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だから嫌なんだ、春ってやつは

新しい職場に移ってから、明日でちょうど一年になる。

私はこの一年で、何人かの担当の方と今生のお別れをした。

ある人は、とても人ができたおばあちゃんで、いつでも会うとにこにことしていて、丁寧な物腰の方だった。私の住んでいる地元に長年住んでいて、家を建てた時は、今でこそ信じられないが、駅の周りに田んぼが広がっていたことを教えてくれた。

ある方は末期癌の方で、奄美がご出身のお母さんだった。訪問には彼女が亡くなるまでの3回しか行けなかったが、お元気な頃は料理が得意で、奄美のとびうおでとれるお出汁が美味しかったことを教えてくれた。いつも彼女の周りには夫や子供や孫がにこにこしながら、そばにいてくれた。


そして今日私は、ある公園に立ち寄った。


そこの公園は、今から約一年前に彼女と散歩をしていた場所だった。

初めて会った時、公園は桜が満開だった。

彼女は最初は大人しかった。(今思えば少し猫をかぶっていたに違いない。そういう私もくまのくせにかなり猫をかぶっていた。)

けれども、段々と本性を表し、すごくおちゃめでチャーミングでユーモアにあふれていて、俳句が好きな事が判明した。

彼女が普段過ごしていた世界は、六畳一間の狭い空間であったが、週に二回、私が近くの公園に連れ出していた。


私は彼女と笑い合っていた思い出しか浮かばない。


私は彼女のことをある時はジョセフィーヌと呼んだ。ジョセフィーヌを彼女のミドルネームにした。(なぜそうなってしまったかは私たちだけの秘密だ)

彼女も「じゃあ天蓋付きのベッドを購入してちょうだい」とジョセフィーヌになりきってくれた。


また、ある時は近くのコンビニからこっそりと彼女にジャムパンとカレーパンを購入して渡した。(もちろんお金は彼女持ちだ)


本当はこんなのルール違反だ。私はかなり危ない橋を渡ってしまった。けれども彼女の同居人が彼女にご飯を用意することを怠る事が何回もあったので、前日から何も口にしていない彼女の状態を見兼ねて共犯におよんでしまった。


これも内緒の案件だな。全部あの世に持っていってくれた。


そして彼女は「おたくが来るの楽しみにしてるの」とくしゃっとした笑顔でいつも笑っていた。きっと今でもあの笑顔を振りまいていることと思う。


私は公園について、私たちがいつも座っていたベンチに腰掛けた。

そして桜を見上げて、彼女を感じた。

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どれくらいの時間だったかは忘れたが、そう長くはなかったはずだ。


老桜 我に散るなり 君偲ぶ


曇天の空に咲いた桜は、アスファルトの地面に落ちて、ふわりと、くるくるっと、舞っていた。

それはまるで、私を歓迎してくれているかのようなダンスだった。

春はこわいのだ。

気持ちを不安定にさせる。


でも、私は春というやつを完全に嫌いになる事ができない。


私は、今日また気持ちに一区切りつかせることができた。これは春のおかげなのかもしれない。

明日からの一歩を踏み出すのを、見守ってくれている存在がある事。


私は今日も一つ感じる事ができたのだから。





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