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”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-最終話「待っているだけでは何も始まらないよ編」

南アフリカ共和国に赴任中の私が、日本で1度しか会ったことがなかった妻とビデオ通話で2週間やり取りした結果、結婚に至った話です。

第3話では、当時世界中で流行していた新型コロナの変異株・オミクロン株に行く手を阻まれながらも、我々夫婦が南アフリカで再会を果たした様子をお伝えしました。

今回(最終話)では、現地での新婚生活に向け準備を進める妻が、まだ渡航前にもかかわらず、浴びた南アフリカの洗礼について綴っています。

妻のビザ申請で待ち受けていた新たな試練

次の試練が訪れたのは2022年の5月。我が家を揺るがす妻の「ビザ発給問題」が発生した。

この時、私は会社から付与されていた結婚休暇を行使しての2度目の一時帰国を果たした。この帰国中で私は、妻が在日南アフリカ大使館でビザ申請を行うのを付き添うことになっていた。

私は「企業内転勤」ビザという査証で現地に滞在していた。この査証は、日本の親会社から南アフリカの子会社に出向するためのものだ。

対して、妻は「長期滞在用のビジタービザ」を取得する必要があった。おおまかに言えば、このビザは一般の観光ビザ(ビジタービザ)と同じ分類だが、私に帯同するために、ビジタービザで制限されている90日の日数を超える滞在が認められている。

事前に聞いたところによると、基本的にビザは申請が受理されてからおおよそ2週間で発給されるのだそう。私の時も、発給に要したのは10日間だった。

この時、妻は勤務先に退職の意思を伝え、4月中旬から有休消化に入っていた。目論見通りに行けば、5月下旬に南アフリカ入りし、私の誕生日を祝うはずだった。

ビザ申請日の当日、私は大使館の前で妻が申請を終えるのを待っていた。申請書類を確認するだけの事務作業。それなのに、私は何故かソワソワしていた。それは私が心配性ということを差し置いても、南アフリカという国では”本当に”何が起きるか分からないということを肌身をもって実感していたからに他ならない。

入館して15分後、建物から出てきた妻にすかさず結果を訊いた。彼女は、平静を保ちつつ館内で起きたことを伝えた。
「申請書類が違うからもう一度申請し直してください、って言われた」

「ええっ!?」
私は思わず廊下一面に響くほどの声を出てしまった。

必要書類は事前に旅行代理店を通して、大使館に確認してもらっていた。にもかかわらず、窓口では、ほとんどの書類をやり直すよう指示されたらしい。突然申請ルールが変わったということなのか。いかにも南アフリカらしい出来事だ。

半年後に聞いた話では、国外の高官がビザを不正受給したことが発端となり、申請のルールが大きく変わったとのこと。

結局、妻のビザ申請が正式に受理されたのは、それから3週間後の5月23日。私はすでに南アフリカに戻っていた。ここからビザが予定通りに発給されたとしても、当然、私の誕生日には間に合わない。しかし、このあとさらなる試練が待ち受けていたことを、この時、我々は知る由もなかった。

申請から2週間経っても、発給の知らせがなかったのだ。

これもあとになって知ったことだが、上記ルール変更に伴い、ビザ審査に南アフリカ政府の内務省を通すことになったのだ。この内部プロセスの変化に加え、同年4月に南アフリカ政府が「国家的災害事態宣言」(日本でいう緊急事態宣言)の終了を宣言したあとも、リモートワークを続ける内務省内のスタッフ不足が重なり、審査が大きく滞ったのだった。
(この問題により、日本人の配偶者のみならず、国籍を問わず世界中の様々な申請者や企業などが影響を被り、現地では社会問題となった。)

旅行代理店から大使館に照会メールを入れてもらっても、「南アフリカ国内からの回答を待っているところだ」という返事しか返ってこなかった。そこから数週間後に再びメールを入れても、返事すらこなくなった。

私も現地当局に連絡を試みたが、返事が来ない。催促のメールを入れたところ、1週間後に状況の詳細を訊ねる返事があった。しかし、回答を返信したあとは、いくら待っても連絡が無かった。

1か月、2か月…進展がないままいたずらに時間が過ぎていく。

予定ではすでに出国しているはずだった妻は、住まいを引き払っていたものの、いつまでたっても発給の連絡がなく、実家に移ることとなった。周囲の人間から「まだ日本にいるの?」と心配されるが、これがかえって彼女の焦りを増大させた。

一方の私も、新婚生活を控え、新しいアパートに転居していた。妻のために用意しておいた部屋に入ることがなく、掃除しないままのベッドは埃が目立ちつつあった。

「(大使館から)今日も連絡なかったね」
「そうだね。いつ来るんだろうね」

この時、毎日のビデオ通話はこんな言葉から始まっていた。

先行きのない今後を目の当たりにして、口数が少なくなっていく。お互い言いようのない不安に襲われていた。

(当時の新居からの景色)

待っているだけでは何も始まらない

申請から2か月半が経った7月下旬、業を煮やした妻は、再び観光ビザで渡航することを決めた。この時、申請時に大使館に預けたパスポートは、発給の見通しが立たないことから、妻に返却されていた。

ただ待っていても何も起きない。自分から行動を起こさなければならない。南アフリカでは、こんな日常と隣り合わせだった。

そんなわけで、8月17日午前10時半、妻がケープタウン空港の到着ゲートに姿を現した。私の「配偶者」としてではなく「旅行者」として。

しかし、待ちに待った今、そんなことは気にならなくなっていた。「”もう会えないかもしれない”という不安から解放されたい」お互いその一心だった。

長期滞在用のスーツケース2個を載せたカートを押しながら、ゲートから出てくる妻をGo Proで捕まえ、私はおどけるようにして訊いた。
「お疲れ様。長旅どうでしたか?」

「久しぶりだね」
妻が発した声は、涙声のせいで普段以上にかすれていた。

それから、妻が前回来た時と同じく、私は彼女を車に乗せて空港を出た。

彼女が前回来た2月は、南半球に位置する南アフリカでは夏だった。しかし、今回は冬。気づけば季節が2つも過ぎてしまった。

中心部へとつながる高速道路からは、山と海に囲まれた美しい風景を望むことができる。冬でもサングラスが欠かせない、ケープタウン特有の強い日差しが、我々の未来を明るく照らしてくれている気がした。

ちなみに、ビザは申請からちょうど100日が経過した9月上旬に発給された。妻は観光ビザで滞在が許可されている3か月後を前にして、日本に戻りビザを受け取った。我々は晴れて、ビザ上でも家族となった。

かくして、1年以上にわたり日本と南アフリカとをつないだリモート婚が幕を閉じたのだった。

(完)

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