女はイスタンブールを逃走する


黄昏時が散り散りになり、墨汁をぶちまけたような雲が主役、私は、知らない道を知らない車で知らない人に連れられていた。イスタンブールは日本時刻から時計の針を半周戻せばいいのだからわかりやすい。だがそれくらいの救いは何の役にも立たない。


覚悟が決まった。いざとなったらこの身一つで車から飛び降りよう。本当に、誰かの名言にあったように「勇気と希望とわずかなお金」さえ守り通せばその先なんとでもできるだろう。

気がかりといえば、後方のトランクに積まれたリュックサックの中に、日本へ送るはずで宛先だけ事前に書かれた封筒が入っていることだ。あの人に影響を及ぼすことがあってはならない、リュックサックのひとつくらい自分の膝に抱えて車に乗り込めばよかったのだ。いやそれ以前に、知らない人の車に乗り込む冒険精神は、初めての土地に降り立って直後の行動としてはあまりにも危うかった。

水は悪気なく行く先々の衝撃に形を変えて対応するものだが、やつは流暢に何ものも傷つけずに振り切ることができる。どこまでも自然に。一方の私は、懸命に仮面を被り演じるだけである。滑稽だ。不甲斐ない。この場を切り抜けなければならない。



トルコ国民のおもてなし精神は噂には聞いていたが、私の前に座るのはちらりと見えたパスポートから察するにサウジアラビアの裕福な紳士であるし、隣に座るフィリピン人女性は彼の愛人なのではないか。前の空港から乗り込む段階で、偶然近くの座席に座っていたがために彼らとなんとなく親しくなった私だが、パズルのピースほどに予定調和なのはなぜだ。最初私はそのフィリピン人女性も私と同じように、その場で偶然サウジアラビア紳士と知り合ったのだとばかり思っていたが、彼のいくつもの荷物を運び、彼と行動を共にするあたり、初対面の人間であるはずがなかった。部外者は私一人だ。


過剰な親切は恐怖そのものだった。サウジアラビア紳士と懇意であるらしいドライバーが、紳士の所有する高層ビルへ私たちを運んでいく。イスタンブール在住ではないにも関わらず、大都市の中心部に高層ビルを構えるとは、このサウジアラビア人は何者だろう。たった一時間半のアテネ‐イスタンブール間の飛行でビジネスクラスだった、穏やかな声色の、生まれながらの紳士の佇まいの中年男性だ。その年代に特有と思われる不快な香りとは一切無縁だ。


車が地下駐車場へ進んでいく。受付のおばさんとも知り合いであることが窺われる。そうして否応なく彼のエリアへ誘われる。エレベーターが二つ、地下0階は駐車場、二十階が最上階か。新居であるらしく、何もかもが整っている。トルコ風の派手なデザインが慎ましやかに部屋の統一感を造っているほかは、限りなく純白だ。


一通り全部屋を案内していただいた、というよりは入ってしまった以上は彼が仄かに自慢げに語る新居を見せられるしかなかった私は、当然のことながら寝室の存在も確認した。レディたちはこの部屋でゆっくり寝なよ、と主であるサウジアラビア紳士は宿泊許可を出す。けれどもいきなりの一連の流れに恐怖が累乗されるばかりの私は、自分はすでにホテルを予約しているからそこに行きたいのだ、と下手な英語で言う。車内にいるときから主張していたことの繰り返しだ。明日の朝でも大丈夫でしょう、と流されそうになるが、こんな緊迫空間でゆっくり休めるはずがない。今すぐ行きたいと言うが、ゆっくりしていくといいよと返される。


しまいにはサウジアラビア紳士とドライバーともう一人の男性が、トルコ語かアラビア語か全く想像できない言語で、いくつものパスポートと証明写真を片手にビジネスの話を開始した。中間業者なのかもしれないにしろ、誰のものか不明なパスポートが複数出てくる時点で、想像力はサスペンスだ。フィリピン人女性はラフな格好に着替えた状態で上の階にいるらしく、もう姿は見えない。逃げ出すなら今だ。


無駄に律義な私はこれが彼らなりの芯の通った親切であったなら黙って出ていくのは悪いと考え、彼らの理解不能なドイツ語で、「すみません、私は行きます」といった声掛けをして、ドアを開け音もなく脱出した。エレベーターは使わない。二十階分を駆け降りる。追いかけられはしないか、こんな階段にまで監視カメラはないだろうか。もうどうでもいい。逃げるが勝ちだ。


0階は駐車場のはずだが、階段はさらに下まであるようで、そこは水道管や用具が置かれる場所らしく、非常口の扉を開けても外には出れない。再び上がっていき、ようやく外へ繋がるドアが見えた。これも簡単には開かないうえに二重になっている。外には煙草を吸う男性二人の背中が見えるが、これは確かに先ほどの彼らではない。高層ビルの個人宅から脱出した私は、その喫煙中の男性方に最寄駅はどこかと尋ねた。メトロなら左を出て右だ、と教えられた通り小走りに進む。帽子と上着を取り、万が一に備え先ほどの身なりとは変えておく。


メトロの地図を見ると、自分が泊まる予定のホテルは、サウジアラビア紳士の住宅とはだいぶ離れていることに気づく。初っ端から危ないことをした。ホテルにチェックインしたときの安堵感は筆舌に尽くしがたい。

けれどもそれ以降の日々も、イスタンブールが「一人の若い日本人の女」でしかあれなかった私にとってナンパの嵐であり、息つける瞬間は一人でホテルに居るときだけだとは嫌になるほど思い知ることになる。


初日の夜、予定より一時間以上遅れてホテルにチェックインした。先ほどの脱出であまりにも疲れていたが、それでもイスタンブールの空気を浴びたいやんちゃな魂がくすぶっていた。幸運にもそのホテルはハギアソフィアとブルーモスク、グランドバザール、黒海を散歩コースとするには最適な正真正銘のイスタンブール中心部だった。夜遅くまで観光客相手の商売は盛んであり、飽きることがなかった。すぐ近くのレストラン街の客引きの男性陣は、ホテルを探すのを熱心に手伝ってくれた方々でもある。


さっそく一人のトルコ人に捕まり、いきなりの挨拶で手にキスをされた。そこそこ良い価格のレストランであったらしいにも関わらず、ウエーターに全額奢っていただいてしまった。頼んでもいないのに、白ワインとフルーツの盛り合わせまで出てきた。こちらに拒否権はないのである。見返りとして半ば強引に、ブルーモスクまで一緒に散歩することになった。こういうのをデートと呼ぶのだろう。手を振りほどくことができないのだ。噴水が青白く輝る。カップルが寄り添う場所だ。つまり私には関係がない。早々に逃げ帰ったが、こんな話は日常茶飯事だった。

ボーイフレンドがいないと知られるとますます酷い。恋人がいないということは、必ずしも恋人未満を意味しない。私はそう考える。けれども世間はそう思う脳味噌がない。男なら身につかずに生きていられたはずの逃走スキルが格段に上がって生活を送ることになった。


人間の渦にもまれて帰り、ホテルのダブルベッドに一人で寝そべる。枕二つが行儀よく並んでいるが、私は一つしか使わない。もう一つの空間は、日本に残した大切な人の分だから。

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