機や切符販売機でお釣りをチェックしている人も日常茶飯事でした。東京で住む場所を決めるときに、不動産屋に「ホームレスいますけど、彼らは逆に気力がなくて、襲ってきたりはしないので安全ですよ」と言われたことが忘れられないですね。

うえむら それは、不動産屋はどういう感情で言っているのかな。

しろくま ホントですよね。

うえむら 不利益事実の不告知(消費者契約法§4②)にならないように言っておかないといけないのかな。だとすると不動産屋が何を「不利益」と判断しているかの変遷を見れば、都市におけるタブーを追いかけることができるかもしれません。

こにし ホームレスが犯罪を起こすというより、ホームレスが犯罪の被害者になるケースもあるのですよね。P174ではホームレスが減少していったことが、清潔さ、法制度と社会契約という表現で何となくお茶を濁されているし、率直に言えば、美化されている感じがしますが、路上生活者が暴力の当事者になることを防ぐという治安維持の側面という側面が扱われておらず、フェアでないように感じました。

うえむら ご紹介いただいた記事は読みました。

こにし 「過去には路上生活者の4割が襲撃被害にあっている」というデータですが、揺れがあります。厚生労働省のデータだと、「夜間等に襲撃を受けたことがある」ホームレスは十数%程度だったとされている。ところが民間の聞き取り調査だと40%に跳ね上がる。もちろん東京の一部、確か新宿と上野と浅草しか調査していないというサンプルの偏りはあるのですが、被害者になっているホームレスは多い。

しろくま それって「むしゃくしゃした」とかの理由なのかな。「お金を盗む」は動機になり得ないですよね。

うえむら 記事では、「ホームレスは人間以下だから、加害しても良い」みたいな動機で、若者たちがカジュアルに襲撃していると書かれていましたね。

しろくま ホントですね。「モノとしか思っていない」って書いてありますね。

うえむら 「統計に偏りがある」と聞いて推測したのは、厚生労働省の調査にはマトモに答えない、お上には頼りたくないという感情がホームレスの人たちにはあるのかなと思いました。逆に民間団体の横の繋がりだと、多少心を開く部分があるとか。

こにし 定性的な調査の面白いところがたくさん詰まっていると思ったのは、この記事の著者はシノドスにも寄稿しているのですが、聞き取り調査をしていると、Yes/Noで答える質問でNoにしていたとしても、よくよく聞いてみると「川に自転車を放り込まれたことがある」とか、それって「襲撃を受けている」に相当している内容だと思いますが、「そんなのは襲撃じゃないと思っていましたハハッ」みたいに、彼らの感覚ではYesには入らない。

うえむら 被害感覚の閾値がすごく高いというか、多少の被害は織り込んでいる。

こにし 典型的な社会的弱者ではあると思いますが、国家や自治体の視点でいうと治安維持的な側面が出てきてしまう。そういう意味で彼らはそこに「いるべきではない」のでしょうね。路上で犯罪が起きるのは基本的に良いことではないでしょうから。

うえむら それはそうですね。「川原」はどうなのでしょう。「路上」よりも周縁的だと思いますけれど。しろくまさんの浅草の思い出は、川原ではなかったのね。

しろくま はい、シャッター街など路上にいました。

うえむら 路上には、ヌシみたいな人がいますよね。私が東京にいた2年の間、半蔵門線三越前駅と東京駅日本橋口の間の一石橋の首都高高架下にはずっと常にホームレスの方がいました。2年間あの方は排除されていなかった。(2021.10にGoogleMapストリートビューを確認したところ、工事用バリケードといういけず石アーキテクチャによって排除済みでした。)

一石橋(西側歩道)首都高高架下のバリケード

こにし 意外と寛容なのかもしれない。ホームレス全員を収容することが、公営住宅に空きがある訳でもないので難しいのでしょうね。断る人もいるだろうし。同じ調査の中で、だいたい3割の方が「今の生活を変えるつもりはない」と回答したというデータもあります。そういうものなのだろうなと。

うえむら テキストの*10でも、川原でたくましく生きるじいさんの話が出てきますが、ホームレスと一口に言っても、「川原のじいさん」と「路上で息絶えている人」は性質が違う感じはしました。

