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30代最後の旅④~嘘みたいな本当の話と「時間」について


実はわたしがタスマニア島に着いたとき、誘ってくれた友だちは諸事情により日本にいた。なので、最初の3日間は、英語の話せないわたしと、日本語を話せない旦那さんとその息子の、謎のスリーショット生活!友だちが帰ってくるまでの3日間は、後にも先にも2度と経験できないであろう、面白イベントのようだった。

空港まで迎えに来てもらって、小一時間。ジェットコースターのような起伏の激しい山道を越えて辿り着いたのは、彼らの住むorganic farm。小さいファームだよと言いながら、ファーム内を案内してくれる。

翌日からの日々は、時間の概念が揺らいでいく感覚がした。


毎朝milking。カメラ目線のKANA


山羊の乳絞りから始まり、(その乳でヨーグルトやチーズを作ったり)
伸びた木の枝を切り、その枝ごと牛と山羊にやり、葉を食べきった枝は粉砕し、粉砕した枝はマルチとしてgardenに撒き、種を採取し(来年用に)、walnutを拾い、firewoodを運び、野菜や果物を収穫し、収穫した野菜や果物を調理し、草刈りをし、weedingをし、所有の森の管理として、落ちた枝木を拾い上げpileをつくり、一晩中燃やし続けるとか。
夜はネトフリで映画を観たり、ゆっくり本を読んだり。
休日は湖に行ったり、海に行ったり、山に登ったり、wineryに行ったり、marketでりんごやwalnutやパンを売ったり。途中から、朝ヨガあるいは10分間meditationも加わり、「時間」の使い方って本当に自由なんだよなと強く思う。

今まで、感覚として「時間」は過ぎていくものだった。

社会人20年近くやってきたのもそうだし、学生時代から時間割があって、それに沿って生きることが当たり前だったから。

収穫したりんごをスライサーで剥いて、ストーブの上へ。保存料なし天然のDryapple


だけどここで過ごすうちに、

「時間」って本来自分の自由に使えるものだよね

と当たり前のことに気づく。
よく豊かな時間、チルアウト、チルするなど「時間」についての言葉がSNS上に並んでいるし、わたし自身もそうだったけれど、これらは、日常の忙しい毎日が大前提で、その隙間に時間を捻出して好きなことに時間を注ぐというようなことを指しているように思う。それがライフスタイルとして確立されていて、それが自然だと思い込んでいたように思う。

少しずつ、少しずつだけれど、わたしは今までみえていなかった自分の人生の可能性について考えるという「時間」を手に入れたのだと気づき始めていた。初めて海外一人旅をすると決めて行動した時点で、わたしの転機はスタートしていたのである。


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