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【読書感想】異常論文

〈ハヤカワ文庫JA1500番記念作品〉先鋭的なアイデアを架空論文の形で提示して話題を呼び、増刷なったSFマガジン2021年6月号の特集を書籍化。新たに十二篇の書き下ろしを収録。解説=神林長平
廃墟の中を蠢く無数のオブジェクトたち。彼らによって形成される異形の生態系−。先鋭的なアイデアを架空論文の形で提示して話題を呼んだ『SFマガジン』の特集に、新たに十数篇の書き下ろしを追加して文庫化。

発端・・・?

柴田勝家氏の作品群でいうと、『雲南省スー族におけるVR技術の使用例』(『アメリカン・ブッダ』に収録)は文化人類学を下敷きにしたSF、それも"意識"の在処を問い立てる流行のSF(このジャンル、何か名前ついているんですかね?)という感じを受けるのに対し『クランツマンの秘仏』(ハヤカワの溝口力丸氏がnoteにアップしている)や『オンライン福男』(『ポストコロナのSF』に収録)は「論文」というより「偽史」という印象を持つ。

なので「異常論文」というフレーミングには柴田勝家氏自身が最も困惑したのではないだろうか。そして、『火星環境下における宗教性原虫』では、そうしたズレを意識して、原虫というモチーフを複合させることで(バカバカしい学名を多用して)「論文」という看板に寄せて来たのではないか、柴田氏はとても真面目な人物なのだな、と感じる。

批評・・・?

このツイートを見たときはまだ雑誌版(SFマガジン2021年6月号)しか読んでおらず、①未来SFの"設定資料"を論文の体裁にした作品と、②柴田勝家氏のキリスト教分派史を始め、研究者の伝記調にした偽史モノに大別された印象を持っていたので、「どういうこと?」と思ったのだが、文庫版を読んでいくと確かに『第一四五九五期<異常SF創作講座>最終課題講評』飛浩隆(1960年生)と『ベケット講解』保坂和志(1956年生)は「批評文」をスタート台にした創作になっていると感じた。

各感想は下に書いている(単品としてはどちらも面白かった)が、公募を勝ち抜いた『次元拡張レウム語・・・』や『アブデエル記』といった佳作たちがレギュレーションに忠実に編まれているのに対し、この2作はどうも既に名のある作家たちの”やっつけ”感があるというか、レギュレーションに沿わせるというより「若い樋口氏の期待に鷹揚に応える」ことを命題にしているようでなんかイヤでしたね。

論文・・・?

母学部(そんな言葉あるのか知らんが)は卒業論文を要さなかったので私は「論文」というものを書いたことがなく、大滝瓶太氏の揶揄するように「執筆経験」を資格にして初めて感想を陳述できるとするならば、私には何も論ずる資格はない。というか最近は卒業要件に論文執筆を求める大学自体が結構少ないとも聞く。

が、素人ながら少なくとも「論ずる際には先行研究との関連性の位置づけが必要」とは思うので、その意味で注釈や引用(それ自体が創作でも良い)のひとつも無い論文は「感想文」だし、単純に「創作」と何が違うの?というのが分かりにくいので、ある程度のレギュレーションは課して欲しかった。

一方で、だからといって注釈と引用と科学用語と数式で埋め尽くしていればそれでよいのかというと、そういう形式論こそがいわゆるソーカル事件で問題提起された対象なのであって、難しいところ。(逆に注釈だけで埋め尽くしている『四海文書注解抄』のメタ姿勢には笑いました。)

と言うように、「論文」というフレームに拘りすぎると争いの元になるのでもう「創作」だと割り切って楽しめば良いのだが、難波氏は若いからか樋口ニキの打ち立てた金科玉条とイキリ仕草に中てられて、まだ衛兵然と気負いを感じました。

各感想

決定論的自由意志利用改変攻撃について 円城塔

テクノミュティス相同体というキャッチーな概念(生命体?)が「想像」や「予測」によって現実に影響を及ぼすと主張しており、その主張の内容を人類が読み解こうとした論文。3までは分からんでもないのだが4以降は華麗な式変形をショーとして眺めている感じだった。

空間把握能力の欠如による次元拡張レウム語の再解釈 およびその完全な言語的対称性 青島もうじき

理系論文からうってかわって文化人類学論文。音声言語ではなく視覚言語(手話における手のように、放散虫チャートの石板を用いる)により通信する少数民族にARデバイスを導入して・・・というとまさに『雲南省スー族』に近いが、そちらがケアリングを担う女性たちに視点を向けていたのに対して本作は双子の姉妹が対等な通信という理想へ向かっていくことに関心を向けている。

解説には「想像力のベクトル」の違いに考慮して掲載順序が決められているとあり、言語を取り扱った作品としては後半の『無断と土』や伴名練作品に近いイメージを持つが、二者関係の極限を追求するという意味では円城作品に近いとも捉えられる。

インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ 陸秋槎

投げた縄が空中で静止するインディアン・ロープ・トリックについて、使われていたロープが、ヴァジュラナーガという鱗を硬化させて固まる蛇だったという説を展開するワンアイデア。短め。

