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そこにずっとあると思っていたものが、次の瞬間にはなくなっていて、慌てて見つめても、形をあてがっても、もうなにもかも遅い、ということはたびたびある。物理的にもう戻ることはできない。

時計の針を眺めていると、時おり不安になる。ぼくを、ぼくらを追いかけてひたすらに進むだけの姿を見て、もうちょっと待っててくれよ、こちらの気持ちの整理とか、事情とか、そういうのも考えてよ、とおもったりする。

すべてが流動的で、やがてなくなる。その瞬間を目撃した。詳しくは書かないが、形がなくなっても想いは残りつづけ、愛こそが永遠なんだろうなと一瞬おもった。言葉にすると陳腐化するので本件について詳しくは書かない。残された人間らは、生を全うするしかない。



「もうさ、逃避行でもしない?」というどこかの小説で見たことのあるセリフを現実世界で言う日が来るとはおもっていなかった、というと嘘になる。いつか言うと思っていた。そして彼もおそらくどこかでその予感をしていた。ぼくらは本当に旅を出た。ふたりとも家がない状態だったので、帰る場所は本当になかった。

だいぶ遠くへきた。石垣島から鳩間島へと移り、青とも緑とも言える海を前に肉を焼いた。たしか夏だった。風が心地よくて、海の匂いもほのかにして。油断していると虫が寄ってきた。ぼくらは適当に談笑しながら、やがてご飯のおかわりを頼む。

帰る場所もないし、ぼくらはいつか別れるんだろうな、と薄々おもい始めていた。結果、その思考を後押しするかのように現実化した。あらゆることが起きた。ぼくらはお別れをし、今では別々のところに滞在している。彼は新しい土地に家を構えた。ぼくは相変わらず国内外をふらふらしている。

あの旅に終着点はあったのだろうか、と今でもおもう。あの状態で一体どこへ帰ればよかったんだろう。「逃避行に飽きたら東京で家を借りよう」とは言ったものの、心がついていかず、あぁ、ぼくはどこへ向かってるんだろうか、と、鳩間島の海にぷかぷか浮かびなら考えていた。太陽があつかった。眩しくてずっと目を細めていた。

形を解消し、もう完全に別れているものの、ぼくらは今でも会うことができる。国内をふらりと一人旅してる時に、彼には久々に会った。ご飯を食べて、温泉にいって。元気そうだった。あの逃避行の話をしたら、「夢のような時間だったよね」と言われた。現実と夢の境界線は非常に際どいとおもう。

もう二度と会わないんだろうな、という人でも、なんだかんだで会えることはある。それは、対象者が肉的的に生きていて、現実世界に存在しているからだ。肉と骨と精神と。だから別に会おうとおもえば会えるわけで、話そうとおもえばいくらでも話せる。

じゃあ、永遠の別れとは一体なんなのだろうか。どういう条件の時にそれは発動するのだろうか。形あるものが抹消された時、物理的にもう会えない時だろうか。どうなんだろう。一体、どうなんだろうかと最近はよく考えている。

逃避行を共にした彼をぼくは失ったが、実際のところは失っていない。会うことはできる。でも、もう完全に会うことのできない対象を思い浮かべると、永遠に失ってしまったのだろうかと途端に苦しくなる。しかし、形が変わっても、肉体的にそこに存在していなくても、自分の中では永久不滅に生きている。それに、今は会えなくても、また別の世界で、形を変えてぼくらは出会えるかもしれない。それは夢物語なのだろうか。希望を持ってはいけないのか。

また会いたいな、とおもう。永遠の別れだと人が言おうとも、また会いたいなとおもう。また会えるよね、ともおもう。ロジックも確証もないが、きっとまた会えるよね、と期待している。会ったら何を話そうか、どんな顔で、どんな目で声をかけようか。

文脈によるとはおもうが、愛していると書くとすこし安っぽくなる。本当に愛していたら、べつにオープンな場所で、不特定多数の人に宣言する必要はないのだ。愛している者同士は、こっそり愛し合っている。もしくは対象が犬や猫であっても。

愛してる、と、愛していた、の境界線も非常に際どいとおもう。愛していたよ、というのは、ほんのすこしばかり嘘をはらんでいる気がしてしまう。愛していたよと過去形にして逃げてるだけのときもぼくらにはあるのだ。

今はあえて言葉で固定化しない。現在形でも過去形でもない。気持ちが「本当」に近いほど、言語化すると陳腐になってしまう。ありがとうも好きだよも愛してるよも違う。

でも心は、想いは、ずっと残り続ける。今はその事実を、いや、事実だと思いたい事柄を、もっと時間をかけて咀嚼していくだけだ。

生きていればまた何かに出会う。何かに出会って、何かに心を撃ち抜かれる。何度も繰り返す。失っても失っても、また夢を見る。ぼくらは夢に満ちた生き物なのかもしれない。

歩いていきたい。今は、前を向いて、なるべく力強く、歩いていきたい。いろいろな想いを思い出しながら、抱きしめながら。


−ブログやメルマガに書くまでもない話
(by 20代起業家)

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