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くまのぬくぬく日記⑥

1月1日(月)の日記

◾️年越しと辰のおしりの概念

深夜0時をすぎた私たち家族は、Eテレの2355年越しスペシャルを見ている。
「たつこたつ」の歌が脱力系でなんともかわいい。辰がこたつに入ってお尻をぽりぽりとかいているので「辰のお尻はあそこでいいのかな、お尻の概念とは?」と私がつぶやくと娘が「確かに!」とくすくす笑い出す。
しっぽ?
おしり?
腰?
どこからどこまで?
爆笑問題の田中さんのたなくじの写真を連写で撮りまくる息子に「たくさん撮ったらくじにならないでしょ」とツッコミを入れながら就寝する。

◾️うさぎ年は終わりましたよ

起床。
昨日みな寝るのが遅かったので、ゆっくりめ。
息子がなぜか頭にうさ耳のバンドをつけて登場。
はいはい、この人は昔からそうなんだ。
なんだ?
うさぎ年アピール?
あなたの年男は昨年で終わりましたよ。
いろいろとツッコミどころがあるのだが、年末から風邪をひいている私は声が出づらいので、そのまま放置している。
しばらくして気がつくと、今度は夫の頭にうさ耳がついている。やばい。変態おじさんか。捕まってしまう。
私はそれらにツッコミを入れる気力もない。
黙々とお餅を焼いたりおせち料理を出す準備をする。
夫がポストから年賀ハガキを出して持ってきたので、さっと眺めてみたりする。

◾️私の実家

元旦の日程は毎年決まっている。
午前中は私の実家、午後は夫の実家に行く。
実家の両親、同居の伯父に新年の挨拶をする。
しばらくすると末の妹家族が来た。
そして最後に真ん中の妹も東京から帰省してやって来た。
久しぶりに三姉妹や家族が集合したのでにぎやかである。皆で写真を撮る。

◾️テレビ業界の話

真ん中の妹はテレビ業界でずっと働いている。
業界はますます厳しい状況であるらしい。
妹が担当している番組は月2回の収録を月1回に減らしたそうだ。人件費削減。「ロケも減らしてるんだよ。仕方ないね」とややさみしそうに妹は言う。彼女が関わっている番組は割と有名な番組であるのに、そういうものかと驚いた。

◾️甥っ子と息子のあれこれ

甥っ子がとにかくかわいい。
うちの息子は特に彼をかわいがっている。
昔自分が遊んでいたトミカを持参し「この中から気に入ったのを持っていっていいからね!」と新年早々の大盤振る舞いだ。
なるほど。昨日がしゃがしゃとおもちゃ箱をあさっていたのは、このためか。
甥っ子は真剣にトミカを選んでいる。

◾️伯父さんの遺作の話

しばらくして3グループにわかれる。

【地元の神社の初詣に行くグループ】
夫、息子、妹家族
【たこ焼きを買いに行くグループ】
妹、父
【実家に居残り組】
私、母、娘

3人で女子トークをする。
色々な話をした。
どれもおもしろいなと思ったが、一つ印象に残ったのは私の伯父さんの話。

母の長兄は私たちの地元からは少し離れたところに住んでいる。その彼が最近ふらっと実家を訪れて一枚の絵を置いていったらしい。彼は昔、画家を目指していた。二科展に入選などするが、それどまりで職業画家にはなれず、サラリーマンとして生きていた。
今回の絵は「俺の遺作だから」とのこと。
キャンバスには友人の絵が元々描かれていたが、それを上からつぶして描いた作品で、彼がお金がないことを物語っている。
油彩画。ブルーの世界。夜景なのだろう。
母は「彼は『青』しか認めない人だった。着ているものもブルーばっかりで。酒と哲学と読書と絵画の生活。そういうお兄さんに私は憧れていた」と絵を眺めながらぽつりともらした。
私は今だからこそ、彼と話してみたいと母に言った。昔、本などをすすめてくれた記憶がかすかに残っている。当時の私は、本の価値も、伯父さんのおもしろさもよくわかっていなかった。母親は「いや、もう来ないと思うよ、だって遺作って置いてったんだもん」と言うので「じゃあ、いつか会いに行く」と話した。「ああ、そうなの」と母親はそこに温度感のない返事をした。そのことばが宙にぽかりと浮かんでふわふわといつまでも漂っていた。

