久我山タカヒロ|“アナタの想いをカタチに変える”ライター

鹿児島県出身・1986年生|趣味は走ること(東京・名古屋間走破)|日本語教師や報道記者…

久我山タカヒロ|“アナタの想いをカタチに変える”ライター

鹿児島県出身・1986年生|趣味は走ること(東京・名古屋間走破)|日本語教師や報道記者などを経験した後に、30代で一般企業の海外拠点に役員として赴任後退職。現在に至る|お仕事のご依頼・ご相談はこちらへ→takahirokugayama@gmail.com

マガジン

最近の記事

  • 固定された記事

20代で転職を4回繰り返した私がADHDと診断されてから取締役になった話

この記事では、20代で転職回数を4回経験するほどの「ダメ人間」だった私が、どうして5社目の転職先で、しかも入社6年目で取締役になるに至ったかをお話しします。 もし「どうして取締役になれたのか?」と聞かれることがあれば、私はこう答えます。 「自分がADHD(注意欠如・多動障害)だと分かったから」と。 (もちろん、運に恵まれたことも欠かせませんが。) ADHDというとネガティブなイメージを持たれる方も多いのではないでしょうか。 もちろん、私もADHDの特性に悩まされた一人

    • 【インタビュー】都心に近い住宅街に息づく“緑の隠れ家”が歩んできた道のり(雑貨カフェTree-B・市川)

      東京のベッドタウンの一つとして知られる千葉県市川市は、都心へのアクセスの良さ以外にも意外な魅力がある。それは、北部の「奥市川」と呼ばれるエリアに残された豊かな自然だ。 この奥市川の中でも、全長約1.3㎞の遊歩道を持つ「じゅんさい池緑地公園」は、水辺でくつろぐ鳥たちを眺めながら、四季折々の風景を楽しめる。そして、この公園のほとりにある「雑貨カフェTree-B」は、約20年前から存在する知る人ぞ知る場所だ。 カフェのある建物は、ヨーロッパの小さな教会を思わせる三角屋根や縦に連

      • 【インタビュー】“みりんのまち”で人々に愛されるこだわりの空間が生まれるまで(古舎カフェ灯環)

        若い世代を中心に人口が急増している千葉県流山市。この地域は、江戸時代に水運業とみりんの醸造で発展したという歴史的な一面を持つ。 特に流山本町は、明治時代からの時代を感じさせる建築物がいくつか現存している。そして、このエリアにある「古舎カフェ灯環」は趣がある建物と流山名産のみりんを使ったスイーツで有名だ。 流山市の「古民家再生プロジェクト」の助成を受けオープンしたこの店は、開業から10年が経った現在も地元住民などの客足が絶えることがない。 このカフェではみりんスイーツ以外

        • 【インタビュー】成長するおおたかの森で人々の日常に寄り添う場所でありたい(CAFE OKKO)

          流山おおたかの森駅近くにある住宅街の一角に、「CAFE OKKO(オッコ)」という居心地のよいカフェがある。 この店は駅北口にある高層マンションの複合施設「ソライエスクエア」のテナントの一つで、大きなガラス窓越しに店内が見える外観が目を引く。 店内は、テーブル席がゆったりとくつろげる広さなのがありがたい。それに、看板メニューであるパンケーキはもっちりとしていて、コーヒーによく合う。 去年秋にこの地に引っ越してきた当初、カフェ難民と化していた私(久我山タカヒロ)は、この店

        • 固定された記事

        20代で転職を4回繰り返した私がADHDと診断されてから取締役になった話

        マガジン

        • 南アフリカ駐在ドタバタ奮闘記
          6本
        • 人生の転機に東京~名古屋の380㎞を8日間かけて走り切った話
          3本
        • ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話
          4本

        記事

          【インタビュー】”キラキラした夢“を選べなかったあの時から20年を経て…3千人のツアー客をサポートしてきたママ添乗員の旅路

          「違う道を歩んだことを後悔したくないと思って必死でやっていました」 旅行客が楽しく安全な時間を過ごせるよう、全国各地、はたまた世界各地を飛び回る添乗員。華やかなイメージを持たれがちなこの仕事には、「ただ旅行が好きだから」という純粋な動機で飛び込む人々が珍しくない。 大学4年生の時にドイツ留学を控えていた私(インタビュアーの久我山タカヒロ)も、このような理由から半年間だけ添乗員の世界を経験した。 しかし、この時私が所属していた添乗員派遣会社の先輩・カナさん(41)の動機は

