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大野晋 『日本語の起源 新版』 岩波新書

言葉のそもそもに興味がある。人類は30万年ほど前にアフリカ大陸で生まれ、6万年ほど前にアフリカ大陸から世界中に拡散を始めた、というのが今のところのざっくりとした見立てらしい。10万年以前の人骨とされるものが中国大陸や欧州で発見されているものの、発見の状況や発見されたものの状態から、それらがアフリカ起源説を覆すほどの物証にはなっていない。いずれにせよ、現在世界中に暮らす80億の人々の元を辿れば一所に行き着く。その80億の人々が話す言語は6,000から8,000ほどあり、その数は人口が急増しているにもかかわらず減少している。このことが意味するのは何だろう。

聞き齧りだが、アフリカ大陸だけで2,000を上回る数の言語が使われているらしい。大学卒業直前に訪れたインドでも、当時は1,600以上の言語があるとされており、その正確な数字はインド政府も把握できていないとのことだった。そうした多数の言語の中で、日本語はいつから日本語なのだろうか。

少なくとも記紀や万葉集が成立した頃の日本語は現在とはずいぶん違っていたようだ。本書によれば、文字として現存する最古の日本語は古墳時代のものであるという。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に金で象嵌されている115字はその古代日本語の一例だ。

この鉄剣は5世紀の製作と推定されている。7世紀には日本各地でそれぞれの土地の有力者によって歴史書が編纂されていたと見られ、中央政府による『古事記』や『日本書紀』の成立が8世紀前半、『万葉集』が8世紀後半とされている。これらは「万葉仮名」と呼ばれる表記法によって木簡に記されていたと推定される。製紙法の日本への伝来が7世紀初頭とされているので、成立当初から紙に記されていた可能性はある。しかし、この時代の紙は貴重品で、国家事業として編纂されたとはいいながら、潤沢に使用できるものではなかったはずだ。製紙法伝来より時代を下った奈良時代(8世紀)の都である平城宮趾からは大量の木簡が発掘されている。紙の使用が一般的であったなら、木簡よりも使い勝手の優れた紙が使われて然るべきだろう。

とはいえ、日本語のその後の展開と製紙すなわち和紙の普及とは無関係ではないのかもしれない。現在でも地域特産品として和紙を生産しているところは少なくない。和紙の紙漉きに使われる黄蜀葵の根から抽出される液体は冬の低温でゲル状になる物性がある。三椏や楮の繊維を溶いた水に黄蜀葵のゲルを混ぜて撹拌することで繊維の密度が均一になり、それを漉くことで平滑で筆記媒体として使用に耐える紙になる。それゆえ紙漉きは冬の作業だった。このことと稲作などの農閑期とが重なり、国内各地で冬場の所得源として和紙が生産され、日本では良質の紙が比較的早くから普及した。言語の記録媒体が言語の成り立ちや展開と大いに関係するということについて、以前に読んだロシア語通訳者の米原万里の話が興味深い。

米原:恐らく日本人がロジックが苦手になったのは、教育もあるけれども、紙が余りにも潤沢に手に入り過ぎたせいだと思います。
糸井:おもしろいなぁ、その考えは。
米原:結局ロジックって何かというと、私、通訳していてわかるんだけど、日本の学者はロジックが破綻しているのが多いんです。基本的には羅列型が多いんです。
それでヨーロッパの学者は非常に論理的なんです。現実は、世の中そんなに論理的じゃないんですよ。論理というのは何かというと、記憶力のための道具なんですよ。物事を整理して、記憶しやすいようにするための道具。
ところが、紙が発達した国は書くから、書く場合には羅列で構わないんですよ。耳から聞くときには論理的じゃないと入らないんです。覚え切れないんです。
糸井:おもしろいなぁ。
米原:だから、日本人とか漢字圏の紙が豊かな文化圏の人たちの脳というのは、視力モードなんですよ。目から入ってくるものを基本的に受け入れやすく覚えやすい脳になっているんです。ところが、ヨーロッパ圏の人々は聴力モードなんです。耳から入ってくるものにより敏感に反応して、より覚える脳になっているんです。
製紙業が始まったのは中国ですよね。それで日本も非常に紙が豊かな国で、試験もほとんどペーパーテストですよね。それで、考えをまとめたりするときにすぐ書く。ところが、ヨーロッパでは、紙はものすごく高価だったんです。だから、ほとんどの人は紙を使えないわけです。授業で生徒が紙を使うなんてぜいたくだった。
そうすると、紙を使えない人はどうするか。なるべくたくさん覚えなくちゃいけないわけです。覚えるためには論理が必要なんです。論理とか物語とか、そういったものがないと、大容量の知識を詰め込むことはできないんですよ。だから、論理が発達するんですね。

