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朝起きると窓の外が真っ白である。
昨晩まで「今年は雪がなくていいな」「もしやこのまま来ないんじゃないか、冬」なんて思っていた僕を嘲笑うかのように、真っ白である。
毎年やってくるXデー。この瞬間が僕はたまらなく嫌いだ。

札幌生まれ札幌育ち(寒そうなやつは大体友達)。雪の量もカチコチに凍った道も当たり前に染み付いている。しかし毎年しっかり苦痛なのである。例えば倍くらい遠く感じる駅までの道のりとか、一人分に狭められた細道で向こうから人がやってきたときの緊張感とか、その人の靴と自分の靴の強さを脳内で比べて自分が雪に足を突っ込む覚悟を決める瞬間とか、冬靴の重さとか硬さとか、そんな重くて硬い冬靴でも滑るときは滑る無力さとか。そういうことを一気に思い出して憂鬱になってしまう。

「慣れとは苦痛を忘れさせるものではなく、むしろ忘れなくさせるものである」
冬への文句を並べていたら思わずそんな名言が浮かんだ。ニーチェでもカントでも他の誰でもなく僕の言葉。後世に伝えていきたい。


「光くしゃみ反射」という、なんとも捻りのない、頭の悪そうな名前の現象がある。
太陽とか眩しいものを見るとくしゃみが出てしまう現象で、日本人の4人に1人ほどがこの反射を持っているらしい。そしてかくいう僕も「光くしゃみ反射」に選ばれし1人なのである。

冬に僕を悩ませるのは寒さや吹雪だけではない。僕のような「光くしゃみ反射持ち」に言わせてみれば、よく晴れた冬の日だって大変辛いのである。
なぜならば積もった雪は広大なレフ板と化して太陽光を反射し続けるから。外を歩いていればどこにいても、ふえ、くしゅん。眩しいのである、くしゅん。
耐えられず雪から目を離そうと上を向くのだが、もちろんダイレクトに太陽。しまった、くしゅん。

歩きながらくしゃみをし続ける僕の姿はきっと滑稽なのだろう。そしてその原因が「光くしゃみ反射」なのだからより滑稽。くしゅん。おっとごめん、ちょっと「光くしゃみ反射」で。ダメだ、滑稽すぎる。これがもうちょっとかっこいい名前なら。ゲシュタルト崩壊とか、カリギュラ効果とか、世の中には沢山かっこいいのがあるじゃないか。
(ちなみに「光くしゃみ反射」は猫が持っている反射らしいと知ってちょっとだけ許した。ちょっとだけ。)


「冬来りなば春遠からじ」という言葉も、毎年ふと思い出しては「そんなことはない」と異を唱えている。札幌の春はまだまだ、果てしなく遠い。
誰かの代わりに足を雪に突っ込みながら、滑らないよう注意しながら、滑稽にくしゃみをしながら、できるだけ健やかな冬を過ごしたい。
もうすぐ今年も終わるのである。

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