ビジネスライター100日の記録と気づき

約100日間、計14本の記事をはまのりさんのライターとして書いてきました。これが僕の人生において初の長期的なライターの仕事です。

週に一回、一時間、zoomではまのりさんのお話を聞き、編集し、三千字程度の記事にしていくというのをやっています。

はまのりさんは元リクルートの方で、組織人事コンサルタント/新規事業開発者/プロメンタルコーチをしています。年間で何百本という(ベンチャーからたぶん小学生も知る大手企業までいろんな会社の)経営会議に参加し、何百人かのキャリアの相談に乗っているそうです。

僕と打ち合わせする日も、夜8時くらいなのですが、必ず前後に予定が入っていて、たまに疲れている顔をしていらっしゃる時もありますけど、ワクワクしながら仕事をしている姿勢が伝わってきます。

今日は、そんなはまのりさんについて少しと、ライターとして僕が考えるようになったことをつらつらと書きました。


未来少年コナンのような子ども時代

はまのりさんこと浜岡範光さんは、静岡県のど田舎で育ちました。山で秘密基地を創り、川では銛で魚をつき焼いて食べる生活だったそうです。本当でしょうか?笑

僕はそういう生活は未来少年コナン(宮崎駿監督のアニメ)くらいでしか見たことがありませんが、彼は上京するまで日本中の子供たちはみなそういう幼少期を過ごしているものだと思っていたそうです。信じるか信じないかは・・・

そんなコナンみたいな少年は、なんと小学一年生の時から少林寺拳法を学んでいます。僕の弟も格闘技をしていますが、タフさとか打ち負かされない自信みたいなのはそれで身につくのかもしれません。

彼にとって少林寺拳法の道場で年下に教える経験が「あぁ!俺、人に何か教えるのが好きなんだ」という気づきとなったんだそうです。

その後、大学生の時には塾でバイトしてモチベーションの低いおばちゃん講師と喧嘩したりしながら、卒業後リクルートに入社。人事で採用を2年、営業を5年、経営企画を1.5年経験してから卒業し、今はもんのすごい数の社会人と企業にアドバイスをする一流のプロとして活躍していらっしゃるわけです。


僕から見たはまのりさん

先ほど書いた経歴にしてもそうですが、僕から見たはまのりさんは僕とは全然別の路線を歩んでいる方に思えます。いわゆるキラッキラの社会人そのものという印象です。

(とはいえ、共通点もあります。教えるのが好きなのと読書が好きというところです。多忙ながら小説も読むんだそうです)

そんなはまのりさんに代わってキャリアについての記事を書くというのは、僕にしてみればいろんな意味でチャレンジングで、人生の風向きが変わった出来事なんだろうなと思います。

だって、僕とは違う路線を歩んでいるとか以前に、就活すらしたことのない大学1年生がライターとしてとはいえ社会人に向けて記事を書くんですよ。イリュージョンです。

そんなわけで、社会人のリアルな考え事や悩み事、いろんなケースの社会人の方を知ろうと色々な方にお話を聞かせてもらったりビジネスマンが主人公の小説を読んでみたりと独自に勉強しています。

また、記事を書く際にはとかくいくらでも見つかる同テーマの記事を読み込んでどんな工夫がなされているのか研究しています。

この仕事を引き受けていなければこんな視点で考えることはなかっただろうと思うのですごく面白いです。


僕らは話を聞けていない

ライターをしていて学んだことがあります。僕らは思いの外話を聞けていないということです。

だいたい1本の記事を書くのに30分ほどお話を聞く必要があります。一対一で、一つテーマを持って話すプロが伝えてくれていますし、聞く側の僕だって、一応大学生ですし、メモを取りながら聞き、質問も挟みながら、なんならレコーディングまでして見返しながら記事を書いています。

これで記事を書くなんて(時間さえあれば)一見簡単そうに思えます。

しかし、それでも書きあがった記事をはまのりさんにチェックしていただくと直しの指摘を受けるところがいくつも見つかるのです。つまり、齟齬が生じている。だからすり合わせが必要になります。

翻って、僕らの日常交わされるやり取りはというと、テーマは持たず(次々移り行き)、メモも取らず(レコーディングなんてもちろんせず)、すり合わせもそこそこに進んでいきます。

