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成人式当日の私を落胆させた、「学歴」(=〈アタリマエ〉教信者格付けモノサシ)。

今回は、20歳の頃の私は、成人式で再会した同級生たちに「○○大学、スゴイね!」と言われ、かえって「自分の内面は決してわかってもらえない…」と落胆した、という記事です。

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生まれ育った田舎から上京し、都内の大学に在籍していた20歳の冬。
田舎で成人式が開かれるということで、帰郷して参加することにしました。
前の年から「ハッピーマンデー制度」が導入され、成人の日は1月の第2月曜日に。
それまでの「成人の日=1月15日」になじんでいたので、少し違和感がありました。

成人式当日、久々に小中高の同級生と顔を合わせました。
小学校高学年の頃から「家庭環境のつらさをわかってくれる人じゃなきゃ、話をしたくない!」と心を閉ざしたままの20歳の私。
ですから、成人式に出席している小中高の同級生の中には、友達がいませんでした。
それでも、同級生の輪に入っていけば、「熊三郎くん、久しぶり!」と声はかけてもらえました。

問題なのは、その後です。
多くの同級生は、「熊三郎くん、○○大学に入ったんだって?スゴイね!」と言われ、「触るとご利益があるご神木」のようにベタベタ触られるのです。
たしかに、私が通った大学は、ヨノナカ的には「スゴイ」と言われることは知っていました。
それに、田舎ですから、私がその大学に合格したことは、とっくの昔に周知の事実でした。
ですが、そんな同級生の様子に、私は深く落胆したのです。
この人たち、自分のことを「肩書き」でしか見てくれないんだ…。

〈アタリマエ〉教(「ヨノナカの『~(す)べき』『~(し)なければならない』を、絶対のものとして信じて疑わないこと」を指す造語です)では、人を判断する基準は何らかの「肩書き」になっています。
家柄、血筋、身長、学歴、収入、地位、などなど。
結婚相手としての理想の男性を指す「3高」(=高学歴、高収入、高身長)という言葉があるくらいです
〈アタリマエ〉信者間では、このような肩書きで相手を判断するのが〈アタリマエ〉
当然、スゴイ肩書きを持っている人はチヤホヤされるものです。

また、〈アタリマエ〉教信者は、スゴイ肩書きを獲得するために、血のにじむような努力をします。
子どもであれば、学校で優秀な成績を修め、偏差値の高い大学に合格するために、必死で塾通いします。
社会人であれば、高い収入や高い地位を手にしようと、日夜スキルアップに励みます。
ただ、後天的な努力ではどうにもならない、家柄や血筋、身長などの先天的な「スゴイ肩書き」があるのも事実です。
いずれにしても、信者を格付けするモノサシとして、肩書きの力は強大です。

ですが、小学校高学年から〈アタリマエ〉教に苦しめられてきた私にとっては、肩書きだけで人を判断するのは苦痛でしかありませんでした。
肩書きなんかより、人間としてのあたたかみのほうが、大事じゃないのかなぁ?
肩書きを獲得するための「努力」自体ができない環境の人だって、いるんじゃないの?
肩書きだけで、その人の何がわかるの?

…そんな疑問ばかりが湧くのです。

そんな私ですから、「○○大学、スゴイね!」という言葉は、「この人は自分のことを決してわかってくれないんだろうな…」と脳内で変換され、疎外感という形で私を責めてきました。
成人式(というよりも、そのあとの飲み会)も楽しめず、寂しい思いを抱えて再び上京することになるとは…。
今となっては「仕方ないな」と割り切っていますが、何とも残念な思い出です。

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「学歴」とは、〈アタリマエ〉教の信者を格付けするモノサシ。
このモノサシに違和感があるなら、もう振り回されるのは終わりにしませんか?
〈アタリマエ〉に従うことをやめて、ありのままのあなたをさらけ出しちゃっても、いいと思います!

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