こにし 自由意志の話もでてきますが、自由意志を尊重するという観点からすると結構難しい問題ではある。たぶん「川原のじいさん」に向けては福祉による対処が、対処という言葉すらも左翼的な表現だと思いますが、非常にパターナリスティックであると言いたいのだと思います。それはあながち間違っていないだろうけれど、それはそれで言い過ぎだろうとも思える。

うえむら 今やデジタルインフラが最低限度の生活に必須となっていて、やっぱり電源に拘束されているのだろうなと思いました。昔のホームレスはある程度の電気さえあれば自給自足できていたのだろうけれど、今はスマートフォンなど電子デバイスに繋がっていないと、最低限の生活を享受できないので、路上生活のハードルが上がっているのではないかなと思いました。

しろくま ホームレスもケータイを持っているんですね。

うえむら ケータイを持つこともできるだろうけれど、持てない場合は福祉の傘に入るしかない、という意味でホームレスを営みづらくなっていると思います。

こにし 特に若い世代だとそうかもしれないですね。ホームレス自体が高齢化しているという統計はあるみたいです。

うえむら 若者は、露天のホームレスではなく、ネットカフェに行くのですよね。ネットカフェ難民という形で街からは見えなくなるのだけれど、状態としてはホームレスに近い。そして新型コロナによってネットカフェの営業が停止することで、彼らが街に放り出された。一刻も早くハウジングしないといけない、という問題になりました。

しろくま 奈良にはホームレスはいますか?

うえむら 言われてみるとみないな。

しろくま 函館でも見ないですね。東京と大阪では見ましたけれど、私の知る限り京都にもいなかったと思います。都市ならばどこにでもいるというわけでもない。

うえむら ドヤ街みたいなのはどこの街にもあると思いますが、20年代においては、ホームレスすらも一極集中しているのかもしれないですね。

◆清潔で非暴力的なマジョリティ、不潔で暴力的なマイノリティ

こにし P176-177で男性論的な話が出てきます。暴力的なものが権力性を持っていたのが、今はダサいよねという風潮になっている。しかし居なくなった訳ではなくて、小狡くなったという印象です。主流派の屈強な男性はインテリヤクザになりました。権力性が喪われた訳ではなく、権力を使う場所が変わった。表立った暴力ではなくて、陰湿になっている。

写真を勝手に貼ったプルデンシャルの人も、彼はもはやフリー素材のように扱われていますが、屈強な体格の成人男性の、その中でも特に知識階級に足を踏み入れている人は、清潔さと、暴力性や身体性を両立させながら、権力の使い方を変えている。相変わらずこういう人は押しが強いですよね。

しろくま この間の話に出た「体育会ゴリラ」ですね。

こにし これがまさに「ワンルームマンションゴリラ」のイメージです。それ以外にも、ITシステムを構築する際の、暴力的な発注者もこれに近い。

うえむら そして、システムエンジニア側はヒョロガリなのですか。

こにし 事実ヒョロガリというところもあるし、立場上ヒョロガリとして振る舞わざるを得ない部分もある。特に日本の商習慣だと。ゴリラvsヒョロガリ【4DX】という構図にはなりますね。

うえむら 絶対に映画としては成功しないな。ゴジラvsメカゴジラのロマンの欠片もない。

こにし 全然感情移入したくないですよね。

うえむら ヒョロガリに感情移入してつらい気持ちになる謎コンテンツですね。

こにし 何も幸せな気持ちにならない。

◆清潔社会では「かわいい」は正義

しろくま P181「かわいいは正義」は共感なので、何かコメントしたかったのですが、特になく。「不安や不信を思い起こさせる存在は歓迎されない」と対比されていますけれど、「かわいい」と対比するまでもなく、不安や不信を思い起こさせる存在が歓迎されないのは本能的なものなのではとは思いました。

うえむら 「かわいい」以前にそもそも不安を相手に惹起させるようなコミュニケーションをとるなよ、ということですね。

こにし ここで議論すべきなのは、「不審な人たち」というよりも「清潔感のない人たち」と捉えた方が良さそうですね。清潔感さえあれば、「かわいい」以外でも承認される人種はいますよね。「かっこいい」みたいな。プルデンシャルゴリラが「かっこいい」かどうかは置いておいて、「かっこいい」人は清潔社会の中で正義から排除されるわけではない。

