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私の苦しみを身代わりとなって背負ってくれた…

ヘヤ―・インディアンの人たちは
「よい顔」で死ぬことを
こよなく大切にしていると
言います。

さて、
河合隼雄さんのお話の中に
「阿弥陀の胸割」
というものがあります。
詳しい内容はここでは
述べませんが
死顔について
次のようことが書かれています。

苦しい顔で亡くなられた方は、
この世で生きる誰かの苦しみを
身代わりとなって
背負っていかれたのではないか
と思った。

「老いる」とはどういうことか 河合隼雄 

この時私は、
身近な家族の
死顔を思い出していました。

娘、愛犬、
祖父母、義父…

その中でも、
愛犬の死顔は、とりわけ
苦しみに満ちたものでした。

愛犬は
息絶え絶えの中
主人に抱きかかえられ
私と真正面から向かい合った
その瞬間
目を見開き口をカッと開き
そのまま硬直し
息絶えたのでした。

当時の私自身のことを
思い返せば
愛犬が
私の苦しみを背負っていったと
言う言葉が
本当によく分かるのです。
https://note.com/kudokouhei/n/n316e13d22536

身近な大切な家族の死を
受け入れるためには
なぜ…
どうして…
という問いに対して
自分なりの答えを
見出していく必要がありました。

娘や愛犬、大切な家族が遺したもの…
それは
悲しみや苦しみだけではなかった…
そのことに気付いた時

家族の死を
私の中で物語ることが出来た時

はじめて
死をひとつの流れの中の
一過程として受け入れ
前に進むことが
出来たように思います。


さて、
河合さんは
このお話の最後を
こう締めくくっています。

「よい顔」と言っても、
われわれ俗人の想像を超えた
「よい顔」があるように
思われるのである。

それは、
私たちが世界をどう見るか
ということでもあるのではないかと
思いました。

愛犬のあの苦痛に満ちた表情さえも
私の苦しみの身代わりとなった
そう思えば
苦しい顔どころか
勇ましく、そして
慈愛に満ちた表情
それこそ「よい顔」に思えてきて
ただただ感謝が
溢れてくるのです。


ららみぃたんさんの企画に参加します。


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