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※これはつまらない文章です

最近とあるWEB記事に辿り着いて少し読んだ。それは「◯◯な人5選」みたいな内容の記事で、なんの根拠もない5選のそれぞれに対して筆者が偏見と悪意に塗れた意見を面白おかしく述べている感じだった。一目でわかるジョーク記事である。
正直なところ、その記事は僕には刺さらなかった。別に「他人に対する偏見をジョークにするな」「性格の悪さをコンテンツにするな」みたいなイマっぽい炎上めいたことを言いたいわけではなくて、単純にその記事のユーモアは(僕にとって)つまらなかった。元来僕は、性格の悪いジョークで笑えるタイプのはずである。面白いと思わなかったものを「面白おかしく」なんて表現してしまう僕も相当性格が悪いのだから。

どんな人が書いているんだろう?と思って記事を最後までスクロールすると、筆者は著名な放送作家の人だった。
僕はぞっとした。なぜなら、その人は本来「面白い人」のはずだから。面白さを仕事にしていて、その人が生み出したコンテンツで多くの人が楽しんでいる。さらに怖いのは、あの記事だって著名な放送作家が書いたと最初からわかっていれば、例えばその人の著書の中(出しているか知らないけれど)の一節だったりしたら、もしかしたら面白く感じていたのかもしれないということだ。素性がわからない、声も表情も乗らないテキストメディアの難しさ。そして自分自身の読者としての色眼鏡にも気をつけなければならない。


さて、noteは管理者ページから自身の記事の閲覧数などが見れるようになっている。僕は普段まったく確認していないのだけれど、これを機にふと見てみるとそれなりの数の人が(読んでいるかはさておき)ページを訪れているようだった。僕を知る人が読む分にはこの人相の悪い髭面が文章から透けて見えるだろうし、僕自身も人相の悪い髭面として文章を書いているのだけれど、ふと訪れてくれた人にとっては素性がわからないにも程がある。僕は著名どころか作家ですらないのだ。
「素性がわからない人間のユーモアは受け入れ難い」という先の知見に乗っ取って、少しでも僕の文章が面白く映るように言っておこう。僕の正体が人相の悪い髭面であるというのは嘘で、実はブロンド髪のハーフ系美少女だということを。12歳の。ね。


面白いとか面白くないとか、それも大事だけれど、心地よく流れるように読める文章であることも大事だ。そもそも僕はそういう文章の練習のためにnoteを始めたのだから。これが本当の「つまらない」文章ってね。お後がよろしいようで。つまるところ、後はよろしく。

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