「かっこいい」が主流だった時代と比べると、「かわいい」が承認されやすくなった、けれどそれは「かっこいい」を否定する話ではない。「かっこいい」のステレオタイプ的な姿として、体格の良い屈強な男性であり、適度な年収があり、キレイなスーツを着ていて、日焼けしているみたいな姿は、清潔社会のなかで、丸の内をデカい顔して歩ける立場としてある。確かに自由が丘を歩いていたらちょっと違うかもしれないけれど。

うえむら そうですね。プルデンシャルゴリラが肩で風を切って歩いている現実を、「かわいいは正義」というフレームは描写し切れていない。「かわいい」よりも「清潔」という軸線の方が適切なのでしょうね。

こにし 誇張しすぎているのですよね。「かわいい」は旧来的な男性性を半分くらい否定した概念で、それはそれで革命的だと思いますが、熊野寮の中核派が夢見ていたような、「今ある価値観を打破して、新しい価値観を打ち立てる」みたいな考え方ではない。あくまでも男性性として承認されている、いわゆる3Kのような、かっこいいとか背が高いとかカネを持っているとか、もともとからある、今となっては陳腐化したような価値観にプラスアルファで、こういう人もロングリストにはいりましたよね、という話だと理解しています。EXILEがかっこいいことは否定されていないですよね。

うえむら P181では「SMAPや嵐」が例として挙げられています。ぼくはこの著者は昭和と令和しか知らなくて平成時代のことを知らない人だと思っていたのですが、一応平成時代にも生きておられたみたいで、平成の象徴として「SMAPと嵐」が登場する。しかしむしろ、令和へと平成ジャンプして、塩顔の俳優である星野源、中村倫也、向井理、田中圭とかが、男性性を脱臭して「優しい」みたいな価値の軸線の中で地位を得るに至っていることを描写した方が適切なのではないかとは思いました。

こにし それはめちゃくちゃ適切ですね。それは「市民権を得た」ということであって、他の男性が市民権を失ったわけではないというのが、わたしの主張です。みんなワイルドな男は好きです

しろくま これが誇張しすぎだというのは賛成ですが、「男性もかわいいは正義」という文字をみて思ったのは、そのようになってきているとすると、不安や不信を思い起こさせない「笑顔系」が正義になってきていると思いました。だからこそ、クール系のかっこいい人ではなくて、SMAPや嵐のようなアイドルでニコニコしている存在を取り上げているのだろうなと思いました。ちなみに私も塩派です

うえむら 笑顔という軸線は良いですね。プルデンシャルゴリラも笑顔だし。

こにし 清潔感と笑顔と、白い歯が大事です。

しろくま EXILEは笑顔のイメージがそんなにないですが、田中圭は笑顔のイメージがありますね。

うえむら 一方で、星野源や田中圭はアツい風評被害のなかで、「こいつ陰で女殴ってそう」と言われています。

テキストにある「無害性のディスプレイ」はそういう意味ですよね。P181のゆるキャラたちは典型的で、地方自治体がゆるキャラを定番として「かわいい」コンセプトの有用性を利用している。しかしお上は権力的な存在で、税という収奪を行って、市民の権利を侵害するのだけれど、その象徴がゆるキャラとして脱臭されている。そういう隠蔽や装飾が「ディスプレイ」という意味であると。

そういう意味ではプルデンシャルニキも星野源も裏で女を殴っていて、それを隠蔽するために笑顔を貼り付けているのかもしれないのに、それが見えなくなってしまったのが怖いですよね。「かわいい」「正義」の裏には陰湿なものが隠れている

こにし 余計なことを言うと、イメージづくり自体が精緻化されてきている。女性向けのマーケティングとして「笑顔」「清潔感」マーケティングを行うのですが、一方で星野はラジオでクソスケベなことを言って、男性向けのマーケティングも行っている。それによって星野は全てを得ている。人類の全てを味方に付けようとして、ある程度成功している。彼はマーケティングの成功例ですね。

うえむら 深夜ラジオのスケベによって男を籠絡し、ヒラマサというペルソナを纏うことによって女を籠絡している。

こにし 本当に裏でガッキーを殴っているかどうかは知りませんが、まず「ギャップ萌え」という概念があって、「ギャップ萌え」をさらにメタっていく姿勢は感心しますね。

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