『嵐』のいる生活

2020年度末、アイドルグループ嵐が活動を休止した。それから半年が経ち、やっと自分の中に感情や言葉が落とし込めてきたので、それらを書き留めておこうとPCに向かっている。

結論として申し上げたいのは、活動を休止してなお、今後どうなるかにかかわらず彼らは私の中に存在し続けており、恐らくずっと宝物だということである。


まずはきっかけからその変遷を辿っていきたい。

嵐を知ったのは小学生の時。ドラマ『魔王』でまず大野智さんの存在を知った。周りに嵐ファンが多くいたため、好きになるのに時間はかからなかった。新しいアルバムがでてはわくわくしながら買いに行き、聴き浸っていた。そんな生活が高校生まで続いた。私は特段バイタリティもなく、好きになっても発信も共有もしない、ひっそりと自分の中だけで滾る気持ちを消化して宝物のようにしまっておくタイプのファンである。(ファンの定義は人によって違うと思うが、私の中でこの言葉はシンプルに応援する人のことを指している)応援すると言っても基本的には曲を買って聴き、出演しているテレビ番組を視聴するというくらい。いわば少ない供給でぐんぐん走れる省エネ型の車なので、家には買ってあるもののまだ封も開いていない、楽しみにとってあるアルバムやライブDVDなどが未だ積まれている。供給のスピードにはどう頑張ってもこちらの消化が追いつかないので、自分のペースでひとり楽しんでいるのが好きだった。今もその途中である。

そんな中、一度だけ、運良くコンサートに行けたことがあった。人生で初のライブだった。2012年位だったと思う。生で会えるという高揚感、会場の一体感、コンサートの演出、全てが別世界で夢のようだった。「ピースして!」といううちわに答えてもらえ、物心ついてから一度も聞いたことのない「キャー‼︎」という高い声が己の口からでて驚きのあまり放心したことを覚えている。あんな声を出したのは後にも先にもあの一回だけである。

彼らは様々な活動をされていたが、私はアーティストとしての彼らを主に応援していた。多感な思春期から心身を崩した青年期まで、嵐の音楽は常にそばにいた。中学から電車通学だったので、その日の気分に合わせて、毎日曲を聴いていた。気分がいい意味でダークな時は「Firefly」「Carry on」「Cry for you」「The Bubble」「Right back to you」「truth」などを連続で聴き、毎日変わらない通学や通勤の風景に色をつけて楽しんでいた。土曜日の昼間、人の少ない静かな電車の中で日差しを浴びながら聴く「素晴らしき世界」は最高だった。

曲を再生すると過去の自分の出来事や感情が走馬灯のように同時に流れる。気持ちの言語化ができるようになった頃には、既に嵐の曲は私の人生の一部になっていた。


活動休止を受け止める

嵐が活動休止を発表した頃、私は猛烈に心身を崩していた。まずテレビが見れなくなり、映画やドラマが頭に入ってこなくなり、曲すら数年聞けていなかった。休養し、少し復活した頃には活動休止まで半年を切っていた。休止について頭では理解しつつも、その事実はまったく心に落とし込めていなかった。

休止が迫るにつれ、初めて焦りを感じた。普段はオンタイムで楽しむことは殆どできなかったが、彼らの存在にずっと支えられてきた身としては、この時ばかりは彼らと一緒に休止までの時間を味わいたい、嵐の迎えるひとまずの閉幕を一緒に見届けたいと強く思った。今彼らは何を思い、何を感じているのだろうか。もうずいぶん離れてしまったけど、笑顔で見送りたい。そう思い立ち、公式のSNSやYoutubeを一気にフォローし現在の情報を集めていった。NetflixのVoyageを毎日仕事終わりに少しずつ見て、こんな裏側があったのかと毎日感情がジェットコースターになりながら当社比猛スピードで消化していった。

その中で感じたのは、やはりドキュメンタリーであるVoyageの異質さだった。バラエティや他のSNSで見るのと異なる面を見せてくれたのだが、果たしてこれは彼らが望んでいるのだろうか、見せてくれるのは嬉しいけれどこんなに見せて苦しくならないのだろうかという思いが過ぎるほどだった。Voyageの中で、彼らが自分の気持ちや感情を言葉にすることの重みをとても、とても強く感じており、慎重に表現しているのだということがはっきりと読み取れた。私がそのことに気づいたのが休止直前だっただけで、ずっとそうだったのかもしれない。また、彼らが『嵐』としての幕の降ろし方を大切にしており、悲しい降ろし方をしたくない、最後まで楽しみ、楽しんでもらいたいと考えて様々な企画やイベントを練っていることが伝わった。伝わったからには、自分の折り合いのつく範囲で一緒に楽しんで閉幕を見届けようと決意した。

