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月例落選 短歌編 2023年6月号

角川『短歌』の定期購読は既に終了しているため、仕事帰りに職場近くの丸善丸の内本店に寄って落選を確認する。投函したのは3月14日。題詠は「リボン」で、まったく思いつかなかったので、今回は雑詠のみ四首。

まだいたか訃報で気づく己が歳
今日の誰かは明日の自分

式服のサイズ確かめ悩み出す
借りて済ますか誂えようか

鳥が鳴く街の名残の大通り
空の青さがただただ重く

トリチウム海水割りでいかがです
干支ひと巡り半減の頃に

これらの歌を詠んだ頃、著名人の訃報が相次いでいた。3月に入ってから歌を投函する前日の13日までに以下の訃報があった(死亡日、名前、享年の順)。

3月2日 大川隆法 66歳
3月2日 ウエイン・ショーター 89歳
3月3日 大江健三郎 88歳
3月5日 笹原正三 93歳
3月9日 扇千景 89歳
3月10日 藤井直伸 31歳
3月10日 伊藤雅俊 98歳
3月11日 陳健一 67歳

何度も書いたが、家にテレビがなく新聞も購読していない。ネットのニュースが普段目にする唯一の報道だが、自然に訃報に目が行く。これは刷り込みのようなものだ。社会人になって最初に就職したのが証券会社で、最初の配属が本社の法人営業だった。法人営業の一日の最初の基本動作は日経新聞の訃報欄を確認することだった。自分の担当企業やそれに関連する企業関係者の訃報があれば、とりあえず弔電を打つ。もし漏れがあったら一大事なのである。そんなわけで、還暦すぎて社会人生活も終わろうというのに、今でも訃報が気になる。それにしても、みんな長生きだ。メディアに訃報が出るような人はそうなのだろう。私は下々なので、こんなに長くはないと勝手に決めている。

とはいえ、世の中は高齢化が進んでいる。自分も家人も両親親戚皆元気だ。それぞれに何人か認知症で施設に入った人がいるものの、今すぐ病気でどうこうという人はいない。喜ぶべきことではあるのだろうが、なかなかそう単純な話でもない。自分の母親が昨年末に交通事故に遭い、年末から年始にかけて10日ほど入院し、退院後も1カ月ほど療養が続いて、勤め帰りに頻繁に実家に通う日が続いた。通って何をするというわけではなく、冷蔵庫の中を整理するとか、掃除機をかけるとか、家の中の不用品を片付けるとか、ちょこちょこと動いただけだったが、少しばかり通勤経路が長くなっただけで結構疲労した。それと同時に、何が起こるかわからないということを改めて認識した。それで式服とか数珠とか、そういう類のものを準備しないといけないと思った。式服はあっても、最後に袖を通したのが前の家人の伯父の葬儀の時で、20年近く前のことだ。着られないことはないが、少しきつい。だからといって、今から誂えるか、ということなのである。誂えたところで、それを着る前に自分がどうにかなる確率もかなり高くなっている。どうするか。

3月は季節の変わり目、春の訪れである。身の回りの野鳥の声もなんとなく賑やかになる。しかし、感染症流行の影響もあって、地域の商店はここ数年でずいぶん寂しいことになった。鳥は賑やかでも人間の世界は逆の方に向いていて、地上と空とのバランスが変わり、空の青さがこれまでよりも重く感じられるのであった。

これらの歌を詠んだ頃、福島の原発汚染水の海洋放出が話題になっていた。なぜかトリチウムがどうのこうのと言っている。数ある放射性物質のなかで汚染水の海洋放出に際して何故トリチウムだけを取り上げるのか、ということについては語られていないようだ。今年は事故から12年、トリチウムの半減期が12.3年。トリチウムに放射性物質を代表させることで海洋放出の話がやりやすいということなのかもしれない。「放射能もだいぶ落ち着いてきたことですし、ここはひとつ……」てな具合に。原発の事故で垂れ流されている放射性物質は数多く、半減期が12年を超えているものはいくらもある。都合の悪いことは口にしない。世の中はそういうふうにできている。

一般財団法人 日本原子力文化財団のウエッブサイトより

見出しの写真は福島県双葉郡楢葉町にある天神岬スポーツ公園から見た海岸線。この向こうに福島第二原子力発電所があり、そのさらに北に第一発電所がある。この海にナニが放出されるわけだ。もう既にかなり漏れ出ているのだろうけれど。

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