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地下鉄サリン事件の後遺症/日本の政治の場合

今日3月20日.1995年に #地下鉄サリン事件 が起こった日だ。
 その時に #たくさんの犠牲者 が出たが、いまだにその #サリンの後遺症 で苦しんでいる人が多いらしい。
何を隠そうこの私もサリン事件の被害者で 、
ある意味後遺症に苦しんでいる。
ちょうどこの日、私たちはその年の #参議院選挙 に向けて1年ぐらいかかって全国を飛び回り準備してきた。
#全国の百姓仲間 に呼びかけて、 #農民連合 と言う #政党 を作って参議院選挙戦おうとしていた。
この日の前日、その総仕上げとして高知県で農民連合の全国大会を開いた、
当時私は農民連合の呼びかけ発起人であり全国連絡会の事務局長だった。その役どころは全国選対長である。
そして、首都圏と関西圏の6都府県に6名の地方区の候補者を構え、
4人を比例区に出すと言うことを決議した。
候補者も決まり、それを東京でも発表しようとして、
向かう最中に、高知空港でこの地下鉄サリン事件のことを知った。

本来、この日の新聞には、その前日の農民連合全国大会の記事が相当大きい記事になるはずであった。
まだ、インターネットが普及してない時期で、マスコミ、特に新聞は選挙を知らせる最大のメディアだった。
マスコミ対策も加味した新党立ち上げは私の選挙戦略の一部だった。
しかし、それは地下鉄サリン事件で吹っ飛んでしまった。
#米の輸入自由化  #TPP などの問題で日本は大揺れに揺れていた。
農民は不安を募らせ 、
 #何とか政治を変えなければならない と言う立場で立ち上がった。
全国の農家がこれをきちっと参議院選挙で訴えて、
#日本の農業を守ろう と立ち上がろうとしていた。
その大事な新聞で相当大きく扱われるはずの日に地下鉄サリン事件事件が起こったのである 。
それから半年間はほとんどサリン事件の話、
あるいは #オウム真理教 の話ばかりでマスコミが埋め尽くされた。私が羽田空港に着いてモノレールに乗っていると #麻原彰晃  の不気味な人形被ったオウム真理教の信者たちがそれぞれの駅前でショウコウショウコウと歌いながら踊っていた。
あれは恐怖だった。
当時ほとんどの#スキャンダル とかを扱う すっぱ抜く文芸春秋と言う雑誌があったが、
そこがオウム真理教だけは扱わなかった。
と言うのはオウム真理教はある意味、頭脳集団であった。
信者に弁護士もたくさん入っているし、医者もたくさん入っている。
だから、もしマスコミがオウム真理教の悪いイメージをどこかで報道しようものなら
#名誉棄損等の訴え を起こされ、ほぼほぼ負けると言うことを当時は繰り返していたので、
マスコミは怖がってオウム真理教にどこも触れようとしていなかった。
そして彼らは参議院選挙にも出ようとしていた。

私たちの選挙が完全にかき消されてしまっていた。
あの時あのタイミングでなく、地下鉄サリン事件が1年早いか1年遅ければ私たちは参議院選挙である程度の成果を上げられた可能性があった。
とにかくオウム真理教に掻き乱された日本で、
私たちは惨敗し、多くの仲間が失意のうちにどこかに行ってしまった。
私はそれ以降参議院選挙を全国に呼びかけてやることをやめてしまった。
そういう真面目なこと。
真面目な訴えに対して立ち上がる者たちは真面目だし、
どちらかと言うとお金のない人が多い。
お金に恵まれた人たちはなかなかそういうことをしないのが日本なのだ。
そんなことを今朝
地下鉄サリン事件がこの日に起こった。
30年近く前にこのことが起こったと言う報道を聞いて思い出した。


もちろん来年の参議院選挙に立候補しようと考えているのは
候補者を集めて、参議院選挙に挑戦しようとしているのは、
その当時とはやり方を変える。
インターネット時代になり、情報拡散は圧倒的に有利だ。
お金の出せる人を募集し、
候補になれる人を募集し、
選対の事務局を引き受ける人を募集し、
全国レベルのボランティアを募集し
それぞれができることをする。
役割分担をすると言う仕組みで戦うつもりだ。
30年前とは違うやり方で、
今度は今度こそは議席を確保したい。

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