          【インタビュー】”キラキラした夢“を選べなかったあの時から20年を経て…3千人のツアー客をサポートしてきたママ添乗員の旅路

          130年の時を超え”人気上昇度No.1の街”に根付く歴史的街並みを味わおう!地元民が紹介するゆるランコース in 流山

          初めまして。自称”ゆるランナー”の久我山タカヒロです。 みなさん、流山おおたかの森という街の名前をご存じですか? 千葉の流山市にあり、茨城県のつくば市と東京都の秋葉原を結ぶ「つくばエクスプレス」(以下、TX)を通る駅です。 流山おおたかの森の凄さは、”房総のチベット”とも揶揄された流山市の一角を成すこのエリアが、2005年のTX開通後に驚くべきスピードで整備されたところにあります。 下の空中写真は通り、1989年(左)は家以外には田畑と森しか無かったのが一転、2019

          130年の時を超え”人気上昇度No.1の街”に根付く歴史的街並みを味わおう!地元民が紹介するゆるランコース in 流山

          海外赴任ドタバタ劇-第1話「いや、ここは南アフリカなので」

          「いや、ここは南アフリカですので」 私が南アフリカの子会社に2年半赴任する前、まだ本社で勤務していた時のこと。当時現地人がテレビ会議でよく使っていたのがこのフレーズだ。これは、現地人が「日本のように物事が進まない南アフリカでは、事業の維持や展開が困難だ」といった旨を説明する時の常套句だった。 この言葉を耳にする度に、本社サイドの雰囲気はシラケ返ってしまう。何より、人数合わせ要員として会議の末席に位置していた私にとって恐怖だったのが、この”魔法の言葉”で重役の機嫌がみるみる

          海外赴任ドタバタ劇-第1話「いや、ここは南アフリカなので」

          恐怖と引き換えに海外生活最後の思い出作りを果たした話

          私がまだ南アフリカに赴任していたころ、妻との散歩中によく観光用のヘリコプターを目にした。 当時住んでいたケープタウンは、大自然と都市が融合した美しい街だった。そして、晴れ渡った青空を漂う機体から一望するその街並みは、筆舌に尽くしがたいものだということが容易に想像できた。 「いつか乗ってみたいね」と妻が言う。 しかし、私は彼女にせがまれるたびに、その提案を拒否し続けた。なぜなら、私は大の高所恐怖症だったからだ。 高所嫌いの”あかんたれ”に訪れた一大危機 高層ビル、登山

          恐怖と引き換えに海外生活最後の思い出作りを果たした話

          ライターとして独立を決意した私が東海道380㎞を8日間かけて走り切った話

          「名古屋まで走り切るなんてやっぱり無理なのかな」 目の前に立つ「転落の危険あり 立入禁止」の看板を睨んだ時、ランニングウェア姿の私はスタート地点の東京駅から190㎞離れた海上橋の上に立っていた。 右手には土砂崩れの跡が残る急崖がそびえたっていて、反対側の駿河湾を臨んでいる。歩道はすでになくなり、路側帯も数十センチほどしかない。エンジン音を上げて、背後から真横スレスレを次々に通るトラックや乗用車たちが、疲労感でいっぱいの私の心細さに拍車をかけた。 会社を退職しライターとし

          ライターとして独立を決意した私が東海道380㎞を8日間かけて走り切った話

          ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-最終話「待っているだけでは何も始まらないよ編」

          南アフリカ共和国に赴任中の私が、日本で1度しか会ったことがなかった妻とビデオ通話で2週間やり取りした結果、結婚に至った話です。 第3話では、当時世界中で流行していた新型コロナの変異株・オミクロン株に行く手を阻まれながらも、我々夫婦が南アフリカで再会を果たした様子をお伝えしました。 今回(最終話)では、現地での新婚生活に向け準備を進める妻が、まだ渡航前にもかかわらず、浴びた南アフリカの洗礼について綴っています。 妻のビザ申請で待ち受けていた新たな試練 次の試練が訪れたの

          ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-最終話「待っているだけでは何も始まらないよ編」

          ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第3話「コロナ禍での試練編」

          南アフリカ共和国に赴任中の私が、日本で1度しか会ったことがなかった妻とビデオ通話で2週間やり取りした結果、結婚に至った話です。 第2話では、一時帰国した私が妻と”2回目の”対面を果たし結婚に突き進んでいったことや、その中で彼女について知った新たな一面についてお伝えした。 私が南アフリカへ発ったあとの2022年1月11日、妻が近所の市役所に結婚届を提出し、我々は晴れて夫婦となった。 しかし、順風満帆と思われた我々の夫婦生活は、この時すでに最初の試練に遭遇していた。今回はこ

          ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第3話「コロナ禍での試練編」

          ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第2話「クセが強い妻との結婚準備編」

          南アフリカ共和国に赴任中の私が、日本で1度しか会ったことがなかった妻とビデオ通話で2週間やり取りした結果、結婚に至った話です。 第1話では、妻と出会った経緯や、世に稀に見る成り行き任せの「プロポーズ」がどのように成立したのかをお伝えした。 そして、2021年11月、私は日本に一時帰国することとなった。年1回の健康診断や本社での業務打ち合わせを除けば、我々に残された滞在期間はわずか2週間。この間私は、妻と2度目の対面を果たし、結婚に向けた準備に取り掛かった。 今回はこの2

          ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第2話「クセが強い妻との結婚準備編」

          ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第1話「成り行き任せの告白編」

          私の人生は突飛な行動であふれている。 南アフリカ共和国への駐在期間中に結婚したことも、私の行き当たりばったりな人生を象徴するエピソードの一つだ。 結婚を切り出すまでの間、実際に妻に会ったのは1回だけ。にもかかわらず、日本に住む妻に「南アフリカに来ませんか?」などと結婚を持ちかけてしまった。 しかも、じっくり話すようになってから結婚を決意するまでに要した期間はわずか2週間。その間、妻とのコミュニケーション方法はラインのビデオ通話だった。それでいて、妻は本当に南アフリカに来

          ”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第1話「成り行き任せの告白編」

          人生の転機に東京から名古屋までの380㎞を8日間かけて走り切った話-最終話「未来につながる380㎞編」

          この記事は、海外駐在から帰国したのち会社を退職した私が、新しい人生のスタートの門出を祝して、東京・名古屋間をランニングで走り切った記録です。 前回(第2話)では、箱根湯本から藤枝駅までの間(3~4日目の114.3㎞)に起きた試練について綴った。 (※以下が第2話です。) 今回(第3話)では、8日間にわたる旅が完結。第5日~最終日(静岡県藤枝~名古屋駅の138㎞)の模様をお伝えします。 静岡名物の絶景に癒される(5日目:藤枝~7日目:三河安城/ 134.5km) 5日目

          人生の転機に東京から名古屋までの380㎞を8日間かけて走り切った話-最終話「未来につながる380㎞編」

          人生の転機に東京から名古屋までの380㎞を8日間かけて走り切った話-第2話「やっぱり甘くなかったよ編」

          この記事は、海外駐在から帰国したのち会社を退職した私が、新しい人生のスタートの門出を祝して、東京・名古屋間をランニングで走り切った記録です。 前回(第1話)では、「誰もやったことがないバカバカしいことをやりたい」と走り旅を思いついた経緯や、初めの2日間(東京駅~箱根湯本駅の96.9㎞)を走った時の様子を綴ってあります。 今回(第2話)では、この旅初めての危機(しかも2本立て!!)に直面した3日目と4日目(神奈川県箱根湯本~静岡県藤枝の114.3㎞)の模様をお伝えします。

          人生の転機に東京から名古屋までの380㎞を8日間かけて走り切った話-第2話「やっぱり甘くなかったよ編」

          人生の転機に東京から名古屋までの380㎞を8日間かけて走り切った話-第1話「無茶だと言われたよスタート編」

          「東京から名古屋まで走り続けるなんて無理でしょ」 あるランニング仲間に言われた言葉が頭をよぎった時、私は三島へ向け箱根峠を下っていた。 一歩踏み出すたびに、左の足首には電流のような衝撃が流れた。これまで経験したことがない痛みに思わず顔をしかめ、背中からは脂汗が噴き出ていた。 この時、スタートして3日目。東京駅から走り始めて120㎞ほど離れたところにいた。ゴールの名古屋までは最短でも230kmは離れている。このままでは名古屋どころか、中間地点に到達することさえも厳しい。

          人生の転機に東京から名古屋までの380㎞を8日間かけて走り切った話-第1話「無茶だと言われたよスタート編」