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【レポート】窪田町の「昔」に触れるまち歩き

窪田町の歴史を紐解いてみたら、何が見えてくるだろう?

そんな閃きから、地域に受け継がれてきた歴史や文化を知るために窪田町を歩いてみることにしました。案内人をお願いしたのは、窪田町商店会会長で田口呉服店店主の田口一雄さん。長年、窪田町を支えてきてくださった重鎮です。

この日のためにたくさんの資料を準備して待っていてくれました!

窪田町は、江戸時代には陣屋町としてにぎわい、明治時代以降も近隣に進出した大手の大日本炭鉱勿来鉱業所の消費地として、繁栄してきました。しかし昭和40年代に幹線道路からはずれてしまったことで、現在ではかつてのにぎわいが薄れています。

「子どもの頃に見ていた景色と今では、町の様子はずいぶん様変わりしているね」と田口さん。長年、この町の移ろいを見てきた田口さんの記憶をたどって、さっそく町へ繰り出してみました。

その昔、町の中に水路があった


「昔、ここには荷揚げ場があったんですよ」

そう言って案内してくれたのは、窪田町通り沿いにある「升田屋呉服店」さん裏の広場でした。「荷揚げ場??」と頭にハテナを浮かべていると、かつてこの場所には水路があって、江戸から物資を船で運んでいたことを教えてくれました。

県内一円に物資を流通させていたほどの水路があったその場所は、現在は埋め立てられて道路になり、荷揚げ場の痕跡はわずかに残るばかり。現代の生活の中では見落としてしまうし、教えてもらわなければそこに何があったのかもわからないほどです。

100年も経たない間に、町の景色ががらりと変わってしまうことに驚きました。

荷揚げ場の脇にあった建物。物資を置く倉庫のような役割だったことが想像できる
蔵について説明してくださる田口さん

荷揚げ場には蔵がたくさん立ち並んでいて、物資を保管していたそうです。今はわずか1棟が残っているのみで、中には大切な江戸時代からの資料が保管されているのだとか。当時を知る手がかりがあるかもしれないと思うとわくわくします。

窪田藩の名残が残る町

次に向かったのは、1000年以上の歴史を誇る「國魂神社」。國魂神社は、大同元年(806年)に菊多国造(きくたくにのみやつこ)が出雲神社から勧請し、創建されました。社内には、國魂神社本殿のほかに北野神社、菊田御霊神社、稲荷神社、田神社があります。

毎年どぶろくまつりの様子
どぶろくまつりの様子

毎年10月の第2日曜日には、1年間の無病息災を願う「どぶろくまつり」が行われ、多くの参拝者が訪れます。昭和30年代までは、町内から青年が引き回した山車が何台も出て町内をめぐったり、北茨城からも貸切バスで多くの人が祭りに訪れるなど、今以上の賑わいをみせていたそうです。

農中の安全と五穀の豊饒とを祈念する田神社
奥に見えるのが勿来第一中学校。かつては窪田陣屋の敷地となっていた。
用水路もお堀の名残だとか

國魂神社の裏手にある田神社へ行くと勿来第一中学校が見えました。すると「勿来第一中学校は窪田陣屋があった場所なんです」と田口さん。

窪田藩は内藤政長が女婿である土方雄重に2万石を与えたことからはじまり、窪田陣屋は1622年(元和8年)に土方雄重によって築かれたそうです。陣屋の遺構として、中学校近くにある小さな石碑と校舎の北側にある切岸から、当時の名残をわずかに感じることができました。

芸妓さんが町を歩いた時代があった

最後に案内してくれたのが「源助霊社」。窪田町にとって、源助さんは忘れてはいけない存在だと田口さんが教えてくれました。

その昔、「源助霊社」が立つ窪田町白山は、人家も少なく寂しい場所でした。しかし、明治時代に入り、炭鉱で町が栄えるようになると遊興を求めて多くの人が入り込んできたそうです。

舟生源助さんは私財を投げ打ち、料理店や待合、芸妓屋からなる三業地を誘致しました。そのおかげで白山地区は昭和30年代まで賑わい、当時の地元の人たちは白山の地名を「源助町」に変更してほしいと陳情まで出したそうです。これは実現には至りませんでしたが、源助さんの功績を祀る神社が建てられたのだとか。当時の人たちが、いかに源助さんに恩恵を感じていたか伺い知ることができます。

「私が子どもの頃にはもう芸妓さんはいませんでしたが、父の代には町を歩く姿をよく見かけたそうです。『稲荷神社にお参りしている芸妓さんの後ろから、着物をまくったんだ!』なんて話をよく聞かされたね(笑)」

窪田町に芸妓さんが存在していたなんて今では信じられませんが、源助さんのいた頃はさぞ賑やかだったことでしょう。そんな様子を想像して、当時を羨ましくも思いました。

どんな町にしていきたいか

歴史を紐解きながら歩くと、今まで見ていた町の景色が一変しました。

「私が子どものころはスーパーなんてなかったから、買い物の中心は商店会でした。お米屋さん、お肉屋さん、八百屋さん、酒屋に呉服店、いろいろなお店が連なっていて、たくさんの交流がありました。今は、どこの町へ行っても同じスーパーやドラックストアが並んでいて、変わり映えしない景色に寂しさを感じます。その土地土地の個性が出るような町がやっぱりいいよね」

田口さんは最後にこうお話ししてくれました。

先代たちが積み重ねてきた風土や文化、アイデンティティーを大切にしながら、現代でも窪田らしい町づくりが実現できればいいなと思いました。そのためにも、歴史を知ることは大切な一歩なのかもしれません。

ぜひ、皆さんも窪田町を歩いてみてください。今まで知らなかった歴史に触れることで、窪田町の新しい魅力を発見できるかもしれません!

参考:いわき市「いわきの今むがし」
参考文献:いわき郷土史勿来の歩み(山田 慶次郎著/いわき顕彰会出版)



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