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このタイミングで自分の一年を振り返る記事を書くライターはめちゃくちゃ多いと思います。

だから差別化して僕は!

と言いたいところですが、やっぱり抗いがたいので一年を振り返ります。

全力で面白おかしく、とはいえ事実をお伝えしますので、よろしくお願いします。

べべん。

2019年、激動の1年だった。
2020年の自分から見ればゆらぎレベルでしかないかもしれませんが(期待)。

1月の大学受験。

3月、共に起業を目指し失敗した、最も誇らしい仲間たちとのしばしの別れ。

3月は、卒業パーティー、二次会、カラオケ、那覇新都心公園で朝までトーク。間もなく終わる青春を最後までしゃぶり尽くそうとするかのように過ごした。

迫る別れを前に、何度も語らい、ふざけ合ったなあ。今も鮮明に覚えている…

あー、どんな話したっけな。

うん・・・鮮明では、なかった。

そして、それぞれが新たな地へ散った。

4月、富山での1人暮らし。
初日に、住んでいるアパートに日蓮系の宗教勧誘が来た。あんまり話し相手がいなくて寂しかったので、1時間ほど質問しまくってしゃべらせて、お菓子までもらってしまった。ラッキー。その後つながりはない。

1週間もしないうちに、ゲストハウス起業を目論む先輩方に出会い、即仲間になった。

異常にしゃべりが下手なのにどんどん話しかけ、怪しまれたりもしつつ、少しずつ友達が増えた。

5月6月は毎日面白い出会いがあった。ただ、ちょっとここに書くにはパッとしないのでカット。

7月には学生団体総選挙で東京へ。意識が高いだけじゃなく、行動力が飛び抜けている学生が集まっていて、刺激を受けた。人生初のヒッチハイクをした。めちゃくちゃ楽しかった。また行きたい。

さて、ゲストハウス起業に向けて動くうち、大学の授業をすっぽかし過ぎて、4つ単位を落とした。面白い。


不器用な私には、大学と創業時の経験をすることを両立できないと悟り、休学を決意する。

ママンは激怒した。

8月、いよいよゲストハウスにする建物が見つかった。DIYだ!!たくさんの富山大学生がこのDIYで仲間になっていった。天井に壁紙を貼る作業で腰と肩をやった。面白い。

9月、満を持して?沖縄に帰った。母との決闘である。なんとか納得してもらい、休学することが決まった。長くいても喧嘩するだけなので、予定よりだいぶ早く飛行機を取って逃げるように富山に戻った。

私はもう、富山に戻りたくて仕方なかった。というブログを書いたらめっちゃ読まれた。本心で言ったのが良かったのでしょうか。

ゲストハウスの名前は、寄処(よすが)になった。
私の命名である。素直にうれしい。すごくよすが(よさげ)。


ごほん。

オープン予定は遅れに遅れ、10月に開業。

初日のお客さんは、着物で世界を2周し、今は立志塾を運営する伊藤研人さん。

(↓着物を着ていないレアなタイミングでの写真です)

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その次に来たのが、『1億円思考』の作者、江上治さんだった。
幸先の良いスタートだった。追い風が吹いているようだった。

その江上さんが置き土産にこんな提案を残していった。

「富山で人を1000人集めてみろ」

私はなぜか、即答してしまう。
「僕がやります」と。

普通は、やりたいことがあって、それに1000人集める必要があるから、その方法を考える。

ところが、私は1000人集めたいから、それに足る構想を練らなければいけなかった。

ぜんぜん簡単ではない…にもかかわらず、

私はSNS上で声高に宣言してしまう。


なにがなんでも!僕は富山で学生を1000人を集めます!!」と。
なんの根拠もなく宣言し、それが何百人かに晒されて、事態は加速していく。

次から次へと面白い出会いが生まれたのである。
同時に、毎日毎日壁にぶち当たった。自分だけのことではなくなったからなおさら大変なのである。

11月、なにがどうなってか、1ヶ月以内にわらしべ長者で100万円を作り、そのお金で生協コンビニを買い占め、買い占めたものをラウンジで配り、演説することになった。

はあ?

では、もう一度。
1ヶ月以内にわらしべ長者で100万円を作り、そのお金で生協コンビニを買い占め、買い占めたものをラウンジで配り、演説することになった。

完全に血迷っている。

Twitterで買い占めを宣言するとプチ炎上した。自分としては予想外なまでに荒れた。

意味不明な量の批判コメントが溢れたが、誰も直接私のコメント欄には書いてこない。ん?

おまけに学務に呼び出され、当日はコンビニ前に4、5人のスーツマンが張り込んでいる有様。

彼らは、「明日1人の大学生が買い物をするのを止めて欲しい」という仕事を受けているのだ。ちょっと情けなくないか!?

結局、まったく資金は足りなかったし、学務に止められたので、別のスーパーで300袋ほどお菓子を買い占め、持って行った。それを仲間と共に食べ、寄ってくる人たちに渡し、話をして、LINEを交換した。

やったあと、変な先輩にめちゃめちゃ説教された。

もはや何がしたいのかよくわからないことになっていた。

11月はちょっと内容が濃過ぎて語りきれないのでまた。

12月、東京から来たイベント会社とコラボして、富山城址公園で、大きなクリスマスイベントを企画から関わらせていただいた。そこでまた新たな繋がりが生まれた。

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さらに、ちょっとスピリチュアルな面白いおじさんと仲良くなり、その人と東京3日、沖縄3日の弾丸旅行。なんとすべての費用をおっちゃんが持ってくれた。


というわけで、久高島に初上陸。

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ついに私は、本物の久高となったのだ!!(※僕の名字は久高なのです)


その旅によって、なんかよくわからないけどガンダムの作者(安彦良和先生)に絵を描いてもらえるっぽいことになった。ほんとかな。

相変わらず、彼女ができるような気配は微塵もない1年だったけれど、異常に毎日濃密で、行動しまくって、脳がちぎれるほど考えに考えた。そして、富山でビックリするくらい広い繋がりができた。

もはや沖縄で知り合っている大人より、富山で知り合った大人の方が多い。


〜〜〜〜〜〜〜語り部モード終了〜〜〜〜〜〜〜〜


1年の間にいろいろあり過ぎて、うまく端折ってきれいにまとめたつもりが、なんだかカオスな文章になってしまいました。半分くらい冗談だと思って聞き流してください笑

最後に、なぜこんなにカオスな1年を楽しみながら送ることができたのかという話。

それは、沖縄にいる愛する仲間たちに、面白い話を持って帰りたい!が私の大きな原動力だからです。

彼らに面白い土産話を持って帰って、笑ってもらって、楽しく語り合いたい。それだけ。

ではでは。なんか恥ずかしいのでこの辺で失礼。

みなさん!
2020年を、楽しみましょう!

今回も最後までお読みいただきありがとうございました🙇‍♂️

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