見出し画像

私達は感情を扱えると錯覚してるよね

怒りや悲しみの感情の取り扱いとして
「そのど真ん中に飛び込む」
とか「その中心にいる」とか、
言われているのを聞いたことありませんか?

そうすると、その苦しい感情はなくなる、とか。

この言い方、聞いてる方は勘違いしてしまうと
思うのですが、どうでしょう。

そう言う私も、
「怒りの時、怒りではなくなる」
という表現をしてしまうことがあって
わかりにくいよなぁ、勘違いしてしまうよな…
とちょっと思いました。

どんな勘違いかと言うと、
「その苦しい感情のど真ん中に飛び込んだら、
その苦しみは消える」とか、
「怒りは消えて冷静になる」
とかいうものです。

が…

そんなことは、ないです笑


苦しみのど真ん中飛び込むっていうのは
方便だけど、
本当にそういう風に
考えがちじゃないですか?

そして
怒りや悲しみというものがあって
そこに照準を合わせていく、
同化していく、というイメージにも
なっていきますね。

「感情の取り扱い」なんて言われちゃった日には
扱えるもんだと錯覚してしまうのも仕方がない。

これらのイメージが起こった途端、私達は思考で
(苦しみ)と(それに飛び込む自分)に
分けてしまってます。


だけどホントは

怒りや悲しみ、苦しみのど真ん中というものは
ありませんね。

怒り、悲しみ、苦しみ、
どう名付けられようと事は起こっているわけで、
その起こりには
「真ん中」とか「端っこ」とか
ないですよね。

全部、イメージだから笑


実際は、ただその様子なだけ。
それは、取り扱うことも、飛び込むことも
出来ません。


まあ、
これも言葉で表現してるから
きちんと言い表せてはいないですけどね^^

「夢みる私じゃいられない」スタエフ♪


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?