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根性と馬力で生きる”逃げない”私の原点 - 人生は伏線回収の旅

「根性と馬力がある。」

私をよく知ると、周りから割と言われる台詞です。

体育会系の何事も全力投球タイプでは全くないのですが、ここぞと決めた時のやり抜くタフさはあると自認しています。

私の人生のモットーは「伏線回収」。人生で無駄な経験はなく、どんなに辛いことでも、回収して自分次第で自身の成長に繋げられるという意味です。
そのために大切にしているのは、重要な局所で”逃げない”こと。

原体験となるのは、やはり幼少期の環境。亡くなった父の影響について、書いてみました。

情緒不安定で、学歴至上主義の父

父は、私が小さい頃からずっと情緒不安定でした。仕事をしないわけでもない、暴力をふるうわけでもないのだけど、気分のムラが激しいことの常識の範囲を超えていました。

自分のマイナスの感情を我慢できず、夜中に突然怒鳴り始める。ターゲットは同居していた祖母でした。つまり父にとっては実の母。毎日なわけではなく、1週間に1回ぐらい。私に怒鳴るわけではないけれど、夜中3時に響き渡る怒号。幼心に、今日は怒鳴る日か?怒鳴らない日か?日中に顔色を伺い、怒鳴らない日でありますように…と願いながら眠る日々でした。

ビクビクしながらもどこか冷静な幼い私は、「自分の感情を抑制できなくて可哀想」「一度病院に行って治療してみたらいいのに」と思っており、父に何度か説得を試みたり、迷惑だと伝えていました。よって、父の影響で意見が言えないビクビクした子に育ったわけではありません。

そして父は、学歴至上主義で全く子供を褒めない人でした。全科目網羅すべきという意味で、私立は認めない。現役で、偏差値の高い国公立に行くべきという方針を持っている。

「姉より成績が悪い。」
我が家では、小学生の頃からこの台詞をよく言われていました。確かに姉は優等生で優秀、一方私は、遊びや恋愛やおしゃれもちゃんと両立したい、勉強だけなんて絶対嫌だと思っており、親からしたら不真面目で出来が悪い子だったのかもしれません。(一般的には真面目な自信があります…!)

理系科目がとにかく苦手な私は、The私大文系の頭脳。高校3年生の夏まで、私立に行く気満々でした。

でも突然、父を見返そう、本気で認めさせようと思い、志望大学を国立文系に方向転換。姉と比べられ続けることへのストレスが限界にきていた、とも言えます。
その後半年間は、ひたすらに猛勉強。強い意志をもってやり遂げ、無事、旧帝大に合格したあの日が、父が私を褒めた最初で最後の日になりました。

負のエネルギーを利用して、成功体験と馬力を培う

父の概念であった学歴至上主義は、世の中としても崩壊しつつあります。社会に出ると、学歴だけ高くて仕事が出来ない方・しない方はたくさんいる。そういった世間を見ているので、私自身は学歴至上主義ではないですが、ただ、父には感謝しています。なぜなら、自分で決めた目標はやり遂げる「馬力」が培われたから。

「姉と比べて出来が悪い」と言い続け、褒めない教育が良いとは全く思いません。心のどこかで認めてほしい承認欲求が強く、いつも子供ながらに苦しかったので、私が仮に子供を持った場合はそのような育て方はしません。

ただ、全てを「いいよ~凄いね~」と肯定し続けると、人は現状維持で良いと思い、向上心や負けん気は育ちにくいような気がしています。自己肯定感は適度に高いことは大切だけど、あまりに高すぎると、今の自分のままで良いので努力をしなくなる傾向がある気がする、というのが(あくまで私の)持論です。

人がエネルギーを出せる根源は、負の感情や健全な劣等感だったりします。楽しい時やワクワクしている時ももちろん力を発揮できますが、負のエネルギーの持つパワーはすさまじい。
例えば、可愛くないと好きな人に振られた女の子が、のちに見事に綺麗になったりします。負のエネルギーは、いかに上手く利用するか。

私はたまたま受験でしたが、部活でもスポーツでも何でも良い。一度馬力をつけてやり遂げる成功体験があると、「何があっても自分は何とか出来る」という自信に繋がります。いわゆる自己効力感が向上し、努力する才能が培われます

