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『敗北を抱きしめて』 その3

1947年11月初旬、ある事件に国中が震撼した。34歳の判事・山口良忠が20日前に餓死していたことが報道されたのである。この事件は食糧危機にたいする政府の無能ぶりが、ほとんど病理学の対象になりそうなレベルに達していることをさらけだした。山口判事は、主に経済関係の軽犯罪を扱う東京地方裁判所の小法廷を担当していた。そこで扱われた事件の大半は闇取引にからんだものであったが、闇市場で暴利をむさぼった者を山口判事が裁くことはほとんどまったくなく、被告は日々のささやか帳尻合わせに苦しんだ男や女たちであった。
上巻 105頁

この話は子供の頃から知っている。最初にどこで誰から聞いたのかは記憶にない。そのくらい世間で話題として定着していたということだろう。そこから教訓めいたことが言われていたのかもしれないが、そちらのほうは全く記憶に無い。法を守った結果、餓死してしまった裁判官がなぜそうことになったのかという事情の一端は本書ではじめてわかった。導き出す結論のようなものは人それぞれだろうが、はっきりしているのは、生きることは綺麗事ではないということだ。

しかし、だからといってわずかばかりの損得や自己主張に忘我の体で血道をあげ、ささやかな蓄財や狭い内輪の評判を得ることで人が生きる喜びを感じるとも思えない。思えないが、世情の現実とは押し並べてそういうものであるように見える。先日noteに書いた森繁久彌の言葉にあるように人は「我利我慾の鬼」なのだろう。

世に綺麗好きの人が正論を振りかざしているのを目の当たりにすると、心底邪悪な私なんぞはただ恐れ入ってしまう。しかし、その綺麗事愛好家にしても、その人自身がどれほど清廉潔白であるのか、生活の現実の中に正論を当てはめて空想すると、なんとなく冗談のようにも聞こえることがある。

山口判事はなぜ法を守ることにこだわったのか。本当のところは本人に聞かないとわからない。それとは別に、判事一人の死が、当時の政府の無能無策を示すものとして、メディアに大きく取り上げられ、世間で話題を呼んだことも想像がつく。大きな話題を呼んだからこそ、それから15年後に生まれた私でも知っているのだ。

良心の板ばさみにあった若い判事は、けっきょく法律を否定する道ではなく、自分一人だけが法律に従って生きる道を選んだ。つまり、彼が妻に語ったように、良心の呵責なしに自分の仕事を遂行しながら、同時に、被告たちの辛苦を自分も共有したのである。1946年のいつごろか、彼は妻にこう言った。おまえと子供たちのために闇の食糧を求めるのはかまわないが、自分には配給物資以外のものは食べさせないでくれと。それ以後、法に触れずに手に入った食糧、とくに米の大半は、子供たちに食べさせた。山口の妻は、自分と夫には塩水以外に口にするものがなかったと、後に語っている。1947年10月11日、山口判事は死亡した。
上巻 105-106頁

そもそも法は何のために存在するのか、ということは議論されて然るべきだ。「悪法も法なり」ということなら、出来てしまった法は絶対的存在で神聖にして不可侵ということになってしまう。もちろん、法が社会を治めることで秩序が守られるのは確かだろう。悪法だからといって法律がコロコロ変わるようでは法に対する人々からの信任や信頼が得られず、法の存在自体が無意味ということになりかねない。しかし、法は守らなければならないものという暗黙の合意が社会で成立するには、その前提として、一般的な社会構成員の生活が特段の困難を伴うことなく営まれているという状況が存在していなければならない。となると、果たして国力を使い果たし、国土は焦土と化し、多くの労働力人口を失った状況下で、生活の現実との整合性が希薄な法律を遵守することはそもそも可能だったのか、ということになる。

日本政府の基準によれば、成人一人が軽作業を行うのに必要なカロリーは、一日2,200カロリーであった。1945年12月の配給は、この基準の半分を満たしたにすぎなかった。配給制度が最悪の状況にあった1946年半ばには、必要カロリーの三分の一もしくは四分の一に満たないところまで落ち込んだ。こうした状況では、闇市を利用するという違法行為に手を染めない人間はほとんどいなかった。1948年になっても、ある雑誌の記事には「今の日本で違法生活をやっていない人間は、刑務所に服役中の者だけだ」という笑えない冗談がのっていた。
上巻 101-102頁

ところで、今はどうなのだろう?世間では「貧困問題」が取り沙汰されているようだが、司法の根幹を揺るがすほどの「貧困」あるいは生活の困難な状況が広がっているのだろうか?記憶に新しい事案として、感染症蔓延対策として政府や地方自治体が給付金制度を施行したが、官庁の職員が関与する詐欺事件が複数発生した。例えば、経済産業省の複数のキャリア職員が関与したものがあり、流石に少し驚いた。

この事案は昨年12月21日に東京地裁で判決があり、同省元産業資金課係長の桜井真被告に懲役2年6カ月(求刑・懲役4年6カ月)の実刑、桜井被告の指示に従ったとされる元産業組織課員の新井雄太郎被告は、懲役2年執行猶予4年(求刑・懲役3年)とされた。この二人は経済的には貧困ではなかったようだが、別の面に深刻な貧困を抱えていたようだ。この手の貧困が果たして懲役で解決されるものなのか、素朴な疑問を禁じ得ない。

給付金詐欺では国税の方でも2020年12月に東京国税局甲府税務署員が逮捕され、今年6月には東京国税局鶴見税務署員が逮捕された。甲府税務署職員の方は昨年5月に名古屋地裁一宮支部で判決があり、懲役3年執行猶予5年(求刑懲役3年6カ月)とされた。鶴見税務署の方は先月18日に東京地裁で懲役3年執行猶予5年(求刑懲役4年)の判決が下った。

この鶴見の事案での共犯の女性の陳述が興味深い。公判で検察官から犯行動機についての質問に対し「お金が欲しかったのでやめられなかった」と答えた。問題は、なぜ金が欲しかったのかとの質問への回答だ。

老後に2000万円が必要だと聞き、将来への不安がありました。
文春オンライン

彼女はこの公判時点で22歳、犯行当時20歳である。将来が不安で副業に興味があり、詐欺事件にまで関与するのである。各種報道を読む限り、貧困家庭に育ったわけではなく、ただ「しっかり者」の娘さんだそうだ。この記事を読んで、しばし考えてしまった。老後とはそれほど不安なものなのかと。経済上の「貧困」は裁判官が法を遵守することにこだわった結果餓死してしまう程ではなくなったが、もっと広い意味での人間の「貧困」が、おそらく戦争のずっと以前から現在に至るまで連綿とあるような気がするのである。経済の貧困は金で解決できるが、そうではない方の「貧困」はどうしたら解決できるのかわからない。

彼女に対する判決は東京地裁で11月8日にあり、懲役2年執行猶予4年(求刑懲役2年)が言い渡された。主犯ではなかったこと、被害全額が国庫に返納されたこと、反省を示し父親も監督を約束したことなどから執行猶予が付いた。

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