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組織液状化症【不思議な話】

人の約70パーセントは水分で出来ている。
その割合が徐々に増加する「組織液状化症」、通称SLS(sells liquefaction syndrome)という病気が見つかった。人のみならずその他動物にも感染し治療が著しく困難であり、感染力自体もそれなりだった。
一度感染すると水分量の多い部位から体組織が更に液状化していき、軟骨等の比較的硬い部位に移り、最終的に頭蓋骨等の内骨格、或いは甲羅等の外骨格ですらスライムの様に変異してしまう。
カルシウムやビタミン等を人体に害のない凝固剤と掛け合わせて精製した特効薬も作られたが、効果の程は一年から三年液状化を先延ばしに出来る程度だった。

しかし何よりも問題視されたのは、恐ろしい事に完全に液状化しても「死なない」という点だった。

軟骨が液状化する段階で自身の力での移動が難しくなり、次の段階に移行する途中で栄養摂取が出来なくなる。針は簡単に刺さるため、胃や血管から栄養を与えて延命する事自体は可能となる。厳密に言えばいずれ死ぬのだから「死なない」とは言い難いが、栄養失調等を除いて液状化のみに観点を絞れば「死なない、死ねない」体となってしまう。
死ねないというのは勿論自死の事である。首吊りや入水、服毒は勿論の事ながら、舌を噛むといった原始的な方法すら取れない。これらの事から国内外問わず急速的に安楽死についての法整備がなされていったのは、なんとも皮肉である。

現代医療ではこの病気を治療する事は難しく、限界まで延命するか、安楽死を選ぶ他ない。


・・・・・・というのが世間一般の見解である。ここからは私個人の見解であり、まだ世間には公表していない研究結果となる。私が確認した限りでは世界に10例程とあって無い様な数字ではあるが、しかし確かに私はその存在を知っている。
分かりやすくする為に水分量の多い箇所の液状化をフェーズ1、軟骨などをフェーズ2、体組織全てをフェーズ3と仮称する。
私はこれまでに患者を多く見てきたが、残念な事に結末は大抵決まっていた。指を咥えて見ているか、大した成果の上がらない特効薬を延々と打ち続けるか、死を選ぶか。
夜明けの来ない毎日が続くかと思われていた。

しかし、だ。
もう両手でも数え切れない程フェーズ3の患者を診療し、そして看取り続けたある日の事だった。
フェーズ3の患者の、仮に高本さんとするが、高本さんの病室に入り、恐らくはあと1週間もしない内に家族は決断を迫られるだろうなと思った時だった。
したっ……
と、布の上に何かが落ちる様な、そんな微かな音が機械的ななモニターの音に紛れて私の耳に入り込んだ。
初めは風でカーテンか揺れたかと思った。しかし窓は開いていないし、病室には私と患者以外いない。
勘違いだったか……と病室を出ようと振り向こうとしたその瞬間だった。
したっ
目の端が動く物を捉えた。

それは濃い青を無数に走らせた肌色をしていた。

私は駆け寄り
「こっ……高本さん?」
と声を掛けた。高本さんの手は変わらずベッドに吸い付くようにしているが、純粋に診断を誤っただけなのだろうか。
いやしかし、骨の液状化具合を鑑みても、彼がフェーズ3末期である事は疑いようがない。多少の個人差はあれど、18G(外径約1.2mm)の針が大腿骨を何の抵抗も無く貫通するのだ。そこまで来れば本当に死を待つのみとなる。
そんな彼が動いたなんて事が……


彼が脱走して早2週間……
巷ではとある噂が流れ始めていた。
「窓や換気扇の隙間から、人の形をした何かが部屋に侵入してくる」
1件や2件ではない。まずこの病院を起点に南下しながら目撃例は増えている。実際に目撃した人の話によれば、それは人を象っているものの、1センチでも隙間があれば入って来る事が出来る様で、顔に向かって手元にあった置時計を投げ付けた所、時計の形に顔がぐにゃりと凹んだと言う。

彼が脱走した際に取った方法は、看護師か彼の不在を知り扉を開けっ放しにするまで設置されている医療機器の後ろに隠れ、夜静まった頃に出ていくというものだった。

少ない症例を研究出来れば、これから症状が進行する患者を、死にゆく患者を救う事が出来たかもしれない。
逮捕されたとして、無理に研究するのははばかられるが……どうして彼は犯罪に走ってしまったのだろうか?前科等は無く至って普通の人だと思っていたが原因は何だ。


彼が捕まった。
手錠が掛けられない為に穴の空いたアクリルボックスに入れられていたのは、流石に心が痛かった。
乱暴な手段だが、全身が水ゆえにスタンガンを当てればすぐに動かなくなったという。
……人権問題はいずれ解決するだろう。


どの「上」からの指令が知らないが、彼の逮捕は公表されなかった。その代わりに彼を徹底的に研究してくれと院長に任されてしまった。特別給与と役員への口利きを条件に、だ。もちろん秘密裏の話だし、口外すればどんな制裁があるのか分からない。
私はその場で返事をした。
そして「献身的な研究」の結果だが……人体でこんな事が起きていいのか、と思わざるを得ない。SLSが見つかった時点で、神は人類に苦難を与えるのが好きなのだろうと思ったが、これもまた神の気まぐれなのかもしれない。
ある種の進化と言い換えるべきか。
彼の細胞は、彼が「動こう」と意識した瞬間に液体から固体へと変化したのだ。
それは水が凍る際に起きる現象と酷似していた。
その体積の増加率は約12.5パーセントで、増加率についてもほぼ同じだった。

「意識」の見解については各界において様々あるが、基本的な仕組みとしては電気信号の行き来によって引き起こされるものだ。
パブロフの犬や熱いものを触った時に怒る反射もそれに該当する。

もしも……もし、仮にその「意識」が細胞の核たる分子あるいは電子にまで影響しているのだとしたら、歴史的発見どころの騒ぎではない。世界が書き変わる程の発見となる。宇宙の解明にもあまりに大きな一歩になるはずだ。
それを活用すればSLSは勿論、これまで不治の病と言われていた様々な難病ですら人類は克服出来る。


…………昨夜のことだ。
私は通常通りの研究を終え、深夜2時を回る頃床に着いた。半分寝かかっていたのだが、部下からの電話で目が覚めた。嫌な予感がした。
内容を聞き研究室に急ぐと、空のベッドが1つ、機材に囲まれた部屋に置いてあった。シーツや布団は今までそこに誰かが寝転んで居たような窪みを作り、触るとまだ少し暖かかった。

監視カメラの映像を見て、私は言葉を無くした。
約30分前、ベッドに横たわり、啜り泣く岡本さん。暫くして彼がボソリと
「消えたい」
と零した瞬間、彼の体は瞬く間に霧の様に霧散した。
彼は消えたのだ。何故?どうやって?

その映像を見て慌てふためく部下を他所に、私は笑いを堪えるのに必死になっていた。
そうだ、私の仮説は正しかったのだ。つまりこれこそが、この病気こそが人類の進化の鍵なのだ。
神の気まぐれなどではない。これは啓示なのだ。
彼には感謝せねばならない。道を示してくれたのは彼なのだから。抱きしめて頬ずりしてあげたいところだが、残念ながら彼が今どこにいるか分からない。
だが、被検体ならばどこにでもいる。
早く確かめたい、寝る暇など無い、これは人類の為なのだから。


【数ヶ月後、SLS第一人者の医師が研究室で殺害されているのが発見された。研究資料等は全て持ち去られており、自宅よりこのノートが見つかったのみである。殺害方法については不明だが、1つ分かっているのは研究室は完全に密室であったという事だ】

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