鳥身

松浦理英子『犬身』を読んでから、一年。

性同一性障害ならぬ〝種同一性障害〟なのだ、私は人間じゃなくて犬だ!

というのが、趣を殴り捨てた『犬身』の要約だ。(個人的には、人間関係が面白いというか、ちくちく胸に刺さって痛かったので、あらすじだけでなく読んでみてほしい本です。)



忠実な果実のようにぬくぬく育って、はち切れんばかりに膨らんだ、決心がある。

朽ちる前に成就したいけれど、一体どうしたものだろうか。『犬身』のストーリーみたいに、バーの奥から魔術師が現れて、本来の〝種〟に戻してくれる、なんてファンタジックな展開は、それこそ夢の中でしか描けないのだろうか。

私は鳥だ。
人間やめたい。




いやつまりそういうことなんだけど。


友人に「君は人間ぽくない」と言われた。
何もかも真反対の(つまり現実に足をつけているような)友人まで、「空衣は鳥みたい」と言い出すようになった。
私もそれでいいと思う。

ただし、飛べる鳥じゃないと嫌だ。というか、違う。
ダチョウやペンギンは違う。タカほどデカく勇ましくはないけれど、スズメを愛でる心を持つくらいに自身は小さくない。カラスみたいに単色に染まってもいない。オウムみたいに愛嬌ある会話はしない。フクロウほど長寿じゃない。

それに日本の象徴みたいな奥ゆかしさを身にまとうよりも、少し汚れた体で照葉樹林を見渡しているはずだ。
きっと帰る場所はドイツだ。理由なく気狂いみたいにドイツが好きで、自然と心身が、いや魂が高揚するのは、ドイツが帰るべき場所だと私が知っているからだ。たまに川のせせらぎに羽を撫でられる心地で、風に吹かれるのだ。そうして最上の生の喜びを噛みしめるのだ。

こうしたことを並べると目覚ましビンタを食らいそうなので、自身が鳥だ!という科学的根拠を挙げさせていただこう。
(私はド文系であるため、「科学的」というニュアンスが貴方の定義と大幅に異なるであろうことはちょっと覚悟していただいた上で。)



鳥類には磁場があるそうな。だから行き着く場所に導かれることができる、と。

私の鬱憤を聞いてほしい。

学生証の磁気不良は、二年間で15回いった。
通常なら四年間大学生していて、せいぜい1、2回ダメになって交換するくらいで済むのに。

おかげさまで、私は図書館のゲートをくぐることが出来ず、いちいちピーピー音に引っかかる。部室のキーも反応しないので、他の部員が運良く部室を開けてくれるまで廊下の長イスで眠るのだ。

また学生証磁気不良だ、と言うと何回目?と聞かれる。もはやネタである。無駄に立派な証明写真たちは、すべて学生証を代えるために消費された。

磁気不良になるのは、学生証だけではない。

ホテルのキーも壊れる。私は部屋に入ることも拒まれるのだ。
後輩と一緒に旅行したとき、後輩は何事もなかったのに、私だけ二回もキーが使えなくなった。磁気不良だ。おかげで、あっという間に受付嬢に顔を覚えていただいたようだ。
別にスマホやクレジットカードに近づけていないし、磁気を発しそうな物からは徹底して離しているのに。私自身が磁気を宿しているに違いない。

キャッシュカードも磁気不良だ。私は自分が稼いだ金を引き出すこともできない。ひどい。


磁気の次は、方向感覚について。
そういえばバイトでも、右と左を二分の一の確率で間違えるので、だいぶ困った。

私は地図が読めない。Google先生は使いものにならない。なんというか、地図を読もうとすればするほど真反対に遠回りしているようだ。最寄駅にはとっくに着いているのに、目的地までの地図が理解不能だから集合に遅れて申し訳ない。
それでも私は、最終的に目的地に辿り着けると信じている。「なんかこっち」だと思う方に従えば、いつか着く。
それが今日であるか明日であるかは正直関係ないと思う。ただ、人間の社会性を尊重するならば、そんな気まぐれは許されないのだから生きづらい。

私としては「右行って二つ目の信号を左で、30メートル進んだところにあるコンビニを右折したら目的地に着くよ」なんて言われるより、「あっちの方角に100キロ歩けば東京着くよ」と指差していただいた方が助かる。自力で辿り着ける気がする。何よりわかりやすい。紆余曲折するにしろ、最終地点が「あっちの方角」であるのだから、あとは自分のペースでイケる。

自由はいいものだ。道中の孤独も目的そのものと化し、旅することは生きることで、今自分はどうしようもなく生きている、と感じられるのだから。


移動手段なら、自転車が好きだ。

自分で動かせるものの中で、一番空に近くいられる。
電車や車に乗るのは面倒臭いと思う。大名行列みたいな満員電車も渋滞も、窒息しそう。人間の乗り物ですらない。それに窓ガラスからじゃあ、星も曇ってしまう。

バイクは風に吹かれて動ける点では魅力的だけど、自転車で数回派手に事故ってる私には、機械レベルが高すぎてキケンだ。鳥になったからって、宇宙に飛び出していこうとは思わないのと同じことだ。今のところ。


あるときクラスメートに
「この前空衣ちゃん、道端のハト見て微笑んでたよね。かわいかった~」と笑って言われた。

私は自覚なくハトを見て微笑んでいたらしい。シンパシー? いや、随分恥ずかしい報告だった。カワイイって利便性の高い言葉だね。


選択に迫られたとき「きっとこっちに行けばイイ感じ」という直感で決めている。
そしてそれはハズレない。というか、後悔しないように生きる気でいるのだから、そんなのは当たり前だけども。

自分でわからなかったらコイントスをする。他の邪魔な情報に揉みくちゃにされるより良い。



どうでもいい話にまでなってしまったけれど……
私は小さい時から鳥になりたかった。
幼稚園のお遊戯会で鳥役をやりたくて手を挙げたのに、先生は取り扱ってくれなかった。大人の自己満足で終わるそのときの記念ビデオなんてツマラナイ。もう処分されただろうか。


人間を務めることは難しい。
的外れで、滑稽だ。息をするだけで疲れる。
何もしなくても勝手に泣いているときが増えた。私は他人になっていた。人間にすがりつこうとしている時点で、可笑しかった。
鳥の寿命は20年もあれば充分すぎる。


鳥になったら、
森を見下ろして、空をキャンバスにして、雲を貫いて、遊ぶ。
水たまりと間違えて、地面にぶちまけられていたドイツビールを飲んで、酔っ払って千鳥足なのも面白い。
ハンターに撃ち抜かれて、焼き鳥になって、好きな人の体の一部に同化するのもいい。

人間に恋をしたら、その人が落ち込んで自身が宇宙に独りぼっちだと思い込んでいる間、窓ガラスを突っついて、僕に不釣り合いなほど、君に見合うほど、美しい花を摘んで、授けよう。


#エッセイ #詩小説

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