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忖度

塚田国土交通副大臣が辞表を提出したね。
「忖度」の問題で国会やメディアで大騒ぎになり辞表。
政治家が失言等の問題で辞任、よくある事だ。

でも、何が問題なのか、国会やメディアの騒ぎ方がいつもわかりにくいんだ。

忖度の意味は、「他人の気持ちをおしはかること。推察。 ?相手の心中を-する? 」との事だ。
(Weblioから引用)

問題の言葉は塚田副大臣の、
「安倍首相や麻生副総理が言えないので、私が忖度した」の発言だ。
これは、
「首相と副総理の地元を結ぶ道路の整備を、本人達の気持ちを推し量って進めた」
という事だね。

この中で、どこが問題だと言っているのか。
「忖度した事」が問題なのか。
「忖度という言葉を使った事」がいけないのか。
人の気持ちを察して物事を進めるという単純な忖度であれば、それを全くせずに仕事や日常生活を営んでいる人は民間でも少ないと思うけど、公務員と国会議員だけはしてはいけない、という事だろうか。
忖度という言葉ばかり1人歩きして騒がれているようだけど、でも、問題はそこじゃないよね。

忖度を抜きに考えて「首相と副総理の地元を結ぶ道路の整備」。
そもそも、
「政治家が自分または仲間や一部の支持者に有利になるような政策を作る事」
これが良いのか悪いのか。
問題はここではないのだろうか?

現状はこれが当たり前だ。
政治も選挙も法律もこれありきだね。
これがあるから選挙の時に地元の企業や一部の支持者が応援する。
ずっとそういう仕組みだよね。そしてずっとうやむや。
これがだめなら、政治資金規制法や公職選挙法はそもそも何なんだ、という話になってしまうのだろう。
野党もメディアも他人事ではないから、忖度という言葉でごまかして曖昧に騒いでいるのだろう。
法律はそれを容認し、言葉じりをとらえる議論でうやむやになっているよ。

金持ちを豊かにすれば下々に滴り落ちるからとのトリクルダウン理論として金持ちを豊かにする政策が当たり前とされるけど、それはその金持ちの気分次第だから無理のある理屈だ。

国会議員の多くが経済界と利害関係を持つ人ばかりで、親戚や友人や一部の支持者のために有利な政策を作るけど、自分が直接お金をもらうのではないからセーフ、と言うのも無理がある話だろう。
忖度があったかどうかの問題でもないし、与党だけの問題でも国会の議員に限った話でもない。だからわかりにくく騒ぐんだろう。

だいぶ前だけど、ドキュメンタリー映画のマイケル・ムーア監督が、ブッシュ一族や閣僚の、政策と利益についての関連を映画に描いたよ。
まだ見ていないけどアダム・マッケイ監督も、ブッシュ政権とチェイニー副大統領の利益について映画に描いたそうだ。
程度の差はかなりあるけど、根っこの問題は、これらの映画と同じだね。

自分の損得で政治家を選ぶのならば、国民の問題でもあるよ。
だから、国民も他人事じゃないんだ。
これが民主主義なのか。それでよいのか。
それでよいなら、騒ぐ必要も辞める必要もない。

モリかけ問題までは、「忖度」という言葉を聞く機会なんてなかった。
モリかけ問題も結局うやむやのままだけど、「忖度」という難しい言葉は、言葉だけ歩かせてうやむやにするのにちょうどいいみたいだ。

忖度の問題じゃない。
民主主義の根幹の問題なんだ。

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