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20年の会社勤めで何を学んだか。

勤続20年と9カ月。
通り過ぎてみれば疾風のようです。

夏ごろから独立に向けて動き出しているので妙な感じもあるのですが、公式には本日で退職となりました。

何事も時間が経てば良き思い出になるものではあります。
しかし、それを差し引いたとしても、学ぶことが多く興味深い日々でした。

私の場合、自分の関心と仕事がかみ合わないと、面白く学ぶことができません。また、学ぶことがなくなると内に籠るかフラフラしはじめるというキャラクターでもあります。

そんな私が1社で20年もお世話になったわけで、その懐の深さには感謝してもしきれるものではありません。

このnoteはいわゆる「退職エントリ」ではなく、自分自身の学びに焦点を当てて会社生活を振り返ったものです。

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働きはじめてから今日に至るまで、実に多くのことを学びました。
それはビジネススキルや技術だけでなく、多岐にわたります。それだけ私が世間知らずだったということでもあります。

私は一次産業が多い田舎で育ちましたので、トカイのホワイトカラーの実態をよく知りませんでした。また、学生時代から特定のグループにべったり属さずピンでいるような内向的な性格でした。

更に、テレビドラマを全く見ない上、大学時代はテレビ自体もあまり見ないような生活を送っていたので、会社や社会人のイメージを持っていなかったのです。

そのため、組織人としての振舞いがポンコツで、おまけに出世欲もゼロ。そんな私を見て奇妙に感じた同僚もいたことでしょう。

例えば、入社したとき以下のような状態でした。今思うとホラーです。

  • 課長とか部長とかの役職の関係がわかっていない。

  • SE以外の職種を知らない。

  • 月収や年収、働き方を調べないで就職活動をした。

  • 上下関係に疎い。

  • 新聞や経済ニュースを全く読んでいない。

では面接で何を話したの?ということですが、修士でやっていた研究について話をした記憶があります。

大学では計算代数と量子アルゴリズムの研究をやっていたので、まず量子計算機の原理を説明した上で、代数方程式やグレブナ基底の話をしました。量子計算機がニュースにたまに出てくるようになった今でもしんどい話題なのに、2002年にこの話を聞くのはキツイですよね。

よく入社できたものです。

しかし人間の柔軟性とはすごいもので、職場に配属されて1年も経つと、頭の中が量子計算機の話題から労務知識に変わっていました。勤務形態がこれこれで年休残日数が云々、みたいな。人事・総務系のシステム開発に携わっていたからです。

人間やれば何とかなるものですね。

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会社生活で学んだことは多岐にわたります。

スキルという意味では、ITのアプリ開発からプロダクトの管理、プリセールス、データサイエンス、ミドルマネジメント、コンサルティング、講師など挙げればきりがありません。

様々な仕事にダイブする中で、実践と独学を両輪で回すことがスキルの習得に効果的だったと思います。

職場は実践そのものであるわけですが、それは目の前の仕事だけが対象とは限りません。例えば、製品開発を担当しているなら、その製品を中心において、その前後左右に広げてみると、考えることはたくさんあります。

仮に自分がひとりの若手開発者であったとしても、PMとして課題はあるか、マーケティングの観点で売りは何なのか、将来のロードマップはどうしたいか……などと勝手に考えることはできます。

頭の中は自由なのです。

私はSE時代からデータサイエンティスト、マネジャーに至るまで、こうした視点でいろいろと考える癖がありました。

そして、当然ながら自分のスキルや経験を超えたトピックスになってしまうので、独学をはじめるわけです。本を大量に読み、職場の課題と紐づけながら、実践の機会を伺っていました。

もちろん、好機はそうそう来ないものですが、学びながら待っていると不思議とそれを活かせる場面が出てくるのです。

その機会を捕らえるために日々学んでいるといってもよいのですが、正直に言えばアレコレ考えて学ぶこと自体が楽しいと感じていました。

何事も好奇心を軸にして節目の選択を行ってきたことが、これらの行動の根底にあると思います。

その第一歩は、ITに関心をもって遊ぶことから始まりました

その後、大学の学部・学科、研究室、就職先の選択それぞれで、大切にしてきたのはやはり自分自身の関心でした。

逆に言うと、関心を持てないことに対して努力をすることができない性格なのかもしれません。そのため、「将来に備えて」資格を取るとか、社内人脈を作るといった行動ができませんでした。

