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僕がかわいいと思う人間について

人のどんなところに魅力を見出すかって、その人の感性が現れているなと思います。

ただ、それを表現するのは難しい。

Facebookやnoteで毎回見てしまう人の投稿は自分が見出した魅力、面白みについて伝えるのが上手いんだなといつも唸らされます。

自分が見たものについてどう考えるかはもちろん、何を見るかさえ、それは独自のもの。それを上手く表現することができれば、人を惹きつけることになるんだなというのが最近腑に落ちたことです。

しかし、同時に、自分の見え方や感じ方が独自であることに納得していても、そこから学びを得ることは難しいものだなとも感じます。

ごく日常の出来事から読ませる記事を書いたり、心を引き込む写真や映像を切り取れるってすごい才能ですよね。


日常を書いてみたんですけどね……

そんなことを考えながらここしばらくを過ごしていて、自分も一見代わり映えのない生活を送りながらもそこに光るものを見つけ、それをなんとか言葉にしたいという思いが募っていました。もちろん読み応えあるものを書こうと意気込んでいました。

すると、自然に日々の過ごし方が変わります。いや、表面上の過ごし方は変わらないんですが、受け止め方が変わることで実質別の体験にさえ見えてくるのです。興味深い変化でした。

しかし!

そうしてこの前書いてみたのが草むしりの話と、弟とキャッチボールした話なのですが、あんまりウケはよくなかったですね笑

まだまだ修行が足らん、といったところでしょうか。

長い長い前置きはさておきまして。今回も日常系にチャレンジです。

今日は僕が「かわいい」と思う人間について書こうと思います。僕、けっこう人に理解されにくい人の側面をかわいいなと思う節があるようなんですね。


矛盾がかわいい〜かわいい1〜

人のかわいいところって、矛盾しているところにあります。

僕の知人に、The理系みたいな人がいます。すごく頭がいい。

彼は人のやること考えることを冷徹なまでに科学的な目で見ています。意識は電気信号に過ぎないとか、筋肉への信号の表出に過ぎないとか、善悪は生物的な合理的選択の結果に過ぎないとか(僕がいまいち理解できていないのでわかりにくくなってます)。

時たまこういう方っていますよね。進化生物学とか脳科学とかを論理の中心に据えている人に多いイメージです。

僕も一時期、橘玲さんの本に凝っていた時には人生なんて無意味だし、世界なんて偶然の産物だし、自由意志なんてないようなもんだし・・・といったことが頭を渦巻いて暗い気持ちになっていました。

今もその認識は変わっていませんが、そういう「理屈」と「気分が病む」という流れをある程度自在に組み替えられるようになったので割と平気です(それが凡人というものなのかもしれません、知らんけど)。

僕のこういうものの見方についてはこの前ショーショートとして書きました。

僕から見ると、理性的で賢い彼が自然な感情によってあそこまで悶えていることがかわいくて仕方ないんですね。愛おしい。

下に見ているというわけではないんです。とにかく、かわいい。伝わりますかね。


弟がかわいい〜かわいい2〜

続いて、僕の弟です。かわいい。

武闘派で寡黙な弟は、なんにしろインプットしたことを言葉にするのがすごく苦手です。

僕は、弟の勉強を手伝う時、まず今からやる分野のことで今まで学んだことを聞きます。先に知っていることを思い出させて、それから教科書を開いて確認させることで理解しやすくなると知っているからです。

ところが、彼は単語でしか覚えたことを言えません。「喜望峰」「大航海時代!」「コロンブス!!」ってこんな調子です。簡単なものでいいから文章にしてみてくれと注文すると「んー」と唸って何も喋れなくなるのです。

まずそこがかわいい。

そんな言語化が苦手な彼が、時たま家族の思い出をポツリと語るんですね。僕すら忘れていたような、家族が4人だった頃夜にドライブした話とかいつかの焼肉が美味しかった話とか。

もちろん、短文の連続ですから、こっちはなんの話をしているのか理解するのに時間がかかります。でも、彼はニコニコしながら喋る。そこがかわいい。これはさっきのより伝わりやすいかわいさかもしれませんね。

弟のかわいさは語り足りないのでこちらをどうぞ。


衝動がかわいい〜かわいい3〜

衝動にはその人のダメさっぷりというか、茶目っ気というかが出ていてすごくステキです。ダメだとわかっているんだけれど、その人が寄って立つ思想と矛盾しているんだけれど、という感じでやっているのがかわいい。

