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ひとりごと



普通であるということが、たいして苦しい経験もしたことのない自分が、どれだけ恵まれていて、生温いのかを実感する日々だ。

特別頭がいいわけでも綺麗なわけでもない、ごく普通の女子大生の私。


誰かに搾取されることなく、みんなが平等に自分の好きなように生きる世界を待っていることは、加害者と同等なのではないかと思った。それはおかしいと声を上げているその誰かだって同じ人間で、私たちと同じ今を生きているから、辛くなってしまうことがたくさんあるに違いない。いなくなってからじゃ遅くて、その人は革命家でも人権活動家でもないということに、いまさらになって気づく。

普通の、若くて綺麗な女の子だったのだと。それがとても胸をしめつける。


深く根付いた考えを取っ払うことは難しい。おかしいということにさえ気付いていない人がたくさんいて、それを当たり前だと感じている人もたくさんいるから。
女性だから、男性だから、日本人だから、外国人だからじゃなく、人間が幸福の追求のため、自分のやりたいことをして、他人に迷惑をかけない限り、それを否定する権利は誰にもないのだということを私たちは深く理解すべきだ。
どんなに小さい子供でも、自分の身体は自分のもので、責任は自身にある。個人的な考えを人に押し付けることは極めて自己中心的で、失礼な行為であるということを私たちは肝に銘じなければならない。


SNSは世界を広げてくれたけれど、同時に極端に狭めている一面があると感じる。追悼文を出すことがそんなに重要ですか?その言葉はもう本人には届かない、自己満足なものでしかないのに?大事な人を失ったとき、何も手につかないことだってあるでしょ。人が死んですぐに「ご冥福をお祈りします」ってSNSにあげてる人のほうが私には理解できないけれど。


この小さな板の中だけでは収まらないモノが、私たちを待っているはずなの。死にたくなるような世界なのが悪い。もちろんそうなんだけど、でもお願いだから、死ぬのだけは絶対にダメなんだよ。



#エッセイ #日記 #ひとりごと  

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