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サムライハート

「今の日本人にはサムライの心がない」
中華料理屋の石焼麻婆豆腐で口を火傷したとき、隣の席から聞こえてきた。

おそらく、闘争心や覚悟が足りないという意味だろう。
もう戦う心なんて失ってしまった自分に対して言われているようで、飛び火を食らった気分だった。
唇も痛いし、心も痛い。

昔はよく戦いに挑んだものだ。
資本主義の国で、富裕な者たちによって作られた土俵の上に立っていることを悟ってから、その土俵を作る側に回るために自分自身をセメントで固め、錯覚資産を使い、周りの人より上に立っていることを見せつけた。
稼ぐことが正義だと感じてからは、手段を問わず目先の現金のために労力を割いたものだ。
当時の自分なら、こんな意味のない文字を梅酒片手に綴る時間があるくらいなら、稼ぐために命を注いでいたであろう。
そして無意味な表現をする人間を見下し、惰性で生きる人間を見下し、戦う自分が正しいと思い込むために自己啓発本でも読んでただろう。

上っ面な法人と個人事業主の届けを出して起業家を名乗り、実績がないにも関わらず、凄腕の技術者を自称し、自己啓発受け売りの発信をして意識の高さを必死にアピールした。
どんな手を使ってでも成り上がり、何もない自分から脱却したい。
それが自分のサムライの心だった。
やり方はどうであれ、何かを志すことは良いことだったのかもしれない。

しかし世の中はそんな上っ面な人間を受け入れてくれるほど甘くはなかった。自分の本質などすぐに見抜かれ、こいつに力がないと分かった瞬間徹底的に叩く。
完膚なきまでにボコボコにされたと思う。
あぁ清々しい。

刀の折られた俺は切腹する覚悟もなく、この文章を綴りながら腹切る武士を傍観する側へと降りることにする。
今は戦いで自分を表現するより、言葉で表現がしたい。
そんな詩人の心とイチャイチャしてよう。

戦うものたちが、いつか報われますように。

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