掃除と掃除用具の人類史 松崎有理

並べると異色。いや、通常のアンソロジーだとむしろ普通の部類なのだろうしポップな雰囲気は一般ウケしそうだが、他の作品に比べると小さくまとまっていて、正直途中から退屈だった。著者は「架空論文」というジャンルで創作しているらしく、隣接分野の担い手として声がかかったものと推測するが、いまいち樋口氏のノリにはついていけていない感じ。

世界の真理を表す五枚のスライドとその解説、および注釈 草野原々

スライドを使っているシリーズで前の作品と並べてあるのか。「マイニングギルド」という集団が思想(教義)を学習している形式で、空洞化した地球と魂の形状のアナロジーが説明され、その世界観への向き合い方によって人間を八つの立場(思想集団)に分類する。そうした分類を前提として、信徒たちが異なる思想集団への攻撃に至っていくことが予見される不穏さがあるのだが、ページを跨いで組み合わせを確認するのが面倒でもある。

INTERNET2 木澤佐登志

個の遍在性めいたものを表現するために世界史上の出来事をランダムに並べているだけなのだが、木澤氏が並べると何らかの意味があるような気がするから不思議である。その意味では確かに「何を書いても異常論文になってしまう作家」ではある。

裏アカシック・レコード 柞刈湯葉

「この世界のすべての嘘が収録されている」という裏アカシック・レコードについて、学術的関心と社会的影響を想像しており、一番まとまって面白かった。おおかたの評もそんな感じ。(この作品を冒頭に置くべきだという声も多いように見受けられる。)文庫版まで読み通してみても評価は変わらず。演算能力はあるけれど、演算時間がネックになるとか、世界中の研究者や政治勢力によって演算資源が奪い合われるとか、人間側の解釈が追いついていない、などなど、スーパーコンピュータとのアナロジーを意識しながら楽しく読めます。

フランス革命最初期における大恐怖と緑の人々問題について 高野史緒

フランス革命期に南仏には首都の恐慌が伝わったが、それと並行して「緑の人々」という地球外生命体が飛来していたのではないか、という論文で、「歴史定数」やノストラダムス予言などこじつけのオカルトのような雰囲気が上手く出ていて、個人的には文庫版初出の論文の中で一番面白かった。やっぱり文系寄りの論文の方が好きなのか。

『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延──静寂機械・遺伝子地雷・多元宇宙モビリティ 難波優輝

反出生を突き詰めた絶滅主義が浸透した未来に、その浸透プロセスを振り返るという形式。流行も掴んでおり、オチも良かった。

『アブデエル記』断片 久我宗綱

考古学枠として。テキストの内容自体は「外部に対してだけ開かれた禁足地」という存在が謎めいていて興味深いが、七つの大罪を軽くなぞっているだけにも見える。むしろ周辺情報である発掘の状況や現地語訳と邦訳のプロセスや学会報告の形式などがそれっぽく作り込んであってガワの方が面白い作品と感じた。

火星環境下における宗教性原虫の適応と分布 柴田勝家

資本虫(M.capiacapita)、共産虫(Moneta distributa)など、イデオロギーを原虫に喩えて皮肉っているのがメインの着想なのだが、舞台を火星にすることで「言うまでもなく月棲宗教性原虫の起源の一つは『竹取物語The Tale of the Bamboo Cutter』において発見された複数神性類の輝夜月虫(Shintium kaguyaum)だが・・・』というキャッチーな一節から始めて、プレーンの人間は同じで、寄生された原虫によって党派性が生じるだけなのだ、という共生を促す人類愛に満ちた論考になっている(?)

SF作家の倒し方 小川 哲

箸休めの内輪ネタ論文。小川氏は『ポストコロナのSF』に寄せていた作品もレギュレーションを最低限だけ踏まえたものだったし、あんまりアンソロジー好きじゃないのかも。Amazonレビュー言うところの本アンソロジーの「ホモソーシャル的痴態」を最もよく体現した内容とも言えるのだが、個人的には好きです。せっかく取り上げるならば宮内悠介氏と高山羽根子氏の異常論文は是非読んでみたかったですが、樋口恭介氏は早稲田の先輩と女性に対して日和っているのでしょうか。

第一四五九五期〈異常SF創作講座〉最終課題講評 飛 浩隆

空間や時間が無限になったことで様々な創作が成立可能となった時代における、アートのようになった作品を「講評」から照射して鑑賞する作品。工夫の凝らされた作品群は単純に唸るし、評者の癖のある好みを隠そうとしない態度も適度に好感を持てて面白かった。

ただし形式としては、確かに文学賞最終候補作って講評だけ読んで作品に触れる機会がない、身近な「存在だけが語られる存在」として独特なので、こうした形式を選んだのは慧眼とも言える一方、「論文」というお題に対して「講評」で応えるのはどうなのかとも思える。

