見出し画像

自己紹介をかれこれ3年、考えている。3年もかかっているから
その間に、やること、やりたいこと、自分の考え、立ち位置なんかも
変わる。その都度、修正、修正で、いつまでも終わらない。

気づいた。自己紹介は一度作って終わりではない。人生と共に変化していくもの。

日本語での自己紹介は、自己=私を、紹介=私から他人に紹介という漢字が当てられている。イタリア語でも il mio profilo つまり英語のマイプロフィールにあたる言葉があるのだが、イタリア人のsnsやブログ、HPなどを見ていると、chi sono? と書いてあることが少なくない。つまり who am I?
私は何者?だ。

イタリア語を学んでから、言葉には矢印➡があるということを確信しているが、Il mio profilo 自己紹介 と chi sono? 私は何者? も矢印の向きが違う。

自己紹介 il mio profilo は話す側からの一方通行、聞いてる人はそれを受けているだけ。

私は何者? chi sono? は聞いてる人の後ろにまわってあげて、彼の目線(=矢印)に、話し手(=自分)の目線(=矢印)を合わせて、一緒に見ている感じ。

だから、私は chi sono? 私は何者? のほうがいいな、と思う。
言葉の選択は、相手とどう向き合っているか、
どんな風にどこから矢印をだして、その相手と話したいのか、まで
伝えてしまう。

言葉を生業にする端くれとして、この矢印にはこだわり続けていきたいと思う。矢印はその言葉の魂に直結するから。

フリーランスで仕事をするようになって
「それでは【簡単に!】自己紹介をお願いします」とお願いされるのだが、
この【簡単に!】がもっぱら難しい。

まず第1に結構な年数を生きてきているから、良いとか悪いとか、成功とか失敗とかは置いといたとしても、経験だけは豊富にある。どれが【簡単に!】に含まれるもので、どれが【簡単に!】に含まれないものなのか。

会社の肩書を捨てると決めたあの日から、
ずっと、自分は何者で、何が出来るのかを考え続けているが、
自己紹介を実行した場面で完璧だったと思えたことはない。

イタリア語、日本語に関わらず、完結に、にこやかに、そして面白く!
chi sono? を語っている人を見ると、尊敬する。
面白くあることは、関西人としてかなり重要(笑)

そして、結局は語った通りに
物事が動いていくような気がしてならない。リンクしている。
言いながら、自分を説得しているのかもしれない。

だから私は、今日も自己紹介を考えている。自己紹介って、第1の扉って気がするから、なんだかいつまでもスタート地点に居る気がしてしまうけれど、続けていくしかない。

それを考え続けるのが、フリーランスというものなのかと思ったりもしている。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?