米原万里・糸井重里『言葉の戦争と平和。米原万里さんとの時間。』ほぼ日WEB新書シリーズ
18章「ロジックは記憶の道具」
紙の伝播(紀元前2世紀頃〜)
出所:日本製紙連合会

日本語の祖語が何であれ、日本で紙が普及したことは、日本語の特徴とされるあれこれ、日本語を母語とする人々の思考のあれこれと関係するのだろう。

本書で大野は日本語とタミル語の関連について多くの紙面を割いている。日本国内で長野・静岡あたりを境に東西の差異があり、国の成り立ちからすれば、日本語は西から東へ広がったと見るのが妥当だというのである。

言語地図の一例 検索するとこういうものがたくさん出てくる。
本図の出所:藤原与一『方言学』三省堂、昭和37年
パブリック・ドメインhttps://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3591397による

そうであるならば、西日本のさらに西の言語に注目するべきであろう。万葉仮名は漢字表記だが、漢字は表記だけで言語としては日本語は漢語との共通性が薄い。日本語は漢字伝来以前に日本語であったということになる。いつ頃どこで生まれたのか。西日本のさらに西は海だ。海は南にも開けている。インドの言語と関連があって何の不思議もない、というのである。

篠田謙一『人類の起源』中公新書 2023年2月10日11版 174頁

タミル語はインドの公用語の一つだ。手元にあるインドの紙幣には額面金額がアラビア数字と準公用語である英語の他に公用語で表記されている。初めてインドを訪れた年にたまたま発売になった妹尾河童の『河童が覗いたインド』にはその紙幣のことが記されている。

妹尾河童『河童が覗いたインド』新潮社 1985年6月5日 5刷 5頁

文字だけ見るとタミル語は日本語と関連があるとは思えないのだが、発音や語彙、文法に言語学上注目すべき類似が多々あるという。

インド料理というとナンと呼ばれるパンを思い浮かべる人が多いかもしれないが、あれは精製した小麦粉を使ったパン種を捏ねて成形し、タンドーリという窯で焼くもので、一般人が家庭で食するものではない。いわば高級料理だ。なにしろ日本の9倍の面積と10数倍の人口を擁する大国なのでそれぞれの地域にそれぞれの民俗や文化があり、ステレオタイプを語ることは不可能なのだが、敢えてざっくり言ってしまえばタミル語が話されるインド南部とスリランカ北部は米食だ。稲作を経済活動の中核に置いて歴史を紡いできた日本と何かしら民俗や文化に共通点があったとしても不思議はないのである。

日本語とタミル語との関係の方は学者先生にお任せするとしても、物事は思いもよらぬことで想像もつかないものどうしが繋がったり断絶したりするものなのかもしれない。表層のちょっとしたことを見聞きしただけで何事かを理解したつもりになっていると、本当のことから置いてきぼりを喰らう。そして多くの人は置いていかれた有象無象となって無為無策の大海に漂う。それが世間の現実なのかもしれない。残念ながら私はうまく泳げない。

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