樋口一葉の多声的エクリチュール──その方法と起源 倉数 茂

『奇異譚とユートピア』長山靖生では以下のような記述があり、それを思い出していました。

「言文一致」は心のままを文に書くの謂であったが、そもそもその「言」が、「心」の僅かな部分しか日常の語としては乗せていなかった。特に論理的な思念を表わす言葉は日常語にはほぼ存在しなかった。・・・身分を越えての議論は多くの日本人には無縁だったのであり、そのための言葉も存在しなかった。主張したいことを乗せるべき「話し言葉」自体がなかったのである。(P359)
では、どのようにして「言文一致」で「文語的主張、論理展開」を「言の言葉」に移してゆくのか。一般に文学史では、近代文学者の多くが言文一致体を模索する過程で参照したのは、円朝落語の速記本に示された話し言葉(語り)だったとされている。しかしもうひとつ、講談や演説も重要な役割を果たしていたと私は考えている。(同)

「明治期の近代的意識と戯作者意識の混在する「窪地」にあった表現」というのは、こういうことを指しているのだと思いますが、それが『たけくらべ』を題材に丁寧に説明されていて良かったです。ただ第二節の締めはゾクゾクしたけどその後のオチがイマイチだったな。

ベケット講解 保坂和志

ベケットとの出会い、解釈。「書かれていることを順番に沿ってそこに伏線も絡められ一つ一つ押さえていくことによって読書行為の報酬が得られる」という形式の作品ではなく「いろいろとつまらないことにこだわる」「人とは別の注意の働かせ方をする」作品を、一気に読んだり、つかず離れずの距離で楽しんだりという読書スタイルを主張しており、大変共感できるのだが、これは「論文」ではなくエッセイか私小説でよいので、このアンソロジーに載っているのは不適切だと感じます。

ザムザの羽 大滝瓶太

大滝瓶太氏は『白い壁、緑の扉』(早稲田文学2021年秋号に収録)も読んだが人間とエピソードの無限性をだいぶ思弁しており、当該作に載っている視点とエピソードの複層構造の図なんかは割と分かりやすいし、推理小説の無矛盾性など物語の合理性の限界については後期クイーン命題を京大の先輩である法月綸太郎から継承する意気込みも感じて嫌いではないのだが、題材にしている海外古典文学に全く興味を持てないしコンテクストも分からないので個人的にはとっつきにくいです。オリジナル恋愛小説に唐突にan図を挿入して欲しいです。

虫→…… 麦原 遼

マジで訳わかんなかったです。5.「回答例から作った質問例」は面白かった。それ以外何も分からなかった。

オルガンのこと 青山 新

腸と蝶、オルガン(器官)とオルガン(楽器)というモチーフを絡めて腸に拘ってまとめてある。腸海(わだつみ)、腸内(インナースペース)などのルビ芸も。器官としての腸に着目した作品だと白井智之先生のアンソロジーを思い出す(確か腸を縄にして館の棟と棟を足跡を残さず行き来したとかだった)が、本作は消化プロセスとその結末としての排泄を過剰に意味づけしようとしており、腸のようにぐるぐる思考を巡らせふらつきながらも面白く読めると思います。

四海文書(注4)注解抄 酉島伝法

酉島節の難解な漢字は[]内の不穏なメタ視点にも登場しながら、レポートの登場人物同士のコミュニケーションから生じたテキストの不気味さにグッと囚われる。(ここから先の4作品は「テキスト」の剛性によって読者を魅了しようとする点で共通しているとも読める。)

この作品でも謎の教団が登場し、不気味なテキストの成立過程には、何らかのただならぬ目的や精神状態の統制が図られることが多い、という契機の話としてひとまずは理解できるだろうか。

場所(Spaces) 笠井康平・樋口恭介

「開くたびに更新される.mdファイル」から吐き出された意味不明なテキストを独自開発したソフトに読み込ませて、宇宙と愛と未来に関する言説を抽出する話。後半からその読解が始まってそこはまあまあ面白いのだが、前段の共著者同士がTwitterSpaceでワイワイ話している感じはムリに美文調にせず、大学サークル的な等身大の書き方でよかったのにと思った。

無断と土 鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座)

20世紀初頭の怪談論とVRゲームが融合した意欲作。世間的な評価も高い模様。全体を統一的に理解するのは難しいのだが、とにかく面白いことは分かるという不思議な作品。

解説──最後のレナディアン語通訳 伴名 練

多義的な語彙を持つレナディアン語という言語体系によってファンタジー小説を作り上げた”界隈”の記録が解説として浮かび上がってくる。クトゥルフとか、なんちゃらサーガみたいなジャンルとその”界隈”の空気感を突き詰めた創作として、後半から少女監禁という生臭い服部まゆみ的答え合わせが始まるのも含めて面白かった。

なぜいま私は解説(これ)を書いているのか 神林長平

タイトルから困惑が伝わってみえるが、読んでみると「異常論文に創作意欲を惹起させられたからです」という意外と素直な内容。「想像力のベクトル」という解釈には納得できる良い解説でした。

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