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九鬼周造 『「いき」の構造 他二篇』 岩波文庫

けっこう有名な本だが、初めて手に取った。九鬼の父親は男爵九鬼隆一で、文部省や帝国博物館で岡倉覚三(天心)の上司であった。母親は初子(波津子、はつ)。京都の花柳界にいて隆一に見そめられて結婚したが、夫婦仲は良くなかったらしい。隆一が駐米特命全権公使としてワシントンD.C.に赴任した際に同行したが、周造を孕った時に体調を崩していた。その頃、ちょうど欧米視察から帰国の途に就いていた岡倉がワシントンの隆一のもとに立ち寄った際に、隆一から依頼を受けて初子を日本まで送り届けることになった。これを機に岡倉と初子が親しくなり、大きな波乱を引き起こすことになる。結局、初子は離縁されるのだが、その後も隆一の監督下に置かれ、精神病患者として巣鴨病院に強制的に入院させられる。以後、生涯を病院で過ごすことになる。岡倉が亡くなったときも入院させられたままであり、隆一が亡くなった昭和6年にようやく退院するが、退院後4ヶ月で初子も亡くなった。九鬼周造は、自分が岡倉の子ではないかと思った時期もあったらしい。しかし、終生、隆一と岡倉との仕事の上での信頼関係は変わらなかったという。

本書で言うところの「いき」は、よく日常会話に登場する「あのひとは、なかなかイキだよね」とか「これはまたイキな柄だねぇ」とかの「イキ」のことである。漢字では「粋」「意気」「生気」などと表記するが、関西では「粋」を「すい」と読むらしい。意味はほぼ同じようだが、音が違うのは何か内実にも違いがあるはずだ。そんなことより、「いき」が哲学上の考察の対象になることに驚いた、というか呆れた。いや、感心した、としておく。

感心したと言えば

粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ おとみさん
生きていたとは お釈迦様でも
知らぬ仏の おとみさん
エッサオー 源冶店
「お富さん」作詞:山崎正

が見事なまでに五七調でまとまっていることに気づいて感心した。「感心」などという言葉では全然足りないくらいに感心した。日本語の五七調は記憶に刻まれ易い。

いきなくろべい みこしのまつに
あだなすがたの あらいがみ
しんだはずだよ おとみさん
いきていたとは おしゃかさまでも
しらぬほとけの おとみさん
えっさおぉ   げんやだな

私はこの歌をリアルタイムで聴いた世代ではない。しかし、幼年時代の盆の時期は「なつかしのメロディ」のようなテレビ番組があって、祖父母が家にいると必ず観ていた。だから、すっかりお爺さんになっていた春日八郎も、直立不動の東海林太郎も、何故か軍服で歌う鶴田浩二も、その他「懐メロ」と称される歌謡は脳裏に刻まれている。こういうのを「三つ子の魂百まで」というのだろうか。違うか。

「粋な黒塀」というのがどのような塀なのか、俄かに思いつかない。それ以前に「粋」というのがどういうことなのかわからない。本書では「いき」を数式のように説明しているのだが、それだともっとわからない。少なくとも現在の身の回りにあることや、見聞きすることに「いき」なものがないということはなんとなくわかる。わからなさの最大の原因は「いき」な人が身近にいない所為だと思う。経験のないことは発想できないのである。

東日本大震災のあった年、2回目の失業をして間もない頃に、映画館で『ハラがコレなんで』を観た。この作品のテーマが「粋」なのだ。

映画『ハラがコレなんで』の劇場販売用プログラムの裏表紙

映画を観た日に映画のことをブログに書いているが、失業直後ということもあって、今読むと「なんだかなぁ」との印象もあるが、今更取り繕ってもしょうがないので、そのブログのリンクを貼っておくことにする。

物語は既に様々なメディアに紹介され尽くしているが、ざっくりとしたところを映画のプログラムから抜粋する。

リストラされた男のインタビューをテレビで見て、同情して泣いている若い女、原光子(仲里依紗)。だが、そんな光子の方こそ、せっぱ詰まった状況にいた。妊娠9ヶ月だが、お腹の子供の父親であるアメリカ人のカレとは別れ、所持金も底をつき、光子は行く当てもなくアパートを引き払う。
「いい風吹いてない時は、昼寝が一番。大丈夫、風向きが変わったら、そん時どーんと行けばいいんだから」。義理人情を大事にし、粋に生きることが人生において最も大切だと考える光子にとって、これくらいは全て「OK!」なのだ。
映画プログラムより 

そのカレと別れて妊娠9ヶ月という状況になった事情はこういうことらしい。

「なんかジャックが日本で困ってたから助けてあげたんだよね。それが粋だと思ったから。そのあと流れでアメリカまでついて行ったんだけど、流れで妊娠してさ、それで流れで捨てられたんだけど、別にあたしは泣いていないし、風の向くままに流れで帰国したんだけどね。ま、人間なんて大なり小なりそんなもんでしょ。流れ次第、風次第みたいなところあるよね。いいじゃん、そんな細かいことは」

いや、ほんと、細かいことはどうでもいいと思う。今となっては。なんといっても12年前に観た映画なので記憶がかなり怪しいのだが、主人公の光子は追い詰められると昼寝をするのである。

「OK、一旦昼寝しよう。気楽に待ってれば、そのうちきっといい風が吹くから」

これを書くのに、昔書いたブログを検索したり、映画のプログラムを引っ張り出して読み直したりして、少し思い出したところもある。それで思ったのだが、とりあえず昼寝をする、というのは是非実践してみたい。昼間、職場で弁当を食べた後にウトウトしていることが多い。そういうウトウトなどというしみったれた寝かたはダメだ。もっと意識的かつ積極的に「とりあえず寝る」というくらいじゃないと、「いい風」は吹かないと思うのである。

結局、本の話は書かなかった。書くことが思いつかなかったのである。ちょっと横になってみたのだが、目覚めても本書に関して「いい風」は吹かなかった。

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