Kumi Aprile Yamanaka 田舎暮らしを愉しみながらイタリア語は愉しい!を伝える講師

在伊24年 北🇮🇹ピエモンテ州 online イタリア語講師 Cils C1 ミラノ会社…

Kumi Aprile Yamanaka 田舎暮らしを愉しみながらイタリア語は愉しい!を伝える講師

在伊24年 北🇮🇹ピエモンテ州 online イタリア語講師 Cils C1 ミラノ会社員⇒アラフィフから田舎移住 大自然の中の築120年の田舎家を、ツーリスト向けアパートにする為に改築中てす!

最近の記事

初めての海外

公立高校の受験に失敗した。落っこちたのは何十人受けた中で私を含むふたり、、、絶望的だと思った。泣いた。このおかげでキリスト教系の私立高校に行くことになった。そして、この高校になったおかげで、私の人生に大きな影響を与えた、アメリカへのホームステイが実現することになった。人生の失敗だと思った事は、失敗でもなんでもなく、ただの岐路であり、時に必然なのだ。 高校1年生の夏、14歳だった。先日実家に帰って片付けをしていたら、大きなファイルを見つけてこの経験を鮮明に思い出した。その頃の

    • 人生を謳歌する

      【イタリア語とイタリアを通して人生を謳歌する人を増やしたい】 【イタリア語は愉しいを伝えたい】 テストのためのイタリア語ではなく【想いを伝えて心を繋げるイタリア語】 これらは私がKumitaliaの活動に託す想いです。これらの言葉にたどり着いた時に、言葉の意味と漢字を調べて、びっくりしました。 ①声をあわせて歌う事➡イタリアはカンツォーネcanzone の国! ②声を揃えて褒めたたえる事➡イタリア人は褒め上手! ③恵まれた幸せをみんなで大いに楽しみ喜び合うこと➡イタリア人

      • 自己紹介 Chi sono?

        前回の記事からの続き。 というわけで、日々変わっていく私の自己紹介【Chi sono?】 会話調でいきます。このままカンぺにできるように(笑) settembre 2023 イタリアに23年住んでいます、山中アプリーレ久美です。 【イタリア語は愉しい!】を伝える講師です。 2020年から Kumitalia という名で 【イタリア語とイタリアを通して人生を謳歌する人を増やす】ことを目的に オンラインでの語学講座やレッスン、イベントをご提供しています。 またSNSを通して、

        • 自己紹介と言葉の矢印

          自己紹介をかれこれ3年、考えている。3年もかかっているから その間に、やること、やりたいこと、自分の考え、立ち位置なんかも 変わる。その都度、修正、修正で、いつまでも終わらない。 気づいた。自己紹介は一度作って終わりではない。人生と共に変化していくもの。 日本語での自己紹介は、自己=私を、紹介=私から他人に紹介という漢字が当てられている。イタリア語でも il mio profilo つまり英語のマイプロフィールにあたる言葉があるのだが、イタリア人のsnsやブログ、HPなど

          うちの庭にいる神様Dea

          2023年の4月の末に、ロンバルディア州のミラノMilanoから、西隣のピエモンテ州に移住した。いずれも北イタリアではあるが、イタリアは州が変われば、言葉もかわりゃ、人も変わる。ピエモンテ州はフランスとの境目にある緑豊かな、食の州。 州都はヘーゼルナッツチョコやカフェ文化が有名なトリノTorinoであり、スローフードが生まれたブラBra、ワインで有名なバローロBarolo、バルバレスコBarbaresco、トリュフで有名なアルバAlbaと美味しい物だらけ。 このブログを書

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          外国を意識した瞬間

          あまり小さいころの記憶はないほうだ。そんな少ない記憶の中でいまも覚えている3つのことがある。 あっこちゃんのママのこと。その人は他のママとはちょっと違った雰囲気を持っていた。同級生のあっこちゃんは同じマンションに住んでいたのだが、違う幼稚園に通っていた。私は公立の近所の幼稚園であっこちゃんは私立の幼稚園だったのだと思う。 違う幼稚園だったからそんなに頻繁に遊ぶわけでもなかったが、ある秋の日(夕方だったがあたりは肌寒く薄暗かった)あっこちゃんの家で、そのころには珍しいビデオ

          【イタリア語】何を聞いてるか。

          イタリア語学習者の方から、何を聞けばいいですか?という質問を良く受ける。中級者以上の方への提案となるが、Corriere della sera のラジオを紹介する。 イタリアのメジャーな新聞社 Corriere della sera のポッドキャストである。 500,000人のイタリア人がデジタル配信の契約をしている新聞社だ。ポッドキャストでは、毎日1本、社会情勢に即した内容を、Corriere のジャーナリストが、インタビュー形式で話す。 毎度、数人がインタビュー形式で

