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第2章 戻れない家 ①はじまりの夏

  今年の夏は、例年よりも暑いってさかんに言われてる。
 おばあちゃんとの暮らしが始まってすぐに期末テスト、夏休みとイベント続きで、私はただ流されるだけの毎日だ。

 夏休みに入ってからは、週4日バイトに入ってる。おばあちゃんは事務の仕事をしているから、平日は家にいない。私も平日のバイトに切り替えた。
 私がお弁当を買って帰らないと、店長さんから「あれ、今日はお弁当はいいの?」って聞かれた。だから、素直に「今はおばあちゃんの家で暮らしてるんです」と答えたら、みんな今まで以上に優しくなった。
「人生、いろいろあるわよね」と、市原さんも料理を教えてくれながら、つぶやいていた。

 そうなんです。いろいろあります、悲しいぐらいに。

 おばあちゃんは、いつだって私に優しい。
 土日は、いろんなところに連れて行ってくれたり、家事を教えてくれる。
「一人でできるようになっておいたほうが、将来何かと役に立つからね」
 なんて、何度も言いながら。

 おばあちゃんが私に優しくしてくれるのは、罪滅ぼしなのかな、とちょっと思ったりもする。おばあちゃんは、自分が子育てに失敗したせいだと思ってるみたいだし。
 お母さんは、タイに行ってから一度も連絡をくれない。私にも、おばあちゃんにも。
 部長さんから一度、おばあちゃんに電話があった。
「理沙は電話では感情的になっちゃって、まともに話ができないらしいのよ。もう一度チャンスをくれって何度も言うから、しばらくタイで頑張ってもらうことにしたって言ってた。部長さんも、困り果ててるような感じで。自分のやり方じゃダメなんだって自覚して、変わってくれるといいけどねえ」
 おばあちゃんはため息をついた。
 私は「そうだね」としか言えなかった。

 今、日本に帰って来ても、きっと一緒には暮らせない。
 会社の人の前であれだけの醜態をさらしちゃったら、私のことを相当恨んでるだろう。
 私も、ウソつかれたことを受け入れられないし。
 もう、一緒に暮らす光景を想像できない。

 お父さんは週に一回ぐらい、「元気か?」とLOINで連絡をくれる。でも、一度も会いに来てくれたことはない。いつも、短いやりとりをして終わり。
 私がもっとかわいげのある娘だったら、二人とも、かわいがってくれたのかな。
 なんて、仏壇のある和室の畳で寝っ転がって考えていても、答えなんて出ない。
 仏壇に飾ってあるのは、30代ぐらいの若い男性の写真。それがおじいちゃんだと言われても、ピンとこない。

「うちは旦那が早くに病気で亡くなっちゃったから、女手一つで理沙を育てたのよね。理沙に、『父親がいないからかわいそう』って思われたらイヤでしょ、ってしっかりするように言い聞かせてたから、理沙はずっと勉強もスポーツも頑張ってた。私が理沙を追い詰めてたのね、きっと。それで、あんな風になっちゃって。私がもっと、甘えさせてあげればよかった」
 おばあちゃんの言葉も、右から左に流れていくだけ。お母さんも大変だったんだな、なんて思えない。

 私を突き飛ばした時の、お母さんの顔。よく小説に出て来る「鬼のような形相」っていうのは、ああいう顔だと思う。私はお母さんの敵になった、きっと。

 今の私の日課は。
 毎日、午前中は部活で文化祭の正門アーチの話し合いをしたり、文化祭に出す油絵を描いて、午後は夕方までバイト。夕飯はおばあちゃんと一緒に食べて、夜はミニチュアを作る。水曜日だけ、部活が終わったら帰って来て、宿題をしたり、ミニチュアを作っている。
 土日はミニチュアを作ったり、おばあちゃんと出かけたり、宿題をしたり。そんな風に決まったスケジュールに沿って過ごしていると、何も考えずにいられるから、ラク。
 痛みを感じなくて済むから、ラクだ。

 夏休みが終わるころ、市原さんにミニチュアハウスを渡した。
 市原さんは驚きすぎたのか、しばらくしゃべれなかった。
「ウソっ、こんなにソックリに作ってくれたの? すごすぎる」

 市原さんのおばあさんが寝起きしていた和室をミニチュアにした。
 部屋の真ん中にはコタツ、その上にはミカン。コタツの布団からは猫が顔を覗かせている。
 部屋の隅には桐のタンス、テレビ、仏壇。床の間には掛け軸と生け花。床の間の隣には押し入れ。
 縁側もつけて、そこにおばあさんとおじいさんの人形を座らせた。市原さんから貸してもらった写真では、おじいさんとおばあさんが縁側に座って、照れくさそうにカメラに向かって笑っている写真があった。その様子を再現してみたんだ。

「壁のカレンダーとか、タンスの上の日本人形とか……テレビ台の下に新聞と雑誌が入ってる! よく気づいたわね、こんなところまで」
「写真に写ってたから、つくりました」
「おばあちゃんとおじいちゃんの服まで、ホンモノそっくり。すごすぎるわ、葵ちゃんの才能」

 パートのおばさんたちもわらわらと寄って来て、「うわ、すごい。芸術作品じゃない」「こんなに細かく作れるなんて、器用ねえ」と褒めてくれる。
「これをおばあちゃんに渡したら、絶対喜ぶわ。ありがとう!」
 100円ショップの材料も結構使ったから、材料費は5000円もかかってない。
 そう伝えても、市原さんは「時間をかけて作ってくれたから」って、1万5000円もくれた。

 私の初めてのミニチュアのお仕事、1万5000円!
 このお金は使わずに、大事に取っとこう✨
 自分の好きなことで人に喜んでもらえるのって嬉しいな。

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