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通俗心理学本のエビデンスを読む:DaiGoとアフォーダンス編

 この記事は『博士(心理学)が通俗心理学本を読む』の番外編である。今回はDaiGoの著作に引用されていた参考文献を読み、著作内での引用や要約が妥当か検討したい。

 なお、ここで取り上げているDaiGoの著作に関しては『【読書メモ】博士(心理学)が通俗心理学本を読む DaiGo『トークいらずの営業術』』でツッコミを入れているので参考にしてほしい(アフォーダンスについては言及していないが)。

 目次とリクエストは『博士(心理学)が通俗心理学本を読む リクエスト募集と記事まとめ』から。


書籍情報

メンタリストDaiGo (2015). トークいらずの営業術 リベラル社
佐々木正人 (1994). 岩波科学ライブラリー12 アフォーダンス―新しい認知の理論 岩波書店

メンタリストのアフォーダンス理解

 今回アフォーダンスを取り上げたのは、DaiGoの著作にあるアフォーダンスについての以下の説明に違和感を覚えたからだった。

 例えば、照明のスイッチがない部屋の壁に小さな赤いボタンのついたプレートが貼ってあったら、それを押せば電気がつくのだと考えられます。
 このように、環境やデザイン自体がするべき行動を決めてしまうことを、アフォーダンスと言います。

メンタリストDaiGo (2015), p98

 この説明だと、アフォーダンスが人の行動を半ば強制的に決めてしまうかのように感じられる。赤いボタンがあればほとんど必ず全員がそのボタンを押すかのようだ。

 だが、私の記憶ではアフォーダンスはそうではなかった。私の理解では、アフォーダンスは人の行動を「誘発する」と書くほうが妥当である。手ごろな高さの手すりがあれば人はそれに腰かける。腰かけるという動作を誘発するアフォーダンスをその手すりは持っているのだが、だからといって全員がそれに座るわけではない、という理解だ。

 そこで、DaiGoの著作にあった、まさにアフォーダンスと銘打たれた参考文献を読んでみることにした。その結果、DaiGoの要約はかなり怪しいという結論に至った。

アフォーダンスとは何か?

 佐々木 (1994) はアフォーダンスを以下のように説明している。

 アフォーダンスは環境中にあるありとあらゆる物体が我々へ提供する「価値」である。アフォーダンスは環境に現に存在する価値や情報であり、我々の主観的な感覚や評価ではない。

 ありとあらゆるものにアフォーダンスがあるというのはどういうことだろうか。一般に、アフォーダンスはデザイン、つまり意図して設計されたものに使われがちな言葉ではある。だが、佐々木は紙を例に出し、意図的にデザインされていないものもアフォーダンスを持つことを示している。例えば手元の紙が薄いなら、それは破ることをアフォードしている(つまり、それを破ることが出来ると我々へ情報として伝えている)。逆に、ダンボールのように厚いならそれは破ることをアフォードしない。十分大きい紙なら包装紙のように物体を包むことをアフォードする。

 佐々木はご丁寧にも、アフォーダンスにまつわるよくある誤解を2つ挙げている。そのうちの1つは、アフォーダンスは反射や反応を引き起こす刺激ではないということだ。アフォーダンスは特定の反応と対になっている必要はない。椅子は「座る」という反応を示されることなしに、「座る」アフォーダンスを最初から有している。

DaiGoの説明の混乱と過度の一般化

 この時点で、DaiGoのアフォーダンスの理解がかなり不正確、というか、説明が混乱していることが窺える。

 まず、アフォーダンスは環境が有する価値や情報である。その環境に直面した人間の行動を決めることを指す用語ではない。また、目立つ色の突起は「押す」アフォーダンスを有するだろうが、それは実際に押されなくてもアフォーダンスを有すると言える。つまり猶更、アフォーダンスは「人間の行動を決めること」ではない。アフォーダンスがあっても目の前の人がその通りに動くわけではない。

 よくよく読むと、それ以前の問題として、DaiGoの説明はおかしくなっている。先に引用した部分の第1段落では『それを押せば電気がつくのだと考えられます』と言いながら、続く段落では『環境やデザイン自体がするべき行動を決めてしまうことを』と書いているが、ボタンを押した結果の推測と押すという行動が誘発されることは全くの別物である。DaiGoの文章は文章として通っていない。

 そして、通俗心理学にありがちなことだが、DaiGoはアフォーダンスを過度な一般化で解釈し、自分の主観的な主張に過ぎないものがあたかも心理学的に認められているかのように論じている。

 DaiGoがアフォーダンスを取り上げたのは、仕事環境を整えることで仕事の効率が上がるという主張をするためである。

 仕事環境にもアフォーダンスを取り入れれば、「特に意識しなくても、行動を起こせる自分になる」ことが可能です。
 例えば、デスクに書きかけの書類だけが置いてあったら、何の迷いもなく書類作成にとりかかることでしょう。営業周りのためのセット(資料の入ったバッグ、訪問先の地図をプリントアウトしておいたものなど)を椅子の上に置いておけば、それをどかして座ろうとは思わないはずです。先ほどの「読まなければならない本」の例で説明するなら、スマホを持たず本だけ持って公園に行けば、ほぼ確実に本を読むことでしょう。

メンタリストDaiGo (2015),p98-99

 すでにお分かりのように、アフォーダンスは何らかの行動を強制するものではない。仮に、書きかけの書類が作業の続きをアフォードするのだとしても(この仮定自体が立証されていないが)、必ずそうなるわけではない。精々、可能性が上がるだけだ。むろん、やって効果がないとしても害があるわけでもないので、試してみることに問題はないだろうが。

 本の例に至ってはもはやアフォーダンスとは何の関係もない。単に、所持していないスマホをいじる可能性がゼロであり、それだけ本を読む可能性が上がるというだけの話である。公園が「読書」のアフォーダンスを持つわけではないのだから。

リストにあげるだけでは意味がない

 佐々木による書籍は、実際に読んでみて相当面白かった。私の専門は認知心理学ではないため、アフォーダンスやそれに関するゲシュタルト心理学、ギブソンの知見などは大まかに学ぶ機会はあったものの、今回のようにしっかりとした体系で理解することはなかった。岩波科学ライブラリーは薄い本だが、内容は平易ながら充実している。

 問題はDaiGoである。読書メモでも批判したが、DaiGoは書誌情報をまともに書けてすらいなかった。出版年を欠くため新版との区別が難しくなってしまっていた。挙句、今回見たように、内容をきちんと理解しているかも怪しい。これでは、せっかくの良著を参考文献リストの賑やかしにしているだけである。

 心理学という学問に対する誠実な向き合い方とは到底言えない。

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