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大きな勘違いをしている、人類。

現代社会を見ていると、根底に「大きな勘違い」があるなと感じる。

「問題解決」がまずそれ。

これは、日々生きていく中で生まれる悩みや問題、不満や不安を「なんらかの方法」によって解決に導いていくというもの。

病に対する薬や、将来の不安に対する備えや、自分の欠点を克服するためのノウハウや、子育てを間違えないようにするための子育て本とか。

それらはどれも一見、「解決」しているように思わせるだけで、根本的には解決には至ってなく、単に「その場を切り抜けた」に過ぎない。

なぜ、病が起こるのか?
なぜ、将来に不安を感じるのか?
なぜ、欠点だと思っているのか?
なぜ、間違いを避けようとしているのか?

そこに向き合わずして問題の根っこは見えず、枝葉末節にいくら対処したところで、また同じような状況に出会って対処することの繰り返し。

それを「勘違い」と表現したのには理由がある。

なぜならこの「問題解決」の背景にある理論は、誰もが「正しい」と信じているからこそまかり通っているワケで。

病気になったら薬を飲めばいい。
備えあれば憂いなし。
欠点は努力で克服できる。
成功者の言葉は信用できる。

みたいな。
人はなんらかを信じることによって、安心してその行動を取れる。

けれどもそのエビデンスを詳細に知ることはなく、ましてや疑いを抱く人は稀だ。

もしかしたら人類レベルで、ズレているかもしれないのに。

現代は「科学」が権威です。

科学で実証されたものは、無条件に誰もが信じている。
検証されたもの、実証されたものは「エビデンス」としての価値を持ち、未知なもの、実証されていないものは「不確か、怪しい」として分類される。

でもなぜ、科学が権威なのかを考えたことはありますか?
「科学が権威である」ということそのものが、曖昧さを含んでいることを、知っているでしょうか?

サピエンス全史によれば、ホモサピエンスとは
「虚構を信じることによって生き延びてきた種」
と結論付けています。

それが真実であるかどうかよりも、「信じる」ことで真実にしてしまう。

それが、私たちが持っている才能と言えるでしょう。

ですが、「何を信じるか」ひとつで、世界は簡単に変わってしまうということでもあります。

天動説を信じていた時代は、天動説こそが正しさでした。
でもやがては、地動説が信じられるようになった。

そんなものです(笑)

信じているもの=真実、ではないということ。

どっきりカメラが最後に種明かしをされることで、笑いに着地するように、種明かしが来れば「な~んだ」なことが、その世界を信じているうちはリアリティーがある。

そして私が伝えたいのは、「種明かし」の方です。

自分がリアルだと信じていたものが、虚構であったと分かった時に、人は本当の意味でリラックスでき、笑いがこぼれます。

そして現代社会は今もなお、虚構の世界の中で不安になったり、わからないことに怯えたり、苦しみの真っただ中にいるように思います。

で、別にそれは問題でもなんでもなくて。
単なる次へのステップがあるだけ。

そのステップとは、無意識や無自覚の世界を「よく観る」こと。

当たり前は少しも当たり前ではなく、
正しさは不変ではなく、
自分の権威は内側にあるということ。

あまりにも多くの人が、自分の外側(現実世界)に権威を見出しています。

科学が今は一番ですが、かつては宗教であり、父親や社長など権力を持った存在も同じこと。

自分の外側に権威を置き続ける限り、それを超えることはできません。
権威を内側に取り戻すからこそ、本当の「自由」がそこにあり、本当の「自制」が見えてくる。

これは科学や宗教をなんら否定する考えではなく、「次のステップ」なだけ。
むしろ科学や宗教という存在があったからこそ生まれるプロセス。

ここを取り違えてしまえば、勘違いの世界のままです。


全ての存在には意味があり、人類は一つの物語を創造しながら生きているとしたら、今がどんなフェーズで、どこに向かっているのかは、容易に想像できます。

それが正しいかどうか、ではなくて、「何を信じたいか」。
自分の権威はどちらを指し示しているのか。

オチはいつでも笑いですから、安心して謎解きを楽しみたいですね。

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