          【イタリア暮らし】Quando ti trovi davanti a un bivio..人生の岐路に立った時に選んだこと

          誰にでもありますよね、あの時の選択が今の自分に繋がってると確信できること。あなたの心に刻まれた、今の自分に繋がっている選択はなんですか? 私には28歳でイタリアに来た事が、本当に大きな人生の転機となりました。真逆に同じことをしたイタリア人と出会ったというお話。交差する運命、不思議です。 ★Quando ti trovi davanti a un bivio… 再帰動詞は自分に返ってくる、リフレックスする動詞だと言われるけれど il verbo riflessivo tr

          【イタリア暮らし】Quando ti trovi davanti a un bivio..人生の岐路に立った時に選んだこと

          【イタリア暮らし】Mi sono trasferita in Piemonte.ピエモンテ州に引っ越ししました。

          2023年4月27日、ミラノ北部からピエモンテ州のNizza Monferratoの近くの田舎に引っ越しをしました。 ★イタリア語で【私は引っ越しをした】はどうやって言う? ①再帰動詞を使って Mi sono trasferito/a in Piemonte. ②「引っ越し」という名詞を目的語として使って Ho fatto il trasloco. いやはや本当に、人生というものは!!!何が起こるか分からん!!!を 大声で叫びたくなる出来事がこの3年間は目白押し。都会育ち

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          緊急事態宣言の中でのイタリア帰国-人生で最もついてなかった土曜日

          長かったロックダウンが明け、カラーゲームでイタリア全国が黄色に近づきだした頃、反比例するように日本は雲域が怪しくなった。イタリアのロックダウンとは比べようもないほど緩いが、延々と延長される緊急事態宣言に国民の不安が募る、そんな中、私のイタリア帰国の日は近づいてきた。 私のフライトは、大阪➡東京➡フランクフルト➡ミラノであった。数日前に最終便で予約していた大阪東京がキャンセルとなり、そのひとつ前の便に変更される。これだけ搭乗人数が減っている昨今、最終便を予約するのは避けたほう

          緊急事態宣言の中でのイタリア帰国-人生で最もついてなかった土曜日

          水際対策強化後の日本帰国、イタリア発

          イタリアで第3波のロックダウンが施行される3日前、イタリアを発った。変異種のウィルスの拡大が世界中で騒がれだして数か月。イタリアが世界で最初にロックダウンをだした昨年のあの日からきっかり1年。 今回の帰国はいつもどおりにはいかない事は覚悟していたけど、出発1週間前に施行された日本入国に対する水際対策の強化は予想外だった。イタリアは変異種の発見された国と指定され、陰性証明提出に加えて、日本入国後、検疫下のホテルに3日間隔離が必要となる。 以下、私が出国/入国に対して準備した

          ミラノでの最初の家

          2001年11月ミラノで仕事が見つかったけど、家がなかった。 会社まで徒歩で行ける場所にみつけたその名も怪しいABC Hotel という 安ホテルから出勤したのは何日間だったか、1週間くらいか。余談になるが、2021年の今も存在しているのかとググってみたらありました、口コミ2.5で。 「良い点はミラノの中心地にあるというそのたった一点のみ、それに満足できるなら部屋の古さや臭さや暗さには我慢しろ」などという散々の書かれよう (笑) 確か石造りの建物の中の数階分がホテルになっ

          ミラノで仕事みつかる

          フィレンツェに留学して1年と数か月が経っていた。持ってきたお金も底をつき始める。まだイタリアに居たい。日本に帰るという考えが頭になかった。2000年の秋の始まり、漠然と仕事を探さないと暮らしていけないなと思っていたが、具体的な方法は分からなかった。 ある日の朝、友人のシルビアがミラノへ行くと言う。この頃私は彼女の家のひと部屋を間借りしていたので、朝から彼女がクローゼットをひっくり返して旅支度をしているので、どこへ行くのか聞いたのだ。 「ミラノに住む兄の誕生パーティに行くの

          イタリア語をどうやって勉強したか インプットとアウトプットについて

          20年イタリアに住んでいると言うと必ず聞かれること。私がどうやってイタリア語を学んだのか。 ↑↑↑これらのnoteの時代は確実にインプットの時代だった。イタリア語の洪水の中で生活することによって耳がだんだん慣れていく。何を言っているか分からなくてもイントネーションが頭に入っていく。誰も助けてくれない環境であればあるほど、必要に迫られて新しい単語を覚える。 日本で勉強している時にイタリア語単語必須100なんてのを目にしたものだけど、現地で困ったときの単語なんてのは必須の中に

          イタリア語をどうやって勉強したか インプットとアウトプットについて

          Kumitaliaの誕生

          noteにはじめて文章を書いたのは2020年のはじまりだった。年末のマヨルカ島への旅行から帰ってきて、なんとなく悶々と書き出したのだ。いろんな思いが交錯していた。気持ちが纏められなかった。理由のない焦りが私を支配していた。幸せな生活の中に何が足りないのかと。 そして、コロナがやってきた。 いきなりの非日常のはじまり。イタリアはヨーロッパで一番にロックダウンとなり、家に閉じ込められた。私はミラノの旅行会社に勤めているが、中心地にある支店はすぐに一時閉店となり、全員在宅勤務と