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蛇足 『お楽しみはこれからだ 映画の名セリフ PART6』

今月29日に岩波ホールが閉館する。それに関連して過去の上映作品のことが話題になっているのをネット上で見かけたりする。私がこのホールで観た作品は上映時期の順に挙げると以下のようになる。
2006年
『家の鍵(原題:Le chiavi di casa)』
ジャンニ・アメリオ監督/2004年/イタリア映画/イタリア語/111分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ザジフィルムズ

『紙屋悦子の青春』
黒木和雄監督/2006年/日本映画/日本語/113分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:パル企画

2009年
『シリアの花嫁(英題:The Syrian Bride)』
エラン・リクリス監督/2004年/イスラエル=フランス=ドイツ映画/アラビア語、ヘブライ語、英語、ロシア語、フランス語/97分/カラー/シネマスコープ/配給:シグロ、ビターズ・エンド

『ポー川のひかり(原題:Cento Chiodi)』
エルマンノ・オルミ監督/2006年/イタリア映画/イタリア語/94分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:クレストインターナショナル

『シェルブールの雨傘(原題:Les Parapluies de Cherbourg)』
ジャック・ドゥミ監督/1963年/フランス映画/フランス語/91分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ハピネット

『カティンの森(原題:Katyń)』
アンジェイ・ワイダ監督/2007年/ポーランド映画/ポーランド語、ドイツ語、ロシア語/122分/カラー/シネマスコープ/配給:アルバトロス・フィルム

2010年
『海の沈黙(原題:Le Silence de la Mer)』
ジャン=ピエール・メルヴィル監督/1947年/フランス映画/フランス語/86分/モノクロ/スタンダード/配給:クレストインターナショナル

『コロンブス 永遠の海(原題:Cristóvão Colombo – O Enigma)』
マノエル・ド・オリヴェイラ監督/2007年/ポルトガル=フランス映画/ポルトガル語、英語/75分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:アルシネテラン

2013年
『八月の鯨(原題:The Whales of August)』
リンゼイ・アンダーソン監督/1987年/アメリカ映画/英語/91分/カラー/スタンダード/配給:アルシネテラン

2014年」
『大いなる沈黙へ—グランド・シャルトルーズ修道院(原題:Die Grosse Stille)』
フィリップ・グレーニング監督/2005年/フランス=スイス=ドイツ映画/フランス語/169分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:ミモザフィルムズ/ドキュメンタリー

このほかに岩波ホールで上映されたが、観たのは他の劇場という作品が1つある。
『亀も空を飛ぶ(英題:Turtles Can Fly)』
バフマン・ゴバディ監督/2004年/イラン=イラク映画/クルド語/97分/カラー/ヴィスタヴィジョン/配給:オフィスサンマルサン
この作品は岩波ホールでは2005年9月17日から11月25日まで上映されたのだが、私は2008年にロンドンのTate Britainのホールで観た。そのことは前にnoteにも書いた。

映画は作り物だ。作り物であるが故に、また、作る側の商売であるが故に、作り手側の諸事情を背景にした押し付けがましさのようなものはどうしても出てしまう。それを受け手の側に心地良いものとしてみせるのが作り手の仕事でもあるのだが、それは至難であるように感じられる。至難であるが故に、人気のある俳優のギャラが高額であったりもするのだろう。しかし、多分、ギャラと俳優個人の力量は比例しない。例えば、『亀も空を飛ぶ』に登場する人たちの多くが本物の難民で、この作品の興行収入もエンターテインメント界のビックタイトルに比べたら取るに足りないものでしかないだろうが、観る者へ与える影響の度合いがそうしたデジタルの値と比例するとは思えない。

たまたま先日読んだ陳先生の『無国籍と複数国籍』には『シリアの花嫁』のことが書かれている。陳先生は国立民族学博物館に勤務されていたときに『シリアの花嫁』の上映会を企画されたそうだ。その上映会で解説を担当した錦田愛子さんと一緒に2011年にゴラン高原を訪れたという。

 私たちが村の中心部を歩いていると、店先で井戸端会議をしている男性たちが親切に声をかけてくれた。
「どうしてマジュダルシャムスへ来たの?」
「『シリアの花嫁』を見て、どうしても来たくなったの…」
「あー、あれはウチのことを映画にしてくれたんだよ」
「えっ?ほんと?」
なんと奇遇なことに、映画の題材になった家族に出会った。
陳天璽 『無国籍と複数国籍 あなたは「ナニジン」ですか?』 光文社新書 278-279頁
映画『シリアの花嫁』でも描かれているように、ドゥルーズ派はいとこ同士で結婚する慣習があり、そのため、マジュダルシャムス村から網の向こうのシリア側へ嫁ぐこともある。イスラエルとシリアがお互いを認めていないため、村の人々は両地を自由に行き来することはできない。それぞれシリア側とイスラエル側で祝いの宴を挙げ、その宴の最後に花嫁が歩いて国境を渡る。一旦、シリア側に渡ると、次いつ故郷に戻り家族に会うことができるのかは分からない。国々の争いのもと、引き裂かれる運命にある家族たちがここにいる。
陳天璽 『無国籍と複数国籍 あなたは「ナニジン」ですか?』 光文社新書 278頁

映画は映像「作品」。作り物だが、作り物であるが故に、現実の生活の何事かを雄弁に語ることができる。そして、人はたいして賢くはないということを自覚させる。その自覚がなければ、世の中は暮らしやすくはならない。これでいいと思ってしまったら、それまでだ。

岩波ホールで観た作品は数えるほどしかなかったけれど、どの作品も多かれ少なかれ、或る自覚を喚起するものだった気がする。

岩波ホールで2009年3月16日に観る

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