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肉じゃがを食べた日

8週間の総合実習が終わった。

始まる前は「長いねぇ」って言われるけど実際あっという間だろうなと思ってた。

いざ最終日迎えてみると

めちゃくちゃ

めちゃくちゃ

ありえん短かった。

あまりに密度が濃すぎた。
緊張して借りてきた猫状態だった初日。
バイザーに出会い(この人すげぇ人や…)と秒で信用した2日目。
私の現在地をありえん速度で把握し、最適な指導を逐一くれるバイザーに全幅の信頼を置いた3日目。
そこから日に日に手技に惚れ関わり方に惚れた初週。
好きすぎて反動で距離を見失った2週目。
復活した3週目。
反動の4週目。
また復活した5週目。
記憶がない6週目。
5日間会えなくて絶望した7週目。
記憶がない8週目。

必死だった、って書くと印象が変わって伝わってしまいそうなんだけれど
僕は本当に本当に楽しくて
患者さんのことに必死になれること
我を忘れて患者さんのことを考えまくれること
休憩時間も家での時間も目一杯使ってやっていたら今日になってた。

今日もやることいっぱいだった。
あれもこれも全部終わってなくて忙しくて逆に助かった。
僕は「ここで働かせてください」をまた言いに行くつもりだけど、そうでなければ本当に嫌だったろうな、終わるの。

正面から向き合って私のことを考えてくれて、力を認めつつ臨床においては客観的にアドバイスをくれ、過剰にちやほやせず私の私自身に対する判断を信じて任せてくれたバイザー。
そんなバイザーの出来たての名刺を一番最初に貰えた。
終盤で距離感を見誤りしょげていた、PTのこれまためちゃ凄バイザーに最後にたくさん褒めていただけた。
先輩方にたくさんたくさん可愛がってもらえた。

本当に本当に嬉しくて有難かった。

学校で、私生活で、得られなかったものを満たしてもらって。
先生のことだってうまく抱えたり、一緒に走ったり、最後の方は考えたり苦しんだりするだけの自我を消す方法を伝授してもらって。
方法というか自然とそうなるよう導かれていたけれど。

自我が消えるほど患者さんのことを考えられることほど、楽しくて幸せな時間はないよね。

ここは、帰れないはずの2020年だったよ。

だから、あの日以来一生食べることはないと思っていた肉じゃがを、今日、食べた。

愛してるよ。これからもずっと。
忘れない。ずっと一緒。

そんなだったから
毎日関わる利用者/患者が亡くなっても、愛があればあるほど泣かないと決めたのが介護士としての矜恃だったし、これからもそうあり続ける覚悟でいたのに
それでも(この人に万一のことがあったら、矜恃を捨てて普通に泣くし、しばらく立ち直れないだろうな)と思う患者さんが一人できてしまった。
症例でもないのに。
介入回数も多くなかったのに。
STだから会話訓練もするんだけど、無言のやりとりもたくさんした。のは、この方が一番多かったな。

今日最後なんですって挨拶して
泣かれてしまった。
人生の大先輩と思えぬ可愛らしさと、でも伝える意思と受け取ると信じてくれる意思と。
そしてその裏側に常にあるはずの身体や呼吸なんかの苦しさと。
色んなものを抱えて、関わってくださいましたね。
そちらから泣かれるのは想定してなかったのと、色々感じるものがあったのとで貰い泣きしてしまった。

また帰ってきます。
帰ってこれるように頑張ります。

特別な利用者/患者は作るべきではない。
それでもどうしようもなく人生を変えられてしまうような人に出会うことがある。
みーくんのような利用者にはもう出会いようがないと思っていた。
でも、みーくんが拓いてくれた道だ。
受け取りきれないほどの愛をもって、本来後天的には学べないはずの愛され方というのを力技で分からせてくれたのは
役立てていかないとね。

未来を眼差すことを教えてもらったから。

バイザーに。
患者さんに。

私はまだもう少し泣かない。
もう少し歩いてみる。

前へ前へ進む。

それが追悼であり愛だと信じてる。

そうでしょう?先生、

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