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それぞれのエール

「そんなんじゃだめだぞ!もっと、シャキッとやらないとだめだろ!」

大きな声がひびく。

一瞬あたりがシンと静まり返る。

声を出したのは90代の男性だ。

立ち上がって若者たちを見つめる。

見つめた先の若者たちは、高校の吹奏楽部の子たちだ。

私はドキドキしながら事の顛末を見守っていた。


***

夏の始まりを感じる7月の上旬頃に、毎年私が勤めている施設のデイケアでは、七夕会と称してボランティアを呼んでいる。(※今年はコロナのため中止だった)

内容は曜日毎に変わり、日本舞踊の集まりや、合唱のコーラスサークル、ギターとピアノの演奏、近隣の保育園の子のお遊戯など盛りだくさんである。

特に利用者さんに人気があるのは「高校生の吹奏楽部の演奏」である。なぜ、人気があるかというと、その高校は毎年ほぼ甲子園に出場するほどの強豪校で、吹奏楽部も試合に花を添える大事な役割を持っているからだ。

その子たちは、甲子園に向けて忙しい時間を過ごしている最中に、毎年必ずうちの施設に義理堅く演奏をしに来てくれる。

まず、あいさつがすばらしい。
学生さんが来所して控え室で準備をしているのだが、すれ違うたびに「こんにちは!」と元気よく気持ちの良いあいさつをしてくれる。とても礼儀正しい子たちなのだ。これには利用者さんも思わず笑顔になり、待っている間も「楽しみだね」と会話が聞こえてくる。

そして演奏には様々な楽器が登場する。とても迫力があり、臨場感たっぷりの演奏が聴こえてくるので、始まるとどこからともなく他の部署の職員やご家族もデイケアのホールに自然と集まってくる。

楽曲は高齢者が好きな「川の流れのように」や「ふるさと」から、氷結のCMでおなじみの東京スカパラダイスオーケストラ「Paradise Has No Border」まで幅広く演奏してくれる。

でも何と言っても一番盛り上がるのは「野球応援メドレー」だ。

デイケア利用者さんの中には、野球好きな男性も多い。
甲子園の予選から甲子園出場後の試合まで、デイケアのテレビの近くに陣取って座り、地元の高校を熱心に応援している方は意外と多く、介護職員も配席には毎年頭を悩ませている。

そんな熱心な人たちや普段あまり試合を見ない人たちでも、メドレーの時間になると目を輝かせ、一緒に応援ソングを口ずさんでいる人も多く、盛り上がりは最高潮となる。

今年も例年通りずいぶんと盛り上がりを見せ、最後の1曲の前に、部長から一言あいさつを頂く事となった。

マイクを持って部長が前に出る。

今年の部長は女の子だ。緊張しているためか、少しこわばった面持ちで話し始める。話しているけど声が小さい。見ている人は心配そうに見つめている。

***

そこで冒頭のシーンに戻る。

90代の男性はデイケアの利用者だ。

彼は身体的にはすこぶる元気である。施設内を杖もつかずに自由に出歩いている。しかし、認知機能の低下があり、ちょっと前の事は忘れてしまう。一緒にデイケアに来ている奥さんが一緒に来ているかどうかも忘れてしまう。性格は竹を割ったようにカラッとしており、耳が遠いので、声がとても大きい。

私はなんで彼がこの場でそんなことを言ったのか、大体予測がついていた。

彼はもともと地元で消防士として定年まで勤め上げていた。そして、消防音楽隊の隊員でもあった。

消防音楽隊とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
消防音楽隊(しょうぼうおんがくたい)とは、音楽の演奏を通じて市民と消防との融和をはかり、消防活動の広報にあたるための消防吏員(消防官)等によって編成されている部隊のこと。

そして長年、音楽隊の隊長として指揮をふるって指導していたことを、普段のリハビリテーションの場面で話す事があった。

彼は認知症を有しているが、決して場を読まずにおかしなことを言っている訳ではない。せっかくの演奏会を台無しにしたい訳でもない。学生さんたちに文句を言いたい訳でもないのだ。

これは彼なりの「エール」だ。

でも、果たして学生さんたちにはどう映っているのか。彼女たちは、まだ高校生だ。いきなり大きな声で言われて、びっくりしてないか。事情を知らない彼女たちに、90才の彼はどう見えているのか。不安に思っていないか。

私はドキドキしていた。

部長である彼女は一瞬止まってしまっていたが、はっとした表情になり、すぐに「ありがとうございます!」と言って、吹っ切れたように大きな声でのびのびとあいさつを終えることができた。

その場にいるみんながほっとした。

90才の彼は「いいぞ!」と言って席に座った。

最後の1曲が始まった。


人生にはそれぞれの形のエールがある。

高齢者と若い人たちのやりとりは波瀾万丈な場面もあるが、そこでは、様々ないのちが入り乱れて、見ているこちらは心があたたかくなる。指導している顧問の先生は「毎年こちらの施設で演奏するのを部員たちは楽しみにしています」と言ってくれている。また、いつの日になるかわからないが、このようなボランティアが再開できる日を私も待ち望んでいる。



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