おそらく、この状態で会話した内容について記事として編集し書いてまとめたら、相手は「そんなことは言ってない」「そういう意味で言ってない」という内容になってしまうのだろうなと察せられます。


要するな

とはいえ、まあこれはある程度仕方のないことだとも思います。人は聞きたいように聞き、見たいように見ますし、それがその人独自の世界を生み出しているのでしょう。

ただ、自分は相手の言っていることをちゃんとは聞けていないのかもしれないという疑いを持つことと、少しでも理解に近づきたいと歩み寄ることは必要だなと感じます。それが優しさであり賢さ。

僕らは、あまりに相手の言っていることを断定しすぎてしまいます。「要するにこういうことね」なんて感じで理解した気になっている。

でも、要してしまってはダメなんです。

たとえば悩みなんて抽象化してしまえば大抵ありきたりになるように、結局当人にとって大事なのは細部のニュアンスなのです。話す側にいるときはそれをわかっているのに、聞く側になるとつい忘れてしまいがち(小説を読むときには思い出す人が多い気がします)。

そもそも言葉にしたり文章にしたりしている時点で経験している本人としては細部を切り落としているつもりのはずなのです。
だから、本来は相手のことを理解したいと思うなら、虚心に言ったこと書いたことを正しく把握してその上でさらに想像力を働かす必要があると思います。

抽象化しないと比較や分類はできませんが、まずきっちり観察しようという姿勢がないと深く繋がれない、すれ違ってしまうと考えて良いでしょう。


たぶん、ビジネスでも同じ

ビジネスでもたぶん「要するに」は曲者です。要約力は絶対に必要なスキルですが、細部のニュアンスを感じ取れなければ現実の成果には繋がらないのではないかと想像できます。※はまのりさんと接していて思ったことであって、本当に単なる想像です。

おそらく若手社会人もベテランも、持っている抽象的な枠組みは同じです。要するにお客さんを大事にしろってことですよね、みたいな。

しかし、若手は細部のニュアンスをまだ持っていない。だから、お客さんを大事にしているつもりなのに当のお客さんに「あんたは自分の金欲しさで仕事をしているだけだ」なんて言われてしまったりする。

一般化すれば、細部のニュアンスを持たないうちはむしろ、ついつい全てわかっているという気になりやすいということが伺えます。

「人生って山あり谷ありだよね」なんて小学生が言うのを見て微笑ましくなるのは、その辺の事情から来るおかしさがあるからでしょう。


自分が届ける立場なら無粋

(要すれば笑)聞く姿勢って大事よねという話ですが、でも自分が伝える側にいるときに「おい、細部をちゃんと理解しろよ」と指摘するのは無粋だとも思っています。

それこそ、伝える側が受け取る側の細部のニュアンスを理解していないと言えるでしょう。あいつは俺の話を真面目に聞く気がないと断定しているかもしれません。

自分が伝えようとしている相手は誰であろうと複雑で、細かいニュアンスのかたまりです。その人が細部を聞いていないようなら、細部を聞けない、もしくは聞かない事情があるのです。

話が逸れるのでその話はこちらへどうぞ↓


僕は、自分が届ける側にいる時はなるべく長い時間幅で考えるようにしています。

具体的に言うなら「いつか誰かに響けばいいな」というくらいの姿勢で書くようにしていますし、誠意を持って伝えようと(あるいは伝えないでおこうと)したことだけでもほんのり伝わったらいいなと思って話そうとしています。

もちろんそれは理想であり、ついつい自分の伝えたいことが相手に届かないことに落ち込んだりもします。でもこの理想があるからこそ、その虚しさを相手への怒りだとか憎しみとか恨みに転化させることはありません。それが今の僕なりの誠実さ。


最後に

今日は一体なんの話なんでしょうか。

最初からだいぶ違う話題に逸れて行ってしまったように思いますが、一応ライターとしての気づき、ライターとして考えたことです。

大変な時もありますが、書くのってやっぱり楽しい🎶

仕事としても書くようになってから、文章の「細部」をもう少し想像できるようになって、読むのも楽しい♪

こんな話、しゃべったら説教みたいになって誰も聞いてくれないでしょう。

いつも最後まで付き合ってくださる方に心より感謝しています。


ではでは。今日はこの辺で。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

サポートいただいたお金は、僕自身を作家に育てるため(書籍の購入・新しいことを体験する事など)に使わせていただきます。より良い作品を生み出すことでお返しして参ります。