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フリーザ様の戦闘力は・・・

昨日梅干しを食べた。
そうすると中からタネが出てきたので
そのタネは捨てました。

これ普通ですか?
普通じゃないですか?

そう聞かれると割と多めの人が
普通と応えるだろう。

でもどうだろう。
梅干しの種の中には
その中にさらに小さな種のようなものが
入っている。
それは柔らかくて食べられるものだ。
それを小さき頃、おじいちゃんが
食べているのをみて真似してやっていた。

おじいちゃんは小さき頃に
戦争を経験しているし
兄弟も多くて常にお腹が減っていたって聞いたことがあるから、今思い返せば昔、食料が少ない頃の知恵,つまりその時代はみんながやっていた普通のことだったのかもしれない。

梅干しの食べ方1つ語るだけでも
"普通"とはかなり定義しにくい。
おそらくたぶんいろんな食べ方があり
そのいろんな食べ方の全てにその人なりの
"普通"が存在している。

そんな"普通"は最初から周囲共通の"普通"なわけではなく周囲のかなり少ない人達の「賛同や共感」を経て肥大化し強固なものとなっていく。

そして
知らず知らずのうちに、あなたとあなたの小さな小さなコミュニティ間の"普通"が世界共通であるかのように口から旅立っていく。

「そんなん普通やろ」
「普通に考えたらわかるやん」
「そんなん常識やろ」
「普通はこうするやろ」
「そんなこともわからへんの?」
「ちょっと考えたらわかるやん」

文字にすると恐ろしくはないだろうか。

そんな普通ってどんな普通なんだろう。

普通に考えるとはどんな思考なんだろう。

普通にするとはどんな"する"なんだろう。

ちょっと考えるとはどれくらいの思考時間でどんな考えを巡らせることなんだろう。

口太郎も気をつけなければと思い
今日も心の中で口走ってしまった。
「普通満員電車の時、荷物は自分の膝の上か上の棚におくやろがぃ、ぼけなすー」
っと。

こんな恐ろしい言葉が口から旅立たないように
"普通"に類する言葉達を
檻の中に閉じ込めようとするのだけれど
うまくいかない。

でも工夫はしている。
心の中だけにとどめるのだ。
「おいこらぁ。満員電車の時、自分の荷物は普通自分の膝下か膝上か、棚に置くかして普通席あけるやろがぃ。何考えどんねんぼけーぃ。」
などと声を荒げたりは決してしないのだ。

いやいや
「普通電車の中でそんなはしたない言葉を
しかも大声で人様な向けて言うたらあかんやろ。」とかそう思った、いや、心の中で口走ってしまったそこのあなたは、今一度"普通"の使い方と向き合った方が良いのかもしれない。


"普通"という言葉の力の
戦闘力は53万なのです。



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