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180度変わる日本語のイリュージョン

日本語は難しい。

伝え方を間違うと、とんでもない大事故になることがある。
今回は、そんな自分の意図とは別の意味に伝わってしまった、ばかばかしい事故を3つ紹介したいと思う。

イリュージョンおばさん

スーパーのベーカリーコーナーで働いてた時のことだ。私が売場に出ると「ちょっと」と声をかけられた。
おばさんは、先ほど袋に詰めたばかりのブロック体の食パンをかかえていたので、「ははん。きっとスライスして欲しいんだな」と悟った。
ところが、おばさんは真顔で「この食パンを切らないで半分にしてちょうだい。」と言ってきた。

切らないで…食パンを半分に…?

私はポカンとした顔でおばさんを見つめた。
訳がわからなかった。
聞き間違いだろうか…?切らないでどうやって半分にすれば良いのだろうか?

私は美女の体がバラバラになってしまうマジックショーを想像した。寝転がったお姉さんが刃物でギコギコ切られても、実は切れていないと言うアレだ。
そんなイリュージョンを私ができるはずもない。
もしかしたらおばさんは、何か言い間違えているのかもしれない。
少し考えた後に、私はもう一度おばさんに「切らないで半分にするんですか?」と聞いてみた。
そしたらおばさんは自信たっぷりの表情で「そうしてちょうだい。」と言ってくるので、聞き間違いではなかった…。

私はおばさんの意図を懸命に辿ったのだが、いまいちわからなかった。
半分にするためには切らないと不可能だ。しかし、切ってはいけないのだ…。

私は「すみません…あの、『切らないで』半分ですか…?」と『切らないで』の部分を少し強調して聞いてみた。
するとおばさんは、眉をひそめ、なんだこの頭の悪い店員は…という顔つきになって「切らないで半分!」と、もはや少し怒ってしまっていた。

もう、2度聞き返してるため、3度目は許されない…。おばさんの顔も3度までである。
私は頭をフル回転させて切らないで半分にする方法を考えていた。
一体これまでおばさんはどのようなイリュージョンに出会ってきたのだろう…?

せめて、ヒントが欲しかったが、私にはテレフォンもオーディエンスも50/50も存在しない。
そしてようやくギリギリのところで「ブロック体を半分にする」…ということなのではないか?と思いついた。

私はおばさんに「ぶ、ブロック体で半分ということですね!!」というと、おばさんは「そうよ。」と何を言ってるの?この店員?という当たり前のような顔で私に言ってきた。

切らないで半分とは、ブロック体で半分にしてほしいということだった!
いわゆる6枚切りとか、5枚切りをしないで半分ということだ。

私はキーーとなったが、お望み通り切らないで半分にしてやった。
イリュージョン成功である。
パンを渡したあと、なんだか笑いが込み上げてきて、この話を他のパートさんにすると、皆ぽかんとしており、私と同じようにイリュージョンを想像していた。

はじめてナンを目にした爺さん

これまたベーカリーコーナーでの話である。
8月の蒸し暑いこの年に、はじめて「ナン」が販売されることになった。

30cmくらいの平べったいしゃもじのような形が珍しかったのだろう。
少しヨボヨボっとした爺さんがナンを指差して「これは…なんですか?」と聞いてきた。
私は「ナンですね。」と答えた。

爺さんがナンですか?とナンである確認をしたいのか?それとも何ですか?と得体のわからないそれが何かを知りたいのかがわからず、言葉のチョイスに困った。
「ナンもわからないジジイ」という勝手な解釈をして、ナンの説明したら「そんなことわかるわ!」と、クレームになってしまうかもしれない。
すると爺さんはもう一度「なんですか…。」と言っている。
これはナンということで納得したのか?それとももう一度聞いてるのかがイマイチわからず、私たちは、まるでアンジャッシュのような会話を繰り返してしまった。
私は逃げるが勝ちと言わんばかりに、爺さんに3度目の「なんですか」を言われる前に、へこへこと薄ら笑いを浮かべながら、バックヤードへと消えていった。