どうしても落ち着かなくてそわそわしているあいつ。

ふわっとしていて素直なんだけれど感情が大きく揺れ動くとそれを全部ツイートしてしまう後輩。

自分の理性が強いことを自慢していながらすぐムキになる先輩、大好きなうん万円の人形を衝動買いして後でちょっと困惑している友人。

ダイエットぉぉぉと言いながら食欲と格闘していたあの人、穏やかに哲学の授業をしていると思ったらすごい些細なことでキレる哲学科の教授。

後になって、あちゃーと思ってしゅんとするのを想像するとなおのことかわいい。葛藤することのできる優しさを持っている人の「やっちまった行動」はかわいいし、そういう人は信頼できる、そう思います。


気づいてないのがかわいい〜かわいい4〜

自分が正しいと信じきっていたり、周りが見えていない人の発言や表情がかわいいです。

金持ちになりたいと思っていない人を「かわいそうに」という目で見るリッチなビジネスマンとか。かわいくて思わず笑ってしまいます。「サンタさん知らないの?」と哀れみの目をむける子どもが想起されます。そちらもかわいい。

ビジネス系のセミナーで、発言がスピリチュアル寄り過ぎて周りに苦笑されているおじさんもかわいいですよね。

「ふつうはそんなことしないよ!!」という根拠だけで遠くの誰かの話にプンプンしている女性もかわいいです。

腹が立ち過ぎて別アカを用意して憤りをツイートする人もかわいい。すごく腹が立って、「正義」を執行したい気持ちで手が止まらなくて、黙って新しいアカウントを作って、ガンガン文字を打っていくのを想像するとかわいいです。妄想がほとんとですが。

僕がこういうところってかわいいよねと言う時、一番理解されにくいなと感じているのがこの辺りです。「イライラしないの?」とか「絶対バカにしてるでしょ」と言われることが多い。断じてそんなことはありません。かわいいと思う時にはほっこりしているんです。


自分がかわいい〜かわいい5〜

あとで振り返ると自分にもかわいいなと思うところがたくさんあります。

人と話す時しつこく一人称を何にするか迷うところとか、ネタ記事を書いた時に反応が薄いとさっと消しちゃうところとか、6年くらい前まで親の仇かというくらい喧嘩していた弟が年々愛おしくなっているところとか、考えるのは好きだけれどいつも詰めが甘いところとか。

まだまだありますよ。

時折衝動的に「世のため人のため、やる!!」と宣言し、ほぼ無計画のまま人を巻き込んで盛大にこけるところとか、今日は悲しい文章を書くために悩むぞ!と張り切り過ぎて悩みを太らせすぎて数日立ち直れなくなったりするとことか。

なくなったメガネが冷蔵庫から見つかるとか、優しくありたいとか言いながら面倒に感じた相手に雑に対応しちゃうところとか。

ほんと、かわいいなところがあるなと思いますね笑


「かわいい」のすゝめ

ここまでに書いたようなことについて「こういうのかわいくない?」と友達に話したら「かわいさというか、愛おしさとか人間味みたいなことじゃないの?」という指摘を受けました。そうかもしれません。

まあそうだとしても、かわいいという言葉を当てることを僕はあえてしたいと思います。

人の変だと感じるところや、周囲の人がバカにしたり怒りの目で見ているところをあえて「かわいいな」と呟いてみる。

そうすると、なにか違う見方が降ってくる。そんな気がします。だいたい、マイナス感情に囚われて人を判断し接すると自分からよくない反応を招きかねません。

それよりは「かわいいな」と呟いてみて、マイナス感情に囚われる自分をいったん壊してみるといいんじゃないかと考えています。

同じように、自分のドジなところや拙いところも、いったん「かわいいな」としてみましょう。その方が囚われなくて済みます。自然でいられる気がします。

You're cute. And I'm cute, too.


終わりに

今日書いた文章って、枕草子みたいですね。「春はあけぼの」のノリを感じました。「をかし」の方が「かわいい」より近いのかもしれません笑

それはさておき。

かわいいと思う人について書くのは楽しいですね。息子の成長をnoteに綴りたくなるのも頷けます。

それにしても。

かわいいって脆いし儚いですよね(唐突)。

そこがまた愛おしさを生んでいるんだろうな。みなさんもぜひ、ちょっと意外な人物の中にかわいさを見つけてみてください。優しくなれた気がしますよ。なに言ってるんだろ?僕。


ではでは、今回はこの辺で。

かわいいみなさん、最後までお読みいただきありがとうございました。


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