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自分で「キライ!」と
思っていたもののひとつが、
「声」

なにがどうという訳ではなく、
感覚として、好きになれなかった。

声の大きさを
褒められることはあっても、
声そのものを褒められることは
なかったし、
録音された自分の声を聞く度
キレイでも可愛くもなく、
なんだか独特な感じがしていた。

そんな声を
初めて私に届くように
褒めてくれたのは、夫。

音にこだわりのある彼にとって
落ち着く音域らしい。

褒められたことは嬉しいけど、
それで声に対しての
コンプレックスが
なくなったということには
ならなかった。

でも、この数年
声そのものを褒められる。
そんなことが度々あり、
「もしかして、私の声って
自分が感じているほど
悪いものではないのかも!」
とようやく思えるように。

あれほど
「キライ!」だった声を
今はそれほど
気にならなくなっている。

「キライ!」だった訳は、
もしかしたら、
自己否定からくる
思い込みだったのかも。

自分が持つ「スキ」「キライ」は、
自分に対しての
ジャッジからの思い込みや
自分を傷つけないための
過保護すぎる殻なのかも?

キライ!だった声を
キライではなくなった今、
改めて自分と対話しながら、
大切な「私」を認めてあげる。

今の私にとって
必要なことだと思えている。

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