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子どもから学んだこと~一歩を踏み出したその先に見える世界

私は、
学校とボランティアの橋渡しをする
地域コーディネーターという
仕事をしています。

毎年この時期に行われる
小学5年生の田植え体験。

多くの子どもたちが
楽しみにしている行事ですが
中には、やっぱり
嫌だな…
こんなことしたくないな…
と思っている子もいるんですね。

裸足であぜ道を歩くことも、
泥の中に足を入れることも、
衣服が汚れるのだって
嫌で嫌でたまらないのです。

(余談になりますが…
 ほとんどの子が
 最初は衣服の汚れを気にします。
 「やばい、お母さんに叱られる」
 なんて言いながら(笑)
 でも一度汚れてしまうと
 諦めもつくようで
 その後は
 ほとんど気にしなくなります)


私には
忘れられない一人の女の子がいます。

その子は、
田植えが始まっても
どうしても
田んぼの中に足を入れることが
出来ませんでした。

田んぼの中を泳ぐ
小さな虫を目にする度に、
「キャー」
と悲鳴をあげ、
入れようとした足を
引っ込めてしまうのです。

そんなことを
何度も何度も繰り返し、
ようやく
片足を入れることが出来たと思ったら、
今度は、
泥のぬるっとした感触に驚いて、
また、田んぼから
飛び出してしまいました。

周りの子は、
どんどん苗を植え
先へ先へと進んでいきます。

あぜ道に
たった一人取り残された女の子。

ついに
女の子は覚悟を決め
泥の中に足を入れました。

幸い泥の感触には
すぐに慣れたようでした。

でも、
やっぱり虫は気になるようで…。

手早くさっと苗を植えると、
慌てて辺りを見回しました。

虫がいないことを確認すると
ほっとして
また次の苗を植えました。

しばらくは、こんな風に
一回植えるごとに
虫がいないか辺りを確認する
ということを繰り返していました。

が、やがて、
苗を植えることに意識が向いていき
虫を気にすることも
なくなっていきました。

いつの間にか
苗を植えるペースも速くなり、
手つきも様になってきました。

さっきとはまるで別人のようです。

あっという間に
先に植え始めた子どもたちに
追い付きました。


子どもたちの歓声が響き渡る
賑やかな田んぼの中にいて
彼女の周りだけは
まるで静かに見えました。

ただ黙々と苗を植え続ける女の子。

長い長い沈黙が続きました。


「終わったぁ!」

彼女の一声で
静寂が打ち破られました。

最後の苗を植え終え
腰を上げた彼女の顔は
眩しいほどに
キラキラと輝いていました。

私は胸がいっぱいになりました。


この日
彼女が味わった感動、
それは
彼女が自分の手でつかんだもの。

覚悟を決めて
一歩を踏み出したその先には
思いも寄らない世界が
広がっていたに違いありません。


人は誰しも
嫌なことや、
苦手なことは
出来ることならやりたくないと
思うものですよね。

ましてや
新しいことへの挑戦となれば
怖れや不安でいっぱいになり
重い腰がなかなか上がらないものです。

好きなことだけやっていけたら
どんなに幸せだろうとも思いますが、
その好きなことをするためにも
乗り越えなければならないことは
たくさんあって…。

そんなこんなで
私たちは日々
必要に迫られて
あるいは
意を決して
一歩を踏み出すことがあります。

おもしろいことに、
やってみたら
苦手だと思っていたことが
案外自分に向いていたとか
嫌いだと思っていたことが
それほどでもなかった
ということが分かったりします。

それどころか、
一歩を踏み出した先に
想像もしなかったような
素晴らしい世界が広がっていた…
なんてこともあったりして。

それは、
これまでの場所にいたら
決して見ることの出来なかった世界
なのですよね。


一説によると
私たちは能力の5~10%しか
使っていないのだそう。
90%以上ものまだ見ぬ可能性が
眠っているなんて
何だかワクワクしてきますね。

もちろん
嫌いなことや
苦手なことを
無理に克服する必要はないと
思いますが
(そもそも嫌いや苦手という感情は
 どこから来るものなのでしょう…)
たくさんの可能性を
封じ込めたまま
人生を終えてしまうのは
何だかもったいなあとも思います。

生きている間に
どれだけたくさんの
可能性を開花させ
どれだけたくさんの
感動や喜びを味わえるか
それが
人生の醍醐味でもあるのかな…
そんな風にも思います。

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