おそらく爺さんは、はじめてナンをみたのではないかと思っている。

さよなら委員長

中学生のとき、私は福祉委員をしていた。
「福祉委員」なんて言っても、朝の挨拶運動くらいしか活動はしていない名ばかりの委員会だった。
その挨拶運動だって私は寝坊して、終了の10分や5分くらい前にヘラヘラと現れて、仲間に合流していたのだから、ほぼ何もしていないに近かった。

そんな福祉委員の委員長は前期も後期も同じ女の人であった。
委員長は非常に真面目な人で、いかにも福祉委員という風格があった。華の中学生でありながら眉毛も剃っていないし、スカートもちっとも短くしていないちょっと芋っぽい委員長であった。
委員長という立場を率先して引き受けていた熱き魂がおもしろく、私と友人は委員会に出席するのをいつも楽しみにしていた。

実は小学生の時に委員長に世話になった事がある。
私の幼馴染と委員長の弟が仲がよく、家に連れてってもらったのだ。
そこで委員長は、私がどうしてもクリアできなかったゲームボーイをさくさくと進めて、伝説のポケモンファイヤーをGETしてくれた。
このようなご恩があったのだか、委員長はそのことを覚えてはいなかった。

そう、委員長はいい人なのだ。
困っている人がいれば手を差し伸べるし、私と違ってあいさつ運動を最後の5分、10分だけ参加するということは地球が滅亡しようとありえない。
とにかくコツコツと委員会に魂を注いでいた。

そんな委員長も卒業することとなった。
委員長が3年生、私が1年生の時だ。
委員会で、委員長から私たちへ向けて、最後の言葉が送られることになった。

委員長は「こんな私でしたが…皆さんに助けられて…」などといろんな感謝を述べていたが、最後に締めの言葉として



「ま、せいぜい頑張ってください。」



と清々しい顔をして締めくくった。

私と友人は同時に互いの顔を見合わせた。
(「せいぜい頑張ってくださいはやべぇだろ…!」)
(「絶対意味間違えてるよ委員長…!」)
私たちは委員長のフィナーレに水を指してはいけないと、必死にこらえていたが、笑いは止まらない。
私たち以外のメンバーは委員長の間違えに誰一人として気付いておらず、間違えに気付いていなかったのか?それとも話を聞いていなかったのか?どちらかはわからない。
とにかく、腹を抱えて声を出さずに笑ったので涙が溢れた。
ポロポロと流れた。
委員長の最後の言葉に感動してるようになってしまっていたが、決してそうではない。

あの真面目な委員長が日本語がわからなかったばかりにこんな失態を犯すなんて…。
おそらく、「大変なこともありますが、みなさんも頑張ってください。」と言うような純粋な気持ちで言ったのだ。

そして3月の卒業式、私と友人は委員長のところに行って「委員長…私たち、委員長の最後の挨拶めっちゃ好きでした!」と挨拶に行った。そんなをことわさわざ掘り返さなくても良いものを、我々はあの出来事がとても思い出に残っていたので言わずにはいられなかった。

委員長はポカンとしており、「委員長、あの時せいぜい頑張ってくださいって言ってましたよ!」と本人に暴露したのだが、委員長は「えっ、そんなこといいましたっけ。」と覚えてはいなかった。
いつものように顔は涼しげで、純粋な眼差しだったので、きっと委員長は緊張してしまい、何もかも覚えてなかったんだろう。ということで締めくくった。

しかし、この話には続きがあり
「せいぜい頑張ってください」は「精々頑張ってください」であり、時代とともにネガティブに捉えられてはいるが、どうやら「力の限り頑張ってください」という意味で合っているらしい。
委員長はやはり真面目できちんとした人だったのだ。

あの日涙が出るほど、委員長の挨拶を笑っていた我々の方が、よっぽどおばかさんなのであった…。

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