12月31日、私はiPadの画面を涙とともに観ていた。ライブは最初から最後まで、とっても楽しかった。時にはひとり小さくコールをし、ハンカチを片手に笑ったり泣いたりしながら(基本的には泣いていたが)、Love so sweetをBGMにして消えていく彼らを見送った。果たして楽しんで見届けられたのだろうか。判断する人もいなければその必要性もない。とにかく、見届けることができたという達成感と、幕が閉じてしまった喪失感と、ライブの興奮がごちゃまぜになった大晦日だった。


休止後に起こったこと

2021年が始まり、仕事始めになり、月日を重ねても、嵐というものに関して私の時間は止まったままだった。2020年12月31日のあのライブに感情を置いてきてしまったように、えも言われぬ空白感と喪失感が心を支配していた。ライブの最後に松本さんが「寂しくなったら曲を聴いてね、俺も聴きます」というような言葉を残してくれたのを思い出し、試しに聞こうとして「A•RA •SHI」を仕事終わりの台所で流したところ、涙が止まらなくなり慌てて再生停止を押した。ポップな音楽にとんでもなく重い感情が乗ってしまっていたのだ。これにはシンプルに驚いた。自分の中で、これほど嵐が大きな存在となっているとは思わなかった。何年か離れていた時もあったし、いわゆるオタクのような熱量や知識や行動力があるわけでもなかった。嵐が好きで、12年ほど静かに応援していて、主に曲を聞いていた。この喪失感の中には一体何がつまっているのだろうか。半年経った今でも、まだ分析できるほど客観的になれていない。

一つ思い当たるところがあるとすれば、Voyageのどこかで櫻井さんが「嵐を宝箱の中に閉じこめておきたい」と言っていた場面だろうか。この言葉にとても共感した。わかる。私も好きなものや言葉や大切な感情は宝箱の中にしまって眺めるのが好きなんです。と勝手に言葉を返したくなった。嵐を好きになった時から少しずつ宝箱にしまっており、更に彼らが嵐そのものを自身の手で宝物にしたため、嵐に関する私の感情や思考のめぐりそのものがすべて箱の中に仕舞われてしまったのだろうと思う。だから、曲を聴くと箱が開いていろんな感情が一気に溢れてしまうのだ。なのでこうしてようやく言語化できた今は、聴きたい曲を1曲流して楽しみ、箱が少し開いてきたら頃合いのよいところで止めるようにしている。

書いていて、実に不器用だなと思う。強い感情や変化に弱く、些細な出来事が大きく映る。そんな自分のことを嫌だとは思っていないが、生きていくのに工夫が必要なタイプだと思う。少なからずそんな人もいるのではないだろうか。


おわりに

最近好きで見ていたドラマ、『大豆田とわ子と3人の元夫』の7話でオダギリジョーさん演じる小鳥遊が言った、『人間は現在だけを生きているのではなく、同時に過去も未来も生きている』という言葉。ベルクソンの哲学的な考え方なのだが、私はこの言葉に救われた。過去に嵐は存在し続けており、今も休止した状態で存在している。いつでも彼らを応援できるのだと思うと心が軽くなった。敬愛する宇多田ヒカルさんも先日のインスタライブで「喪失の悲しみを乗り越えることはできないと思う、悲しみと一緒に生きていくんだよ」という旨のお話をされていた。私も、様々な感情を抱きかかえて日々過ごしていこうと思う。

今はまだ正面切って聴けない嵐の曲も、これから少しずつ楽しめるようになればいいなと思っている。「ああ今この曲が聴きたい!」というわくわくが起こる度に、嬉しくもどかしく寂しい感情が湧き上がる。それもまた、楽しいのではないだろうか。まだ聴いたことのない曲もある。見ていないドラマや映画もある。休止してなお、宝物になった嵐の存在に私は励まされ、助けられている。幸せでいてくれたらいいな。休止した後の彼らに対して願うことはひたすらにその一言に尽きる。

いつもありがとうございます!


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