最期に寄り添い、苦手を感謝へと昇華

ずっと、父の怒鳴り声に振り回されてきた、成績が悪いとバカにされてきた。そういった意味で、父のことは苦手、嫌いの感情の方が強かったです。近所ですら、父と2人きりで出掛けたことは一切ありません。(記憶がないのですが、母曰く、幼少期から私が拒否していたとのこと。)

そんな父が、私が24歳の頃、末期癌になり余命宣告をされました。
そして同時に、母の癌も発覚しました。幸い母は初期癌でしたが、2人同時、加えて実家は小さな会社を経営していたため、そちらを滞りなく続けるにはどうしたら良いのか。

私は新卒で入社した会社を退職し、実家の手伝いと両親の面倒をみることにしました。そこまでする必要があったのか?私のキャリアも中断されるし、本当に良い決断だったのか?

母も同時に癌になり、もちろん物理的に色々なことをする人がいないというのもありましたが、「最後ぐらい、苦手な父と向き合おう。」と思ったのが最も大きな理由です。

当時、看護師さんに「人は最期を迎えた時、その人の本性が出ますよ。」と言われたことがあります。
父は、あれだけ気分のムラが激しかったのに、最後の数カ月は本当に穏やかで、生涯で見たことのない父の姿でした。癌に加え若年性認知症も併発しており、子供である私のことは既に誰か分からなくなっていました。でも不思議と、母のことだけは認識し、それまで口にしたことのない感謝と愛の言葉を伝えていました。

そんな穏やかな父の姿を見た時、本当の姿はこっちなんだ、気分のムラが抑えられず本人もすごく苦しんでいた、愛情表現が苦手で不器用だったけど、本当はちゃんと妻想いで家族想いだったんだ、と初めて父と真正面から関り合えたと思います。たとえ私のことは分からなくなっていても、そこには確かに感じるものがありました。

苦手だった父から”逃げず”に、傍にいて最期を看取る、そう決めてやり遂げたからこそ、「これまで育ててくれて本当に有難う」という感謝へと昇華された瞬間でした。

人生は、伏線回収の旅

冒頭でもお伝えしたように、私の人生のテーマは「伏線回収」。
嫌なことや辛いことがあっても、そこにはきっと意味がある。その伏線を回収し、自分次第で成長や成功に繋げるという意味です。

人は生きていると、困難や壁に必ずぶち当たります。今順調でハッピーと思っていても、それは生きている限り、必ずいつか訪れます。
私も、仕事で大きな壁な直面したり、結婚・離婚など、今に至るまでに色々ありました。何度も谷底に落ちながら、誰からも何からも、そして自分自身からも”逃げない”馬力で這い上がってきたと思います。

負けそうになりながら、泣きながらも食らいつけるのは、やっぱり自分を信じているから。あの受験の時のように、負のエネルギーをパワーに変え、自分の底力を出して努力することで目標に到達できる、と信じられるからです。

逃げないと言っても、所構わずファイターになる必要は全くありません。私も苦手な人とは最低限しか付き合わず、適当に交わしてます。仕事でも、心を病むほどであれば、絶対に逃げた方が良い。

でもその中で、避けて通れない事象や、自分がもう一段階ステップアップするにあたり、思わず逃げたくなる壁は必ず出てくる。自分が踏ん張れるギリギリを見極めて、苦手だと思う相手にも向き合うことで、感謝への昇華に繋がり、出会えて良かったと思えるのだと考えます。

父だけでなく、離婚した元旦那さん、かなり厳しい圧を加えらた元上司、渦中は色々な想いが渦巻いていました。でも最後まで逃げなかった。だからこそ今、私を成長させてくれて、私と出会ってくれて有難うと心から思えています。

この先どんなことが待っていたとしても、過去の経験が伏線となり、必ず回収できる日が来る。もちろん回収作業には痛みを伴うこともあるけれど、理想の自分になり、理想の生き方で幸せになるためには、必要な作業なのだと思います。

なぜ我が家は、父の影響で平和じゃないんだろう。なぜ私は、姉と比べられなければいけないんだろう。何十回も何百回も嫌だと思ったことはありますが、そんな伏線は、今大人になってこうして回収できている。やっぱり人生無駄な経験はないのだと思っています。


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