◾️夫の実家、お義母さんの味噌汁

午後は、夕飯に皆で食べる頼んでいたお寿司とオードブルを取りに行って、そのまま夫の実家に行った。
久しぶりに義理の兄家族と会う。
いつもお義母さんが1番嬉しそうだ。
お義母さんのお味噌汁はいつも大人気で、孫たちはおかわりをしていた。

◾️能登半島地震について

みんなで団欒をしていると、突然テレビから緊急地震速報が流れた。
「能登半島で地震...?」
少し部屋が揺れている。
関東に届くくらいなので、おそらく規模は大きい。
皆でテレビ画面に釘付けになる。
ことばが出てこない。
体も動かない。
津波の警報も流れる。
アナウンサーが叫んでいる。
ふと、気がつくと
娘がうつむいていた。
彼女は2歳の時に東日本大震災を経験している。
けれどもまだ2歳だったので、記憶も朧げであったが、今回は違う。この人は色々な気持ちを受け止めすぎてしまうのだ。
「ちょっと...私......」
と頼りなく娘がSOSを出す。
夫が察して「テレビのない部屋でちょっとゆっくりしてくるよ」と義理の母に言って、2人で別室に避難する。
私も風邪をひいているという理由づけで別室に行かせてもらった。
入室すると夫と娘は好きな映画や最近見た映画の話をしていた。よかった。さっきよりは表情が良い。
しばらくすると甥っ子たちがとんとんとドアを開けて
「一緒にスマブラしない?」
と誘って来てくれた。
娘は「...じゃあ、やってみる」と部屋を出て、我が子たちと甥っ子たちと義理の兄が入れ替わりでスマブラやマリオカートをプレイした。
甥っ子たちに感謝。
あと、こういう時も変わらずユニークなうちの息子は、やっぱり頼り甲斐があるなぁと感じた。

あとで調べたので備忘録的に以下に記載。

以下Xから転記。

 今回の震災により、非常に大きな衝撃を受けた子ども達は多いと思われます。そして、このような非常事態の後の子どもは、暴力的な言動が増えたり、急に頭痛や吐き気などの体の不調を訴えたり、赤ちゃんのように退行したり、突然夜尿をするようになるかもしれません。実際にこれらの反応を目の当たりにすると、驚いたり、時には困ってしまうこともあるでしょう。しかし、こういった子どもの反応は、その子一人では対処しきれない大きなストレスが短期間にかかることによって引き起こされる、いわば『当然の反応』であるということを覚えておいてほしいのです。その子は、いつもと違う行動や言葉でしか、自分が感じている不安や恐怖に対処できない状態にあるのかもしれません。だからこそ、いつもと違う言動が目立つ子どもを見た時には、「誰よりも驚き、困っているのはその子自身なのかもしれない」ということを、頭の片隅に置いておいてほしいのです。

TALKの原則『Tell Ask Listen Keep safe』を知った。
しばらく娘と息子の様子に注意しようと思った。
情報を知ることは大事だが、過剰にふれると精神的につらくなってしまう人も、子供に限らず大人にもいると思う。そういう人は少し情報から意識的に離れてもいいと私は思っている。

私は今は何もできない。
祈るしかない。
けれども、時間が経てばできることがきっと増えてくる。
能登半島は昔、会社の旅行で訪れたことがある。


今はただ、被災した方たちが
あたたかいところにいられますように。
ご飯がたべられますように。
傷が癒えますように。
人のためにつくしている人が
仕事やボランティアを終えるまでは安全に過ごせて、自宅や家族のもとに戻れますように、と。
祈るしかない。

燃え殻さんが東日本大震災の時にみんなで音楽を聴こう、と呼びかけたことを思い出す。

フィッシュマンズのナイトクルージングを聴きながら、この日は私も床につく。

◾️ハンダラの後ろ姿

私の好きな漫画家さんが発信していて知ったこと。

イスラエルのパレスチナへの侵攻に対してのアクション。
パレスチナ人の作家Naji al-Aliによって描かれたパレスチナ抵抗のシンボルである「ハンダラ」が元々の発信となっている。
今回はイタリアで80人の漫画家が自分自身の漫画のキャラクターの後ろ姿を描き「旗を掲げず、ハンダラと団結してすべての戦線での即時停戦を要求」するキャンペーンを行ったとのこと。
今、ここ日本でも1/10まで日本の漫画家さんたちに呼びかけているそうだ。
#withHandalaのアクションが広がるといいなと思う。
声をあげることは、大切だと思う。
そして何が起きているのかを知ることもこれからも続けていきたい。私は何も知らないのだから。


今日の日記はここまで。

みなさま、今年もよろしくお願いします。

くま

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