『勇気も愛もないなんて』
いつかこの、電車内の椅子の端っこで、純水過多の水彩画ほどぼやけて映る手すりを、あるいはその先の、東京から神奈川へ下る中途半端な高層ビルを、思い出すのかもしれない。
小さなウエストポーチ一個の中に、煙草もコンタクトも本もイヤホンも学生証も潜ませて呑みに出かけた昨夜の自分は偉い。友人へ貸したタクシー代で、財布は空っぽになった。
早朝の電車ではさすがに本を読む元気がない。胃にミサイルを突っ込まれた気分なのだから、せいぜい音楽を受容するくらいしか時間の使い道がないのだ。
NICO Touches the Walls
『勇気も愛もないなんて』
今の自分じゃねえか。
勇気も愛もないなんて…!
先週、TSUTAYAでアルバム5枚をテキトーに借りた。ジャケ借りですらない。ひゅっとしゃがんで、目のあったCDを借りただけだ。だからもちろんアーティストのことなんか何も知らない。
そのくせ、前回借りた5枚の歌声は、どれも似ている気がした。テキトーに借りたのにこの偶然はすごいんじゃないか。
どうでもいいことだけれど、私は早朝の電車の気怠さがなんとなく好きだ。
みんな疲れている。座り込んで眠り込むか(でも最寄駅に着いたらぬくっと起きれるのはすごい)、悟ったように虚空を見つめている。滲み出る生活と、ちょっとした非日常の素行。
音が消えた世界。色でいうなら、下画面が灰色で覆われている。乗客全体によくわからない連帯感がある。ように感じる。
昨夜の呑みイベントもそうだ。はしご酒する気風が町に溢れていたから。
愛国心を掲げて戦争へ突っ走る連帯感、ときたら気色悪いと思うけれど、ワンナイトのはしご酒イベントでみんなして浮ついているのは、なんだかいいもんだ。多分みんな、普段が疲れ過ぎている。
初対面の人と交換したLINEがいつまでもつのか知らない。次回どこかで会うのかもわからない。一瞬か永遠かわからない時間、関係性。
ここにいていいんだろうか。今あるものなんて全部、消えてしまうんだ。
負の感情とされるであろうものたちが、団結して襲ってくる。無力な私は、テーブルにちゃんと寄りかかることもできない。ビニール袋を持っていてよかった。
酔ってんでしょ、と言われたら、お前に酔ってんだよ!と言い返したいくらい、友人が優しかった。
そう言えないほど酔っていたので、私は友人の話を耳に入れておくだけだった。
多分この友人だって、今ほど親しくない時代にこちらが繰り返し吐き散らかしたら、それだけでSNSブロックしてたんだろうな。また明日も(!)飲もう、という展開、すごい奇跡だ。
勇気も愛もないけれど、君がどうしようもなく好きだ。
何が辛いの?と聞かれたら、君のいう「好き」と私のいう「好き」が全然違うように思えて寂しいんだ、とでも?
贅沢言わずに刹那的な喜びを100%信じて、その連続で生きていくしかないのかもしれない。
「幸せになっていいんだよ」と断言されたら、その言葉だけを信じていいのかもしれない。
二日酔いは幸せの名残みたいで、いいものだったり。
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