この特性と行動習慣により得たものは大きかったのですが、デメリットもないわけではありません。組織人として手痛い失敗をしたこともありますし、同期から「君は無駄なことに投資をしているね」といわれたこともありました。

それはある種の現実であり、どのような道を歩むかは人それぞれなのだと思います。

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ここまでに述べたハードスキルの習得も大切ですが、仕事で学んだことは更に奥深いものでした。

一番に思いつくのは、「思いをもって仕事をすること」です。

あらゆる仕事に対し、主体性をもって創意工夫を凝らすことの意義を学び、実践してきました。この学びは初めての上司と職場の影響がとても大きく、幸運だったと今も思います。

また、人と一緒に仕事をする上で大切なことをたくさん学びましたが、コミュニケーションスキルという括りで表現することは少し難しいものに感じます。

というのも、先ほど書いたように私は集団で動くのを苦手としていたので、職場で揉まれながら成長せざるを得なかったのです。内向的であり、人よりも何周も遅れている自覚がありました。

したがって、人や社会との関わり方や会話の方法を学びつつ、その上で自分に適したスタイルを作り上げる必要がありました。その過程で学んだことは私にとって大きなものでした。

このように、職場という実践的なフィールドで学んだことは多く、様々な機会を提供してくださった皆様には、本当に感謝しています。

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ところで、「学ぶ」という言葉をはじめて意識したのは学生の頃です。以下の一節を目にしたときでした。

もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、年老いることは苦痛ではない。これは一般論だ。

風の歌を聴け,村上春樹

当時は正直よくわかりませんでした。しかし、この歳になってようやく、この一節の持つ意味が重く感じられるようになりました。

学ぶことは楽しく、人生を充実させます。
しかし、その歩みは簡単に止まってしまうものでもあります。

意識して新しいことに挑戦し、興味をもって学ばなければ、あっという間に足が止まってしまうように感じます。そうなると足元から根が生えてガッチリとその場に癒着してしまい、動くのが億劫になることでしょう。

社内でのポジションが上がってきた40代になって、しばしばこのようなイメージが頭に浮かぶようになりました。いつの日からか何かが変わったのです。

その源は間違いなく自分自身の中にありました。

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組織も変わるものですが、それは本質ではないように感じました。なぜなら、現代における会社や組織というものは、常に何らかの変化を目指すものだからです。

現代の組織における極端に高いレベルの変化は、人々を半永久的なトランジション状態に置く傾向があることを覚えておく必要がある。組織の再編成、合併、技術的な変化、戦略的な転換、絶え間ない新製品の生産は、ほとんどの組織を常に不安定な状態にする。
現代社会は、社会的変化のレベルを高く維持しようとする人が重んじられる歴史上初めての社会なのである。

トランジション,ウィリアム・ブリッジズ

思えば20年近く同じ会社にいたわけですが、確かに様々な変化がありました。それは経営方針や組織に関するものだけでなく、世間や技術トレンドも含まれます。

そうした中で、変化の波に身を任せている時期もあれば、明確な意志をもって自らの環境に変化を起こすこともありました。言わば、セルフリスキリングです。

このように、20年来の仕事環境を振り返ってみると、いつも変化はあったのです。

ですから、今になって「足元から根が生えてきた」という感覚に至った背景は、会社でなく自分自身の中にあると考えるべきでしょう。

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ということで、今回の決断は自分自身の選択の結果です。

やってみたいことと学びたいことの交差点にあったのが、たまたま独立だったということです。

デイワンは公式には明日ですが、自分の中ではずっと前に訪れました。
日々学ぶことが多く、充実しています。

今の活動を支えているのは、職場で経験し学んだことが根底にあることは間違いありません。そして、今後はそれを越えて学んでいくことが大切になるでしょう。


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