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散る前に

釈然としない爆弾を抱えたまま、講堂前で一缶だけ飲んで帰ろうと思い立った。
五限終わりなので、サークルの新歓に向かう新入生と上級生が溢れている。トレンチコートに包まれた新入生はどうしたって眩しい。今が暗くてよかったと思いつつリキュールで暖まる。

見上げると、星か衛星かわからない光が浮かんでいる。あれが星だと信じることで慰められた気分になる私は、とことん人間嫌いなのかもしれなかった。

どうせ来ないだろうと諦めながらもLINEすると、友人と後輩が三人集まった。彼らは初対面だったが意気投合し、ラーメンを食べに行くことになった。

誰々が毎日通っているというそのラーメン屋では、もやし一袋を丸ごと盛ったような山にさらに大量のアブラが重ねられている。食べることは戦いなのだと思い知る。トウガラシの掛け合いをしては、全然辛くないと言い張って遊ぶ。
少しでも動けば吐く、という満腹状態で店を出ると、また馬鹿な提案が出た。

「上野までナイトハイクしよう」

目的もなく、なんとなく桜が綺麗かもしれない、という思いつきで上野まで歩くことになった。
こんな展開を予想していたはずのない後輩の女子二人もついてくる。スカートなのに寒くないのか、ヒールが高すぎないか、密かに危ぶんだけれど、ひょっとしたら女子の方が逞しいのかもしれない。彼女らは一度も根をあげなかったし、それどころかノリで押し通す健気さを持っていた。

新学期初日特有のやる気に満ち溢れていた私は哲学書の類を三冊と電子辞書を持っていたため、リュックがいつ壊れても何も責められない状態だった。それでも、なんか今走りたくない?と言っては急に走り出す、空っぽの若さをまだ備えていた。

上野へは呆気なく着いた。
前回不忍池に来たときはアパホテルの替え歌を作って即興で披露するギタリストの兄ちゃんがいたなあと思い返すと、その前回というのはもう一年も昔のことだったと気づく。

池に沿って進むと、夏祭りと変わらないエネルギーで屋台が並んでいた。四人で分けられるものがいいね、ということで10年以上ぶりであろうベビーカステラを買った。

20個入りだから一人4個ずつだ、と友人が言うので、算数出来ないのか、と笑いかえす。
冒涜しているのかとツッコミ不可避のかたちをしたドラえもんやキティちゃんらしきカステラを口に運ぶ。素朴な甘さというのはいいもんだ。

そうして人に溢れる道を進んで行くと、一箇所ぼうっとライトに照らされている場所を見つけた。

「入居者募集中」

なんじゃこれ、と思って近づくとブルーシートに座っていた大人に声をかけられた。

おいでよ、入って入って、てゆーか私たちもさっき来たばっかの入居者だから!

他の三人が躊躇うのもそっちのけで、本当にイイっすかお邪魔しますー、とブルーシートに入れてもらうことにした。友人と後輩も、まさかここまで予想してなかった、と呟いて入居者となった。

名前も職も年齢も知らないスーツ姿の大人たちと乾杯した。ニッカを遠慮し、梅酒をもらって。
今ではもう顔も覚えていない。最初は三人だったそうだが、私たちが入居した時点で三十人を超えていた。

どこから来たの、という定番の質問から始まって、大学生ですと身バレしたので、若さを煽られることとなった。短大とか社会人とか言っときゃ良かったかなーと思う頃にはもう遅いし、酒の席で適当なウソを突き続けるのも疲れるのであれは仕方がなかった。

隣に座る、父親と同じ年齢のサラリーマンはしきりに「オレも若い頃はこんなふうに……」と繰り返していた。そうして「大丈夫?もしかして引いてない?飲みたくなかったらちゃんと言うんだよーパワハラになっちゃうから」と社会人ならではの気遣いを、会社同様に披露した。

後輩は大丈夫ですよーサークルの飲みじゃもっと酷いんで、隅田川の花火大会のときなんて三泊四日も野宿して酒飲んで花火待ってたんですよーとキチガイエピソードで社会人を黙らせようとする。

都外に住む私の終電はとっくになくなっていた。
後輩二人の終電時間が迫ったので、花見の輪を抜けた。明日一限があるので、という社会人から羨ましがられる理由で。

後輩を上野駅まで送ると、友人と二人きりになった。

私は機内モードにしていたが、電源をオンにすると面倒な現実が待っていた。先ほど親から連絡が来て「どこにいるの」と聞かれたのでバカ正直に「上野」と返したのだった。そして親はブチギレたようだった。
できるだけの連絡はしたのだし明日の予定は何もないのだから、私がどうにかしなければならない理由は何もないように思われた。気持ちよさを投げ出して無理に終電で帰ったところで、遅いと叱られるか徹底的に無視される顛末は見えていたのだから。

眠くなって来たので友人とベンチに寝そべった。哲学図鑑を枕に、ハットと間違われる黒い麦わら帽子を腹に持って、ベンチに仰向けになった。哲学図鑑はちょうどいい高さだった。

冷んやり固い石造りのベンチはいつもの敷布団よりも包容力を感じさせた。酔っ払いの雄叫びもたまに吹き付ける風の音も、私の全身を撫でるように、そこに存在する正しさを体現していた。

コンタクトも眼鏡も外したので、世界が水彩画に化けた。枝の黒いシルエットと曇り空が融合していた。人工的なライトがアクセントとなって、幻想的というのも勿体無いほどの闇夜を形成していた。体が震えるのは野宿する寒さのためではなく、無防備に世界の秘密を晒す、暴力的な自然の美しさに犯されたためだった。

風や枝や曇り空が声立てず歓迎してくれるその素晴らしさについて、砕けた言葉で友人に打ち明けると、それは君が見ている世界が違うからだと言われる。親とわかり合うことはできないでしょ、とも重ねて言われた。それは私の思うところでもあった。

私は時計の針が示す時間に毎日制御されて眠りにつく生活が幸福であるとは全く感じられなかったし、自然に従って行くべきところへ導かれることの方が尊く感じていたのだ。

花見とこの静けさを味合うことなく暖かいだけのベッドに帰ることは、人生を放棄することと同義だっただろう。空虚な規律に従い機械的に行動することは思考停止するだけでなく、生命を殺すことに他ならない。

もし親やその他の人に尊敬に値する考えや感覚があるならば私はそれを重んじただろう。けれども、彼らの喜怒哀楽は彼ら自身の内側から湧き上がるものではなくて、義務化した枠組みに支配されているだけの、拙い遊びとしか受け取ることができなかった。
私が近づいて適用しようと試みても、疼く魂は私をそうではない方向へ引っ張るのだった。他に理性的な理由説明は困難であったし、感じることのない人から共感を得ることは不可能だった。そのため私は共有不可能な孤独を友とすることが人生と折り合いをつけていくために重要なことだと悟ってきた。家に帰れば私は独りになることができない。

私は自分の直感と、それによる選択を悔やみはしない。そして誇るべき若さに頼れる間はそうしておこうと思っていた。

私が上野公園から去った後雨が降ったので、あの桜たちは散ってしまったのかもしれない。今年最初で最後の花見となった。

#小説 #エッセイ #若さ #魂

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