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23歳の沖縄県民が富山で過ごした4年半を振り返る

富山大学への入学と同時に、地元沖縄から富山にやってきた。

休学していた時期も数年あるので、まだ大学生をしている。

入学したのが2019年、僕が18歳のときのことで、今はもう23歳だ。

富山生活も5年目になる。

僕の生活圏は、富山の中心部、具体的には、新幹線が止まる富山駅から富山大学の間あたりの範囲だ。それ以外の場所にはあまり出向かない。

だから、そんな狭い範囲の富山が僕にとっての富山の印象だ。

僕は18歳までを過ごした地元の沖縄県宜野湾市や那覇市新都心より、今いるこの範囲の方が住みよくて気に入っている。

両者の違いについてメモ的につらつら書き残したい。


<富山と沖縄の飲食店>

富山市には、大きな全国展開の飲食店は少なく、あってもパッとしないサイズ感であることが多い気がする。

代わりに、小さいが清潔で、小洒落ていて、地元に比べれば単価の高い料理を出すゆったり長く過ごすことを許容するような飲食店が多い。

ゆったり過ごすことを許容する要素の1つにWi-Fiがあると思っていて、沖縄の飲食店でWi-Fiがずっと使える店はかなり少ない印象がある。

沖縄だと駐車場も狭いことが多い。早く食べて出て行かないと他の人に迷惑がかかる気がしてしまう。

富山市の飲食店は、営業時間の短いところが多く、夜21時を過ぎると道路にはぜんぜん車が走っていないし、歩いている人も極端に減る。

虫の声も全然聞こえない。聞こえても「風流だな」と思えるくらいには慎ましやかな感じ。だから、最初富山に来た頃は、夜が静かすぎて不気味に感じた。

<広場の多さとホームレス>

地元には、大人が休憩がてらコンビニでコーヒーでも買ってくつろげる広場がない。富山市の中心部にはそこら中にあるように思う。

歩いていても見かけるベンチの数が多い。残念ながら、素敵な街並みに対して人口は全然見合っていないように思うけど。

でもおかげで僕は富山で過ごすとき、少数の者でこの素晴らしい街を独占していることを感じ、なんだか優雅な気分になる。

地元の街並みは何か小さくて安っぽいものを大勢で一緒に使っている感じがしていた気がする。

富山市ではほとんどホームレスを見かけない。沖縄ではだいたいどの公園にも、どのスーパーの周辺でも見かけるような気がする。

僕が中学の頃に通っていた塾では、空き缶ゴミはホームレスの方が持っていってお金に変えられるようにと収集日より前に外に出していたはず。

それくらい身近だったから、富山では彼らはいったいどこにいるのだろうといつも不思議に思っている。

真冬の富山を外でやり過ごすのは不可能だろうから、手厚く住む場所が与えられるようになっているのだろうか。わからない。

見ないものといえば、暴走族の発祥の地は富山らしいけど、全然見かけない。

たまに一台とか、数台とかで走っているのを見かけると嬉しくなる。

地元では10人以上のグループ走行が毎日見られた。弟はやかましいバイクの音にキレ散らかすのが常だが、僕は元気いっぱいで素晴らしいと思っていた。なりたいとはまったく思わないけど。

<意図を感じる街並み>

ここまでのことを踏まえて、富山市は歩いてるとなんだか統一的な意図をもってデザインされたような感じを受ける。

住民の暮らしを想像して、こうやったら過ごしやすいんじゃないか、こうすれば交流が促されるんじゃないかみたいなことを考えたんだろうなあ。

それだけじゃなくて、公共的な意図を持った街の設計に反対する頑固な住民たちや巨大な資本みたいなものを上手くなだめるのに成功したような感じもする。

地元の街並みはもっとごちゃごちゃしている。譲り合わないたくさんの人たちの間にムリやり理想の街並みを敷き詰めたみたいな感じと言ったらいいのか。

都市デザインとか建設とか、まったく知らないジャンルなので本当にただの印象でしかないけど、それが僕の2つの土地に対する印象。

でも、こっから数十年かけて人口が急激に減っていくことが明らかであることを考えると、やっぱり人口に対して施設が豪華すぎたり大きすぎたりするような気がするのが富山市の印象でもある。

<湿気自慢をしてくる富山の人>

街並みの話を離れて自然の話をする。

富山にやってくると、いろんな人が「富山は湿気がすごい」と口にする。ちょっと得意げな感じの時もある。

僕が沖縄出身だというと、「沖縄から来たらこっちはじめっとしていて大変でしょ」みたいなことを言われることも多い。

しかし、沖縄から来た印象としては、特にじめじめしているとも思えない。実際、沖縄と富山の根平均相対湿度なるものは同じくらいらしい。

沖縄は海に囲まれているため、年間を通して湿度は高く、特に5月中旬から梅雨に入ると、連日80%を超える湿度になる。

実家では壁や本棚を週1くらいでは拭かないと黒カビが生えてきていた。

それに比べれば、今住んでいる富山市のアパートは全然カビ臭くない。

たぶん、県外の人が思っているよりずっと沖縄はじめじめしている。が、気温はそんなに高くない。富山の夏の方が暑い。

富山の夏は35度を超える日が多くて参ってしまう。

将来は、夏を避暑地で、春と秋を富山で、冬を沖縄で過ごすようにしたい。

<地元への愛着と富山に対する関心>

最近後輩と話していて、自分がけっこう地元に対して特別な思い入れがあることに気がついた。

後輩いわく、育った街でお世話になった人たちがホームであって、彼ら以外の人とか土地そのものに対しては特に愛着がないとのこと。彼が東京育ちだからかもしれない。

僕ももちろん自分と関わった人に対する思い入れはある。そういう意味で、富山はもう後輩の言う「ホーム」みたいなものになっている感じがする。

でも、地元沖縄についてはそれと別で、沖縄というもの自体に対しても愛着がある。そのことに気付かされた。

なんでだろうとあえて考えてみると、自分の境遇と沖縄を特別に重ねているからかもしれないと思った。

たとえば、沖縄は日本でもトップクラスで離婚率や貧困率が高い。そして僕は、収入レベルでは下位10%くらいのシングルマザー家庭で育っている。

たとえば、沖縄は外から来た人を歓迎し、観光収入によって生きている。現場は国内でも最低額の最低賃金で働く人懐っこい人たちが忙しく働いていて、彼ら自身は旅行なんて高い娯楽を楽しむことはほとんどしない。最大の娯楽はおしゃべり(“ゆんたく”や“模合”)かもしれない。

そして僕はあまり旅行に興味がなく、どちらかというと相手に自分の持つ場所に来てもらって歓迎する方が好きだ。僕にとって関心の高いテーマは常に人で、対話が最も楽しい活動の一つとなっている。

こんな調子で、いろんな側面について生まれ育った土地と自分の境遇のリンクを考えていて、だからなんとなく他人な感じがしない。

それなら、どうしてそんな地元を離れ、なぜか富山を選んだのか。

それは3年前にnoteに書いています。


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