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ナイチンゲールまとめ

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フローレンス・ナイチンゲールについてまとめたものです。『黒博物館 ゴーストアンドレディ』も含みます。
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『黒博物館』舞台探訪ガイド in ロンドン

見出し画像は、ナイチンゲール(裁縫中)と姉の肖像画です。 2023年11月に英国旅行をしてきました。そこで『黒博物館』シリーズゆかりの地のいくつかを訪問しました。それほど多くはないのですが、メジャーどころをいくつかピックアップしました。また、未訪問ですが、関連が高い場所も載せました。 ロンドンについてはGoogle mapを公開しているので、こちらでもご確認ください。 なお、「スプリンガルド」は舞台特定が難しいのと(襲撃現場とイングランドの屋敷)、モデルとなったウォータ

『黒博物館 ゴーストアンドレディ』キャラクター紹介 館報に載せられなかった実在人物から

はじめに『黒博物館』の世界をガイドする本を書いた際、数多い実在の登場キャラクターたち全員を載せることができなかったため、こちらで未掲載の人物たちを紹介します。 「こんなキャラクターまで登場させていたの!」というぐらいに漫画は描き込まれていますので、漫画を楽しむための一助としてお読みいただければ幸いです。 クリミア戦争前のナイチンゲールと家族との確執についても、長く書きすぎて削った箇所が多かったため以下にまとめました。こちらをお読みいただければ、漫画の中でフローが死を願い、

クリミア戦争 ナイチンゲール到着前の英国陸軍の状態と問題点

はじめに 看護師団を率いてクリミア戦争に従軍したフロレンス・ナイチンゲールは、現地で獅子奮迅の活躍をする。従軍時の状況は、クリミア戦争を扱う『黒博物館ゴーストアンドレディ』で描かれており、その活躍の多くは史実に基づく。   その範囲は看護の領域を大きく超えて、多大な物資の補給や管理、病院建築にまで及んだ。なぜ、そこまで彼女の活動範囲が広がったのか、なぜそこまで補わなければならなかったのか。  その理由を理解するため、ナイチンゲール従軍前の英国陸軍の状況を以下に整理した。あ

データで見るクリミア戦争と、統計学者としてのナイチンゲール

 クリミア戦争のロシアと連合軍の双方での死者合計は75万人と推計され、ロシア軍は50万人、フランスが10万人前後、英国は2万人、トルコは約12万でした(『クリミア戦争』)。  英国の死者数が少なかったのは他国より派遣数が少なかったことによる。また、戦争初期に英国より優れている医療環境とされたフランスは派遣兵員の増加により、死者数が増大した。  ナイチンゲールは英国陸軍の医療現場に立ち、多くの死者を見送ってきたが、このテキストではその規模と、数字に強かった彼女がどのように把

クリミア戦争を支援した民間人たち ナイチンゲールを筆頭に

概要クリミア戦争では、看護領域で活躍したフローレンス・ナイチンゲールが有名であるが、このような活躍をした民間人は、他にもいた。 『クリミア戦争』下巻では同時代のアメリカの作家ナサニエル・ホーソーンの『英国雑記』からの一文を紹介し、続けてクリミア戦争で活躍した中流階級の台頭について触れている。 同書では彼らに加えて活躍した人物として、前線に近い場所で看護や料理の提供を行なったメアリー・シーコールについても触れている。 本テキストでは、このうち、ソワイエ、ピートー、パクスト

ナイチンゲールと近代看護 先駆者たる修道院看護と近代英国の修道院

フロレンス・ナイチンゲールが1845年に、「教育のある女性が(キリスト教修道女としての)誓約を立てずに加入できる看護師の団体の設立」を計画した。これは、当時の身分ある女性たちが看護の仕事に就くには看護修道女の立場しかなかった環境を変え、看護の仕事を宗教から自由にして、かつ修道女が得ない報酬も得ることで職業として経済的自立も成立させようと目指すものだった。 ナイチンゲールは「近代看護の創始者」とされることもあるが、ナイチンゲールが看護を学び、実践する機会を持った「修道院看護」

クリミア戦争に行くまでのナイチンゲール 家族との長い戦い

はじめに本テキストは、藤田和日郎先生の『黒博物館 ゴーストアンドレディ』で描かれる物語の主人公、世界的に有名なフロレンス・ナイチンゲールがクリミア戦争に行くまでのテキストです。 『黒博物館 ゴーストアンドレディ』のフロレンス・ナイチンゲールは、看護師の仕事に関わることについて家族の強い反対を受け、死を願うほどでした。公式で出ている情報では、本作品を舞台化する劇団四季のサイトの「STORY」で次のように言及されています。 ナイチンゲールに関する本を読むと、「死を願う」ぐらい

ナイチンゲールを苦しめたクリミア戦争の人事問題 上司・部下・同僚の観点で

はじめにこのテキストでは、主にクリミア戦争に従軍したナイチンゲールが直面した人事問題(彼女の人事権の及ぶ範囲について)を考察する。 現代的な要素でシンプルに整理すれば、次のように言えるかもしれない。 上司の問題 事前情報・相談なき仕事の押し付け 急に短納期の仕事を振る 人事権が曖昧な状況を作る 部下の問題 本人が採用していない部下の統率 宗教上の問題による対立の構図 厳しすぎるマイクロマネジメントと反発 誹謗中傷 職場の同僚との関係 異なる指揮系統・

【調査1/3】ナイチンゲールは斧を持って英軍倉庫を襲撃したのか? マルクスが記事にした「襲撃」

エピソードと、彼女の行動原理に基づく疑問ネットなどでは「ナイチンゲールが屈強な男性を率いて、現場に物資を開放しない英軍物資倉庫を襲撃し、(斧で叩き壊して)配布した」というエピソードが喧伝され、「看護のためには手段を選ばない彼女の側面」として流布しています。 しかし、このエピソード(襲撃+斧)について、様々な研究者が語る資料本や、彼らが参照する信頼できる伝記などを読んでも、まったく載っていません。ナイチンゲールの1万以上の手稿などを収集・整理した第一人者たる研究者リン・マク

【調査2/3】ナイチンゲール倉庫襲撃に関するマルクス記事のネタ元と委員会証言での襲撃否定

この記事の見出し画像はナイチンゲール博物館に展示されていた、ナイチンゲールがクリミア戦争で持参していたという薬箱です。 ネットでは、伝記を元に「ナイチンゲールは斧を持って、患者のために軍の倉庫を襲撃し、薬箱を破壊して奪取した」という逸話が広まっています。 その襲撃のエピソードの広まりについて、カール・マルクスがアメリカの新聞社への寄稿で記事にしていたことが判明しています。これはナイチンゲールが従軍していた1855年3月27日のことでした。 ただ、その時の記事の中身は「襲

【調査3/3】ナイチンゲールが「斧を持って英軍倉庫から薬を奪う」アメリカの新聞報道の変遷と、「ハンマーを持った淑女」の由来探し

はじめに以下は回答だけではなく、プロセスも載せているため、長いです。 フロレンス・ナイチンゲールについて、ネットでは「ナイチンゲールが斧を持って倉庫を襲撃し、薬を奪った」というエピソードに加え、最近刊行された『超人ナイチンゲール』でもこの話題について「ハンマーを持って襲撃した」という記述があります。 こうした「倉庫を【自ら】襲撃するナイチンゲール」について、私は、第一に「倉庫を襲撃して医師・英軍との関係を悪化させるのはナイチンゲールの行動原理に合わない」、第二に「少なく