52Hzの鯨

魚になれば誰の目も憚らずに泣けるかと思った。そうなりたかった。独りでもひとりではなかった。焦ったい瘡蓋のようだ、といえばまだかわいい。私は女だった。日本人だった。若かった。すべて邪魔だった。

ドイツのクラブで孤立し、飲んでもいないのにテーブルにぐったり腕を置いて、重たい頭をさすった。唯一ついて来てくれた友人は、このノリは無理だと告げて先に帰った。日本人の中でも一番クラブやシーシャに縁のなさそうな彼女がこの場へやって来たこと自体奇跡だったが、その理由も私の誘いを断れなかったからと考えた方が妥当だろう。

私は多くの若者の中でもひとりだった。黒髪黒目の人種自体珍しい。しかも一人きりとなった。重要書類の糊を剥がす慎重さと大胆な決心を以って挑んで、無視か嘲笑の的となるために息をしていた。

いっそ乱暴にレイプされたかった。肉体を誰より忌避しながら逃れられなかった。持て余していた。殺される前に殺してやるよ、と断言する横暴さは胸の奥に突っかかっていた。苦しいだけだ。

社会勉強と題してクラブへ行く。アジア人の女はいない。一人?と笑われる声。せめてそのときだけでも国籍を捨て、欧風な外見に化けられたらよかった。踊り狂いたい。それもできない。そんな自分をぐしゃぐしゃに消してやりたい。慰めよりも罪として。

日本人は事情も知らぬ間から敬遠したがる。お淑やかな文化が何だ。文のお化けなんて気持ちが悪い。自分の意思も欲求も封じ込めてそれでも生きていく義務が美徳なら、私は限りなく悪者でいたい。

何もかもにラベルを貼り付け、ぼうっとしている内に錆びて剥がれなくなる。馬鹿の業だ。こんなはずじゃなかった。種族を表わす外見は引き剥がせない。

日本のクラブに行ったときは、二度は一人きりで行った。二十歳なりたてで勇気を振り絞った。周りも日本人だから悪目立ちすることはなかった。体の衝動に従うことは快感だった。それほどの快感は初めてのことだった。詰め込んだ思惑をすべて打って捨てたかったのだ。

そのリセット作業にすら至れないとなれば、痼りは肥大化するばかりだ。この野郎、叫んでやりたい。体を引き裂いてしまいたい。使い物にならない。妨げになるばかりだ。あのとき、女でなければ、日本人でなければ、幼くなければ、違う結末が待っていた。それは自明だった。なぜなら、他者の目が違う判断を下すから。

意識の領域に持ってくる必要はなく、わかりきったこととして我々は区分けをしている。本来は利便性のためだったのかもしれないそれは、足枷となって不要に血を流させる。叫んでも誰にも届かない。抑圧、あるいは無視。ひっそり生きるのが運命(さだめ)だと、誰が決めたか。自然に生きたい。それも、時にはたったひとりでなければいいのに。


#エッセイ #クラブ #ディスコ

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